第19話

葉山さんの日記を読んだ後、私はゼカリヤの部屋を後にする。

私が入った通路には他にも9つの扉がある。隣の部屋にはマラキという聖書の部屋らしい。


「そういえば、他の聖女の部屋には入れないんだよね……? 一応試してみようかな」


ちょっとした思いつきだった。

気になったので、私はマラキの部屋のパネルにベレシートをくっつけてみる。

……何も反応はない。

やっぱり自分の持っている聖書の部屋しか入れないみたいだ。


「葉山さんは死にそうになったとき、私を襲ったんだ。確かに他の魔女が聖書の情報を知ってしまったら聖女同士の戦いが激しくなっちゃう……かも」


葉山さんは魔女を簡単に倒せるくらい強かった。

だけどもし、魔女を倒せないほどに弱い聖女がいたとしたら……生き延びるために聖女を襲った方が望みがあるような気がする。

化け物より、人間の方が倒しやすそう。


他の部屋に入れないことが分かったところで、私は次の部屋を探した。

私が一番最初に手に入れた聖書──ベレシートの部屋だ。


ゼカリヤと同じ通路を全部探したけど、部屋はない。

その後一本一本通路をさがしていく。

結局ベレシートの部屋はゼカリヤと一番離れた通路にあった。

部屋の外装は、他の部屋と全く変わりがない。

ただ、パネルの上によくわからないけど何故だか読めてしまう言語で聖書の名が刻まれていた。


「あった……これが私の聖書の部屋」


私はゼカリヤの時と同じように、ベレシートをパネルに押し付けた。ガチャリと扉が小さく開く。


ハッとして、私は口の中に溜まった唾を飲み込んだ。

気がついていなかったけど、扉の前でしばらく呆けてしまったらしい。

知らず知らずのうちに緊張していたらしい。

ベレシートが私が最初に手に入れた聖書だからなのかはわからない。

ただ、少し空いた扉から溢れる空気がゼカリヤの時より重かった。


「怯えていても仕方ない……入らないと」


気圧されそうになる自分を必死に抑える。

私は心の中で『大丈夫、大丈夫』と唱えながら、ゆっくりと扉を開いた。


「ん……ここは……けほっ! けほっ! なにこれっ! 埃っぽい!」


扉を開いた途端に吹き出てくる喉にくる空気にわたしは咳き込んだ。

ほこりが収まった後に、私は恐る恐る部屋に踏み入れる。


「……すごいホコリ……掃除されてないみたい。床とか真っ白」


膝をかがめて、床をスッとなぞってみる。

指にはホコリがたっぷりとついていた。

もうこの時点で日記を書く気力がなくなってしまった。

一応、私の個人情報の書類だけ挟んで帰ってしまおう。

次来るときは掃除をしないと。

埃が立たないように、つま先立ちで本棚までいき、髪のファイルを見つける。


「ええっと……ここの一番新しいところに入れればいいんだよね……えっ、この日付って……」


書類を見て驚いた。

私の前にこのベレシートを手に入れた聖女……ロゼッタさんというらしいこの人の生まれたのはなんと50年前だった。


「彼女が聖女になったのが何歳かちょっとわからないけど……たぶん30年くらいこの部屋は使われてなかったんだ……ホコリもすごいわけだ」


それほど長い年月掃除しないのはいうなとは思うけれど、これもやっぱり情報漏洩しないようにということなんだと思う。

徹底されているなぁ。


「とりあえず今日はここまでにしよう……後で掃除用具借りないと」


私は埃が舞い上がらないようにゆっくりと扉を閉めてその場を後にした。

やることを終えた私は、そのまま図書館の入り口へと戻るのだった。



図書館を出て、私は地下1階に戻る。

先ほどの陰キャ受付の人たちと再び視線を外しあうと、受付の向こうにお父さんと白百合ちゃんがいた。

白百合ちゃんは麦わら帽子をクイッとあげると私に気がついた。私の目を見ると、困った様子で苦笑いを浮かべた。


「お疲れさま、理子。日記は書けたかい?」

「う、うん。でもベレシートの方は……書けなかったよ」


そこで彼女は首を傾げていた。

私が事情を話すと、彼女は驚いた様子で笑った。


「やはは、部屋が汚れていたなんてそんなことあるんだね。私の部屋はそんなことなかったから知らなかったよ」

「そうだったんだ。でも、ゼカリヤの部屋は綺麗だったし……そっか前の人が最近まで生きていたから掃除してくれていたんだ」

「……私もそうだと思うよ。私が持ってる聖書の前任者も最近死んだと聞かされているからね。なるほど、部屋は自分で掃除をしないといけないみたいだ。やはは……大変だ」


白百合ちゃんは微妙な笑みを浮かべて、乾いた笑い声を上げた。

違和感を感じた。前任者と何かがあったのだろうか。

疑問はあったけど、聞くのは嫌だったので私はそこで考えるのをやめた。


受付で書類を書いていたお父さんはペンを机の上に置いた。

イヴリンと呼ばれていた根暗そうな女性が書類を受け取ると、自分の席へと戻っていく。

お父さんは何やら楽しそうだった。


「理子、聞いてほしい。とんでもないことになったぞこれは」

「えっ、とんでもない……こと? どうしちゃったの?」

「あー、そうだな。いくつかニュースは作れるけど、良いニュースと悪いニュースどちらが先が良いかな?」

「それじゃあ……悪いニュースから」

「理子はお父さんの子供じゃなくなるかもしれない」

「えっ、えええええええ!?」


表情とセリフが合ってない!

お父さんの口から放たれた衝撃的な言葉に私の脳はショートした。

実は私がお父さんの子供じゃなかったなんて……ん?あれ違う?

