第18話
ゼカリヤの部屋の扉を開く。
私の目に飛び込んできたのは、歴史を感じる茶色く四角い机がひとつに椅子が一つ。
そして、私の背の高さくらいの本棚が二つ壁に接していて、他には本当に何もなかった。
整理が行き届いているといえば聞こえはいいかもしれないけど、それ以上に生活感が一切なかった。
たぶん、歴代の聖女もここで生活をしていたわけではないんだと思う。
本当に、日記を書くためだけの場所としてここが使われていたことを私は感じ取った。
室内は地下だというのに湿っぽくなく快適だった。
「ええっと、日記……だよね。本棚にあるかな」
私は独り言を呟くと本棚に手をかけた。
はじめに一冊の分厚いファイルを取ってみる。
一番日記ぽくなかったけれど、なんだかそれが気になった。
ファイルを開いてみると、そこには葉山結衣の名前があった。
閉じられている紙は私がさっき書いた履歴書に告示していた。
「あっ、ここに私の履歴書を閉じとけばいいのか。ここに閉じられている名簿が……これまでゼカリヤの聖女だったって……こと?」
ペラペラとファイルを捲る。
ちらほらと日本人もいたけど、英語で書かれた名前がやはり一番多く、たまによくわからない口をへにゃっとさせた形をした言語……たぶんロシア語で書かれた名前の人も稀にあった。
そして最後に、葉山結衣の経歴に戻った。
「葉山さん、どんな人だったんだろう……」
彼女の経歴に目を通す。
葉山結衣、14歳。女。
福島県いわき市出身。
いわき市立藤波中学校在中。
住所とかも書いてあったけどそれはさておき、彼女は福島の出身だったらしい。
私は大宮出身だから、彼女は自分のホームから南下してきたということか。
「本当に中学生だった……まだ中学生だったのにどうして……」
私は胸が苦しくなって唇を噛む。
彼女が何をしたというんだ。どうして、彼女が死なないといけなかったんだ。
「そうだ……日記……」
歴代聖女の名簿を一旦閉じて本棚に戻す。
そして本棚の4分の3を占めているノートたちに視線を移した。
歴代の聖女が日記をつけていたとして、とんでもない量だ。
適当に真ん中ら辺の一冊取ってみると、1835年と書いてある。
随分昔から、聖女は続いているらしい。
色的にも場所的にも一番新しいと思われる、右側の本棚の中段くらいのノートを一冊手に取った。
ノートの表紙の年号は今年のものだった。
「これが一番新しい日記……私はこれに続きを……それに葉山さんのことも書かれているかもしれない」
ノートを持って、私は椅子へと腰掛ける。
机の上にノートを置くと、ごくりと唾を飲み込んだ。
日記を前からめくってみる。
すると1ページ目から、いきなり葉山さんの日記がつけられていた。
日付は、今年の初め……1月1日だった。
『死んだと思ったら生き返って、でも救いはなくて、これからどう生きればいいのかわからない。あのまま崖から落ちて死んでおけばよかった』
そのページにはそれしか書かれていない。
日記と聞いて少し身構えていたけど、これくらい短くてもいいらしい。
「葉山さんも私と同じ……死にそうになったところで聖女に……」
崖から落ちた経緯については書かれていない。それが人為的なものなのか、事故なのはわからない。だけど、彼女も死ぬ直前に神様に祈ったはずだ。だから崖から落ちたのが彼女の意思ではないことははっきりしていた。
ページを捲ると、次の日付は1週間後だった。
『私が数日いなくなったことで両親はかなり心配してくれた。あまり自分に興味がなかったと思っていたから、少し嬉しくなった』
葉山さんの日記は短い。そこから1ページに数行ずつ書かれた日記が続いていった。
『教会学校の授業はそこそこに面白いけど、色々辛い。私の街にも魔女がいると思うと、生きた心地がしない』
『家から教会の学校に通うのは大変すぎる。移動に1日かかってしまう。それを言ったら、魔女の工房を通っていけと言われたけど、長崎に到着した後、そんなもの見つからない』
『後1週間で私の寿命がきてしまう。魔女を倒さないといけないのはわかっているけど、怖い。すごく怖い。どうせ死ぬなら、家の近くで死にたい』
