第13話

旅に必要なものはなんだろうか。

例えば修学旅行などであれば着替えとお金と旅のしおり、それにお菓子や筆記用具などでカバンがパンパンになるのだろうけど、今回ばかりは事情が違った。

行き先は海外だと聞いているし、お金は持っていったところで何の役にも立たなさそう。

では旅のしおりはといえば、突発的に起きたこの旅にそんなものもない。

そして肝心の着替えも、教会とやらにつけばそちらで用意があると言われてしまった。

結局、白百合ちゃんは旅の準備をとか言っていたが、実際のところ私に必要な準備とはただの心の準備だけであった。


時刻は朝5時。

眠い目を擦りながら玄関を出ると、すでにお父さんと白百合ちゃんが私を待っていた。


「おはよう理子。家族とのお別れは済んだ?」

「お、お別れって……そんな大袈裟な。それにお父さんは一緒なわけだし」

「そう? まあいっか。それじゃあ理子のお父さんも行こうか。お父さんは理子が運ぶ?」

「運ぶ……?」


まさかお父さんを抱えて移動しようとでもいうのだろうか?

そんなことはないだろうとは思っていたんだけど


「そうだね。ほら、君のお父さんは一般人だし、私たちのように早く走れないからね」

「そ、そうですか」


案の定、足での移動だった。

というより、まず私はどこに行くのかも聞いてない!

そんな心配を見透かされてか、白百合ちゃんは今日の予定について説明した。


「それじゃあ、まずは富士の樹海に行こう」

「いきなりそんな危険な場所に!?」

「理子、あそこは自殺者が多いってだけで、別に危険な場所ではないんだよ?」

「そ、そうなんだ……てっきり私、危ないのかと……」

「やはは、お父さんの言う通りだね。余程、魔女の方が危険さ。そして、樹海に行き、一度魔女の工房に入ろう。そこから長崎まで飛ぶ。それで長崎でまた工房に入って……」

「ちょっと待って! 工房に入るって……それこそ樹海より」


そんな恐ろしいところに入るなんて! 最初、白百合ちゃんが急に気でも狂ったのかと思ったけど、彼女の様子的にそう言うわけではなさそうだった。


「まあ理子、行ってみればわかるよ。ほら、お父さんを背負って。早く行くよ」


お父さんを私に押し付ける。私におんぶされるのは抵抗があったみたいだけど、ついには折れて私の背中に乗った。


聖書の力でパワーアップした私は、大人の男の人1人を軽々に持ち上げられる力があった。お父さんの体重が何キロかわからないけど、少なくとも私にはリュックサックを背負うくらいの感覚で、お父さんをおんぶできていた。随分力持ちになってしまったものだ。