『お父さんの子供じゃなかった』じゃなくて『お父さんの子供じゃなくなる』?

なおさらわからない!


慌てる私を見てお父さんは楽しそうだった。

なんでこんなに危機感がないのうちのお父さんは!


「次に良いニュースだけど、お父さんはイタリア人になれるかもしれない。授業参観でイタリア人がくる家庭なんてそうないぞ!」

「い、イタリア人!? お、お、お父さんは日本人だよね!?」

「それはもちろん。でも戸籍上、イタリア人になれるチャンスに巡り合ったということだね。こんな機会、一般人にはないぞ!」


お父さんは興奮した様子だった。

昔から変わったお父さんだったけど、やっぱり今も変なお父さんだ。

でも、ようやく私にもお父さんの言っていることがわかった。


「そっか……お父さんは日本では死んだことになっているから」

「その通りだね。日本の法律では認定死亡を受けた人が生きていると分かった場合、戸籍を復活させられるんだけれど、こちらの教会で新たに国籍──イタリア国籍を取ることもできるみたいなんだ。理子はどっちがいい?」

「えええ!? 私に聞くの!? お、お母さんにも連絡しないと……」

「ああ、確かにそうだった。これは困ったどうしよう」


お父さんがそういうと、パソコンでカタカタと作業をしていたイヴリンさんが手を止める。

もう申請作業をしていたということなんだろうか。

つまりお父さん……家族の意見を聞かないで勝手にイタリア人に……だけど『お父さんらしい』で説明がついてしまうので私は微妙な気持ちになってしまうのであった。

困った様子のお父さんに、白百合ちゃんはスマホを差し出した。


「やはは、私の言った通りになったようだね。私の電話を使って良いですよ。電話代金は教会持ちなので」

「これは申し訳ない。ありがたく使わせてもらうよ」


お父さんはスマホを受け取ると一度部屋を出て行った。


「やはは……やっぱり愛娘の言葉は違うね。私が言っても聞いてくれなかったからさ」

「ご、ごめん……うちのお父さんちょっぴり変わり者なの……」


ううう……恥ずかしい。

自分のことではないと言うのに、顔から火が出そうだった。

少ししてお父さんが戻ってきた。

お父さんは頭をかいて悲しい顔をした。


「お母さんに怒られてしまったよ。いい案だと思ったんだけどなぁ」

「と、当然だと思う……」


死んだはずのお父さんが実は生きていて、だけど本人は全然危機感がなかったんだ。お母さんもそれは怒るよね。

お父さんの、というかお母さんと私の反対でお父さんのイタリア人化計画が阻止されたところで、今日も今日とてワンピースの白百合ちゃんはくるりと服を靡かせながら回れ右。


「私はお父さんを元いた場所──メキシコでしたっけ」

「ああ、そうだね」

「そこに戻しに行ってくるよ。だから理子、しばらくの間お別れさ」

「えっ、私も一緒に行くよ」

「それはダメだね。理子はここでやらないといけないことがあるんだから」


白百合ちゃんは足早に部屋を出て行ってしまった。

やらないといけないこと……そっか、私は強くならないといけない。

ここは聖女とかいうマジカルな集団の本拠地。

私が強くなるための何かはここにある。


「私も頑張らないと!」


頬を少し強く叩く。

気合を入れ直したところで、私は一度2階に戻ることにした。

一応、図書館での仕事を終えたことを報告しておいた方がいいだろうから。


地下一階の雰囲気とは真逆で明るい2階へと上がる。

最初に来たときは緊張していて周りが見えていなかったけど、冷静に観察してみると受付の上に『聖女支援課』と書かれている看板が掲げられていた。

他にも何種類かの言語が看板に書かれていたけど、多分どれも同じ意味だと思う。

聖女支援課に着くと、先ほどの金髪丸メガネの女性──アイラさんが出迎えてくれた。


「立花様、お勤めご苦労様でした」

「はい。ゼカリヤの方は日記を書いてきました。ベレシートは部屋が汚かったので……」

「そうでしたか。申し訳ありませんが、聖女様の部屋に私たちが入ってはいけない規則になっています。もし、掃除用具等必要なものがございましたら、聖女支援課へお申し付けください」


アイラさんは申し訳なさそうに頭を下げた。

なるほど、徹底されているなと私は思った。

聖女と一般人だったら絶対的に聖女の方が強い。

もし悪い聖女に「他の聖女の情報を教えろ」と言われたとしたら、一般人のアイラさんが抵抗することは不可能なのだ。


「わ、分かりました。また今度お願いします」


頭を下げて私は聖女支援課を後にしようとする。


「立花様、お待ちください。この後は寮と学校の案内がございます。何か急ぎのようがおありでしたら案内は後日とさせていただきますが……」

「学校と寮!?」


反射的にアイラさんの言葉を繰り返してしまう。

知らない街に来て学校に転校するのは異世界ファンタジーものの王道展開。

ギルドで力を測って俺ツエーな展開が来て内心喜んでいたのも束の間、さらなる異世界ファンタジー展開が舞い降りてきたのだ!ここは異世界じゃないけど。


「何も予定はありません! あ、案内よろしくお願いします」


前のめりになって、私はアイラさんの手を取った。

小説とかの中で学校に転入するイベントだと、大抵ここで新しいお友達ができる。つまり、白百合ちゃん以外の友達ができるかもしれないと言うことだ。

ふひひと、気味の悪い声が思わずこぼれてしまう。

こんなに幸せでいいのだろうか?


二つ返事で了承した私に若干引き気味なアイラさん。

彼女は作り笑いを浮かべて階段を降りていくのだった。

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