『初めて魔女を倒せた! 書いている今も心臓がバクバクしている。初めて倒した魔女は、大きな三角帽子をかぶって空を飛ぶ醜い顔の魔女だった。空を飛んで上から火の玉を飛ばしてきたけど、ゼカリヤで水のカッターを作って応戦した。数の勝負になったけど、最後には私の根気がちで魔女の体を真っ二つにした。自分に自信がついてきた』
少し長い日記だった。
葉山さん初めての戦いで魔女を倒せたんだ……筆圧がこの日はすごく強くて、興奮具合がひしひしと伝わってきた。
そして、また1週間後の日付がくる。
『また魔女を倒した。今度はローマ市内の魔女だ。私と同じ水属性の魔女で、クラゲみたいなスカートをひらひらさせながら攻撃を防いできたけど、水でワニを作って食べてやった。ギリギリ倒せたけど、日本で倒した三角帽子の魔女より断然強かった』
『私は魔女を狩るのは意外と得意であることがわかった。ゼカリヤは強い。魔女といえど元は人間だ。顔を水で覆ってやれば、呼吸を止めてあっさり殺すことができる。私はこれをウォーターバインドと名付けて使っている』
そこから先、しばらく葉山さんが倒した魔女のレビューが続いた。
何体か、ローマやヨーロッパ内の魔女の討伐報告が書かれていたけど、葉山さんはできるだけ日本で魔女を狩っていたようだった。
どうやら、日本の魔女の方が弱いらしい。これはいいことを聞いたかもしれない。
日記をめくっていき、ついに彼女の最後の日記にたどり着いた。
それはこれまでのただの日記ではなかった。それはアイラさんの言っていた、知識の継承だった。
『最近、私の街にも魔女が増えてきた。授業で習った不休の魔女が近くにいるのかもしれない。お母さんとお父さんを守るためにも、もう教会には戻ってこないかもしれない。だから、私の知っているゼカリヤの技を全てここに書いておく。ウォータードラゴン:水を龍の形にして飛ばす攻撃。これは龍でなくてもよくて、とにかく強いものをイメージしてそれを水で再現する技。もちろん強いものをイメージすると威力が上がる。虎とか、ワニとか他にも強そうなものをイメージしたことはあるけど、私は一番龍が強かった。ウォーターバインド:水球で敵の頭を包み込む技。窒息死させられるため非常に強力。でも、相手が弱っている時に使わないと、すぐに解除されてしまうから効果がない。ウォーターカッター:水を細くして打ち出す攻撃。三日月をイメージして攻撃すると、上手くいく。あまり強くはないけど、牽制に使える。ウォーターウィップ:水で鞭を作る技。攻撃には向いてないけど、ものを動かすときに使える。瓦礫をこれで投げれば目眩しになる。水の噴射での移動:特に名前はつけていないけど、足とか手から水を出してその勢いで空を飛ぶことができる。最初バランスが難しいから手からの噴射で練習したほうがいい』
みたことのある技がいくつかある。戦いの中で彼女が編み出したオリジナルの技たちが書かれていた。
「葉山さん……お母さんたちを守るために地元に帰ってそのまま寿命が来ちゃったんだ」
私が襲われたのは、魔女を探すときにたまたま新入りの聖女を見つけてしまったからだろう。
聖女のレベルにもよるけど、魔女よりも聖女になりたての人間の方が簡単に殺せそうだし……
葉山さんの日記を読んでいて気づいたけど、彼女は早苗さんの工房の場所を知らない。
長崎から先、飛行機に乗るなり走っていくなりして地元に戻っていたら、確かに教会に行くのは面倒だっただろう。
「私は白百合ちゃんがいたから、教会への近道を知れた。これってかなり恵まれていることだったんだね……白百合ちゃんには頭が上がらないや」
そもそも、聖女になってものになってしまったこと自体恵まれていないといえばそうなんだけど、こういうのって不幸中の幸いというんだと思う。
私は、彼女の日記を机に置いて、両手を合わせた。
たぶんこれは仏教のお祈りの方法なんだと思うけど、私はこれしか知らない。
彼女が天国で安らかに生活できることを願った後、私は本棚の下の方に置かれていた鉛筆を一本取って日記を書いた。
『葉山さん、お勤めご苦労様でした。あなたからもらったこの力で街の平和を守ります。安心してお休みしてください』
短くそう書くと、私は日記を閉じた。
たまに葉山さんの地元に顔を出そう。彼女が守った街を、私も守るんだ。
小さくそう決心すると、私は部屋を後にするのだった。
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