白百合ちゃんの背中を追うようにして走り出す。

住宅地を抜け、大きな道路に出る。

朝早くだったこともあり、走っている車はいなかった。

空はまだ暗い。夜のようだ。まるで夜中出歩く非行少女になった気分で心臓に悪かった。

つい先日まで非行少女にいじめられていた私がまさか彼女たちのようになってしまうだなんて……

途中車を数台抜かしながら本道をしばらく走り、私たちは高速道路に入った。もちろん、お金は払ってない。


「どうして高速?」

「やはは、そんなの走りやすいし道に迷いにくいからに決まっているじゃないか」


白百合ちゃんは当然のようにそういった。

もっと住民の迷惑にならないように……とかそういう理由があるのかと思ったけどそうではなかったらしい。

彼女の言う通り、高速道路は走りやすかった。

一般道に比べて障害物の少ないし、ご丁寧にも一番左側に私たちが走るためのレーンが用意されていた。

まさか国がらみで聖女を匿ってるとか……と思ったけど、背中のお父さん曰く事故が起きたり車に以上がでたときなどに使うためのものなんだって。

確かにそういう場所がないと不便だよね。


そんなことを考えているうちに、私たちはついに都心部にまできた。

高速道路は高い位置にあるけど、周りにはもっと高い建物が並んでおり、朝日がかすかにビルの谷間から漏れていた。

朝が来るのを見るのは初めてだった。

ありきたりな感想だけど、空の紫色と下から湧き出る黄色のコントラストが綺麗だった。これまでの私は下ばかり見ていたからこんな景色があるだなんて気付かなかった。

もしかすると、私たちの世界は実はちょっぴり素敵だったのかもしれない。


都心部を抜けて、全面に緑が広がる変わり映えのないを走る頃、空はすでに明るくなっていた。

時間を確認すると、6時だった。

もう1時間も走っていた。

だというのに、私は全然息が上がっていない。白百合ちゃんも同様だった。


「どうして私たち疲れないの」

「うーん、聖書で単純な体力まで強化されているからかな。それと、魔法を使ってないからかもね」


答えを知っているわけではないようだった。聖女の能力には謎が多いみたいだ。

白百合ちゃんが思っているように、魔法を使うと疲れるというのは聖女の共通の認識らしい。

この間の戦い──キャンディーの魔女との戦いの中でも私はそれを実感した。

魔法を使いすぎて、急に全身の力が抜けたのを覚えている。今度は気をつけて戦わないといけない。


そこからしばらく走った後、ついに私たちは富士山の近くにまでたどり着いた。

いつも遠くに見えていた日本で一番大きな山は近くにまで来てみると圧巻だった。


「行くよ理子。私を見失わないようにしてね。見失ったときはその場を動かないでおくれよ。ベミドバルで探すからさ」

「う、うん。便利な聖書だね」


私を発見したのも聖書のおかげだと言っていたし、すごくいい聖書を手に入れたんだなと漠然と思った。

私の聖書にもそういう便利機能があったらよかったのに……って怪我を治せる能力以上を望むのは欲張りかも。


森に入り、白百合ちゃんはぴょんぴょんと木の枝の上を跳ねていく。

人間だったら絶対できないような跳躍力で、私たちは着実に森の中を進んでいった。

時折聖書を開きながら彼女は走り、10分ほど走ったところでついにその足を止めた。


「ついたよ。ここが一つ目の目的地さ」


彼女が目的地と呼ぶそこはただ何もない森の一部だった。

何か目印があるのかと目を凝らしてみたけれど、やっぱり何も見つからなかった。

必死にそうしていると、白百合ちゃんはやははと笑った。


「やはは……探しても無駄さ。理子の家でもそうだったじゃないか」

「確かに……」

「でも、理子は聖女だから魔力を感じ取れればぼんやりと位置が分かるはずだよ。私ほど上手くはいかないにしてもね」


そういうものなのかなと半分疑念があったけど、白百合ちゃんを信じて魔力というよく理解できないふんわりとした力をイメージして、その痕跡を辿る。

そうしてみると、何もなかったはずの空間にぼんやりと輪郭が浮かんできた。


「わっ、これが……工房の入り口」

「どうやら見えたようだね。お父さんには見えてないでしょ?」

「ああ、私にはさっぱりさ。理子はすごいな」

「そ、そうかな?」


お父さんに褒められて思わずテンパる。久しぶりに会えたのもあって、すごく嬉しかった。

私たちに構わず、白百合ちゃんは早速工房に手を入れた。


「よし、入ろう。別にここが目的地ってわけじゃあないからね」


そして彼女は工房の中に飛び込んだ。私は心の準備ができてからお父さんと一緒に何もない空間へと入っていった。

真っ白な光が視界を包み込み、少し時間を空けてから景色が鮮明になっていく。

富士の樹海から飛び込んだ魔女の工房は……完全に和室だった。


目測で60畳ほどもある大きな畳の部屋。周囲は襖で囲まれており、天井は低かった。

日本人なら懐かしさを覚えるその部屋の真ん中で、和服を着たおかっぱのコケシのような少女がちゃぶ台でお茶を飲みながらテレビを見ていた。

なんの番組かは分からなかったけど、それはアニメだった。きっとテレビ横に山積みにされている箱はDVDのBOXだと思われる。

年齢は……私と大して変わらなそうだ。女子高生と言われればそうとしか思えなかった。

少女はこちらに気がつくと、テレビの音を下げてお辞儀した。


「これは白百合はん、今日はなんの用どす?」


はんなりだった。想像以上にはんなりだった。はんなりオタクだった。

そして、何やら白百合ちゃんとは知り合いのようだ。

魔女とは思えない容姿の彼女に、白百合ちゃんは懐からタブレットを取り出し、親しげに話し出した。


「やはは、いつも通りちょっと工房を貸してもらおうと思ってさ。ちょっと教会まで仕事があってさ」

「それは難儀やなぁ。それで、後ろの子達はなんなん? まさか貢ぎ物なんて言わへんよねぇ?」

「いやいや、君人間襲わないでしょ。聖女とその家族だよ。彼女たちを教会に連れてくのが今回の仕事、そして君への貢ぎ物は……」


そこで白百合ちゃんはタブレットをはんなり少女へと手渡した。なんというか、今のやりとりが魔女の工房で行われていると思うと信じられない気持ちだ。

少女はタブレットの中身を確認すると、露骨に嫌そうな顔をしていた。


「ちょっと白百合はん、これは何どす?」

「なんか上が金使いすぎだとか何とかで文句を言っててさ。チェックしてた前期アニメは入れといたから。これで我慢してよ」

「えー、うち嫌やわ〜。円盤で見るからええやんか! それにうちが円盤買わないと二期が作られない可能性だってあるんよ? どうして分からへんかなぁ〜。そうや、今度北海道にでも入り口作るから、それで予算増やすよう交渉してくれへん?」

「これだからオタクは……」

「なんか言うた?」

「やはは……頑張ってみるよ」


会話にひと段落ついたところで、白百合ちゃんはおかっぱ少女を紹介した。


「理子、紹介するよ。彼女はサナエ。この工房の主人さ」

「は、初めまして……立花理子です」

「丁寧にどうもです〜。うちはサナエ言います。魔女になる前は兵藤早苗って名前やったさかい、サナエとか兵藤はんって呼んでや」

「なら……サナエさんって呼びますね」


ニコニコした表情でサナエさんが接してくるので、私は一歩引き気味に答えた。

あまりぐいぐいくるタイプの人は……苦手かも。

疑問がありすぎるので白百合ちゃんの肩をつついた。


「白百合ちゃん……どう言うことなの? 魔女はもっと正気を失ってるとか何とか……」

「ああ、そんなこと言ったっけ。あれは正しいよ。この子が特殊なのさ」

「なになに〜? うちがどうしてこんなまともか知りたいんやろう? 理子はん」

「あっ……それは……まぁ……」


サナエさんはコソコソ話していたのに割り込んでくる。

目はキラキラしていて話したいという気概がひしひしと伝わってきた。

ちゃぶ台まで手招きされたので、私はよそよそしい態度で正座した。


「何でまともか言われれば、うちが特別やからやね。うちはフィコ様の教徒なんどす。ほら、普通キリスト教徒を無理やり魔女化させるやろう? うちはそれとはちゃうんどす」

「えっ、キリスト教を魔女化……?」

「やはは……まだ理子はそこらへんの話を知らないんだ。ごめんね」

「そうなん? それは早とちりやったねぇ。なら、学校で勉強したらうちの言うた意味がすぐに分かる思うで? 分かったら、また仲良くしよな〜」


はんなりとした雰囲気でサナエさんはそう言った。

差し伸べられた手を握り返し、私は苦笑いする。

学校って……そんなの授業で習うわけないじゃないか……と私は心の中でツッコミを入れつつも、勢いに押されてうんうんと頷いた。


もう一度兵藤早苗──サナエさんを頭から足先まで観察する。

何度見ても、彼女が魔女には見えない。もしかして騙されてるんじゃないか?とも思ったりしたけど、確かに少し魔力は感じる気もするし……

私は再びこっそり白百合ちゃんに耳打ちした。


「白百合ちゃん、この人本当に魔女……なの?」

「もちろんさ。十戒から力を受けた点では同じだからね。まあ経緯があれだから、そこらの魔女より何倍も強力だし」

「つ、強いんだ……あんまりそうは見えないけど……」


アニメ見てばっかりだし。可愛らしいし。

私はキャンディーの魔女のことを思い出す。やつは見た目も、対峙したときの威圧感も凄かった。目の前で立つだけで足がすくむような恐ろしさがあった。

だけど、サナエさんにはそのような感情が湧いてこない。

確か白百合ちゃんはキャンディーの魔女は教会の強い聖女を呼ばないといけないとか言っていたくらいだし、私が初めて会った魔女がちょっと強すぎただけかもしれない。


「なになに〜? またうちの話しとったやろ〜?」

「あっ、えっと……ごめんなさい」

「ちゃんと聞こえとったで。うちが強いか気になるんやろう?」

「それは……というより。本当に魔女なのかな……って」


控えめに私は言った。彼女は怒ってはない様子だった。

ただ少し……嬉しそうな表情をしているように、私は感じた。

そして、なぜか慌てたように白百合ちゃんは話を断ち切ろうとした。


「じゃ、じゃあサナエ。私たちはもう行くよ。それじゃあ……」

「いやいや〜待ってくれへん? そんな新人さんを手ぶらで返したら、うちの矜持に反するやん」

「いや、本当に大丈夫だか……」

「理子はん? うちはちゃんと魔女やさかい。魔女らしい活動もするし魔女らしい力も持っとるんよ?」

「そ、そうですよね。ごめんなさい。失礼なこと言って……」


ペコリとお辞儀をすると、サナエさんはクスクスと笑った。

口元を押さえていたけど、頬は吊り上がってにやけていた。

何やら事態がおかしな方向に進んでいるのを私は感じながらも、時すでに遅しだった。


「ええの、ええの! それより、うちが強いか気になってたんやろう? じゃあ心配することあらへんよ。だってここはうちの工房どすえ? 弱くなる方が……難しいやんか」


瞬間、彼女の魔力が爆発した。

先ほどまで魔女なのか怪しい小さな気配だったそれは、一瞬のうちに私の心臓を跳ね上がらせる。

私が急いで正座を解いて後ろへ飛び逃げたあと、サナエさんはゆっくりと立ち上がった。

弱くなる方が難しい……それは力を抑える方が難しいと言うことか!

白百合ちゃんは頭を抱えると、お父さんの手を握った。


「うちは兵藤早苗いいます。フィコ様の教徒で出身は京都、歳は永遠の17歳。趣味はアニメ鑑賞と……新人いびりどす」


パチンと少女が指を鳴らす。

私の足元の畳が一畳スッと消え、暗い地の底へと落ちていくのだった。

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