第8話
「私たち以外に誰かが……?」
ぎゅっと拳を握って緊張感を高める。
もしかしたら、ここの魔女を狩りに来た別の聖女かもしれない。
魔女を倒すと聖女の寿命が伸びるという話は聞いた。
だとすると、聖女間で魔女の取り合いが起きても不思議じゃない。
「ど、ど、どどうしよう! 白百合ちゃん、早く魔女を倒しに行かないと先に倒されちゃう!」
「ん? ああ、確かに聖女同士で魔女の取り合いをすることはあるみたいだよね。でもそこは気にしなくても大丈夫さ」
「え、何で!? 私実践経験ないし、競争になったら……」
「やはは、違う違う。君は勘違いしてるよ。この工房に紛れ込んだのは聖女じゃなくて一般人さ。まあ、魔女に誘拐される一般人というのはよくある話だからさ、一応助けておく?」
「あっ、そうだったんだ……ふぅ……よかった。……って良くない! その人を助けないと!」
紛れ込んだのが敵じゃないことがわかったのも束の間、事態はもっと危ないことになっていたらしい。
私は思わず声を大きくして白百合ちゃんの肩を掴んだ。
「やはは、随分正義感が強いんだね。そういうところも、聖女向きだと思うよ。聖女ってものはさ、基本正義感が強いものなのさ。正義を背負って悪と戦う。それが私たちの本質さ」
「こ、これくらい普通だよ! それよりその人の場所は……!」
「はいはい、こっちだよ」
白百合ちゃんはこれまで通り気怠げな口調で私を案内した。
どうやら彼女は魔女の住処に一般人がいることをそこまで大ごとに捉えていないらしい。
よくあると言っていたし、もうこれくらいじゃ驚かないのかもしれない。
甘ったる匂いの充満する工房の中で、私たちは中央に開いた大穴を沿うように設置された板チョコの階段を歩いた。
階段を降りながら、私は壁の側面にいくつも穴が相手いることがわかった。
横穴があるみたいだ。
「ねえ白百合ちゃんあれ、穴が空いてる」
「そうみたいだね。ちなみに、反応によるとこの横穴に一般人は隠れてるって聖書は告げてるよ。にしても規模があるなこれは」
階段をその後も歩いていると、白百合ちゃんは横穴の前でピタッと足を止めた。
穴の中に注意してみると、中から川のせせらぎのような音が聞こえてきた。
「ここみたいだね。さっさと回収して一回工房を出よう」
「う、うん。私の家で匿うのは……ちょっとお母さんが許してくれなそうだけど、とにかく助けないと……」
「やはは、そこは安心していいよ。工房に入ってしまった一般人は一度上に連れて行く決まりになってるからさ」
上、ということは彼女の上司、というか管理する人がいるってことなのだろうか。
確かに、葉山さんは水を操って地面とか抉っていたし、あんな危ない力を持つ人間がいたら、それを管理する人がいて当然かもしれない。
一先ず安心したところで、私たちは一般人がいるという横穴に入っていった。
しばらくの暗い道を抜けたあと、私たちは明るくてこじんまりとした空間へ行き着いた。
驚いたことにその小さな空間には小さな滝があって、およそ4畳くらいのオアシスができていた。
そして、オアシスの近くには黄色いTシャツが干されており、なんとも生活感があった。
確かに人がいた気配はあるが、姿は見えない。隠れているようだ。
「やはは、これは間違いなく誰かが住んでるね」
「う、うん」
「おーい、安心して。助けに来たよー。怖い魔女じゃないから安心してー」
「さ、白百合ちゃん? そんなこと言ったら出てきにくいんじゃ……」
「いやいや、こんな知性のある魔女ってそうそういないからさ。人間だってわかってくれるはずさ」
「本当かなぁ……」
疑い深い目で彼女をみる。
確かに、白百合ちゃんと私は魔女じゃないけど、それを信じてもらえるのだろうか……?
というか、私はいまだに魔女の姿を見たことがない。
彼女の口ぶり的に魔女って根本的に人間と姿形が違うんじゃ……
「た、助かった……」
そんなことを考えていると、滝の向こう側から男の人の声がした。
滝の裏に隠れていたのか!
漫画とかでありがちな展開に少し興奮しながらも、私は滝から出てくる人影に注意した。
私の聖女になって初めての人助けだ。
第一生還者の顔をこの目にしかと焼き付けねば……
「えっ……あなたは……」
「いやぁ、もうダメかと思いましたよ。言葉が通じるし自衛隊…………って、理子? どうしてこんなところに?」
「お……お父さん!?」
状況が飲み込めない。
滝の裏から現れたのは死んだはずの人間だった。
丸い眼鏡をかけて灰色のメッシュの入った髪。
随分と髭が伸びたお父さんはパンツ一丁で目を丸くして私を見つめていた。
*
死んだはずの父が目の前に現れ、私の目からはじんわりと涙が流れた。
「お、お父さん……死んだと思ってたのに……」
「おいおい勝手に殺さないでくれよ。ご覧の通り、お父さんは元気だよ。少し太ってしまったけどね」
「葬式までしちゃったのに……!」
「えええっ!? お父さん死んだことになってるの!?」
「やはは……君のお父さんは随分とお気楽だね」
感極まって私は裸のお父さんの胸に飛び込む。
お父さんの胸板は私の知っていた頃のものより少しぷにっとしていた。
少し太ったというのは本当のようだ。
脂の乗ったお父さんは私の頭にポンと手を置くと優しい目を向けた。
「理子、心配かけたね。ところで、ここまでどうやって来たんだい? 確か理子の中学は修学旅行は京都だからビザは取らなかったはずだよね?」
「えっ、ここは日本だけど……」
「そんなわけがないだろう。お父さんはメキシコに出張に行っていたんだよ? 旅費は結構かかっただろう。遭難した際の手当って会社であったかなぁ。とにかく旅費はお父さんが払うよ」
「ちょ、ちょっと待ってもらってもいいかな? もしかすると結構ヤバいかもだからさ」
どうにも噛み合わない会話をしていた私たちの会話に割り込んで、白百合ちゃんは慌てた様子でそう言った。
「どうしたの白百合ちゃん?」
「いやぁ、お父さんに確認したいことがあってさ。少し質問いい?」
「もちろん。君は命の恩人だからね。なんでも聞いておくれ」
「まず確認だけど、聖女って知ってる?」
「それはもちろん。分野違いといえどそれくらいの歴史は知っているよ。キリスト教においてなんかしらの偉業を打ち立てた女性のことだよね。代表的なところだと、カトリックのマザーテレサやジャンヌダルクがいるよね」
「あっ、マザーテレサは国語で勉強したかも……」
「そういえば国語の教科書にも載っていたね。漫画や小説ではジャンヌダルクがよく取り上げられるけど、1番有名な聖女は実はマザーテレサかもしれないね」
「あはは……確かにそうかも」
私は小さく笑う。久しぶりの感覚だった。
思えばお父さんが家に帰って来たときはこんな感じで私たちの知らない話をしてくれていた。また弟とお母さんと一緒にお父さんとお話ししたい。
きっと家族も元の形に戻ってくれるはずだから……
温かい気持ちになった私と反対に、白百合ちゃんは冷や汗をかいていた。
「どうかしたの?」
「やはは……これはまずいことになったね。お父さん、あなたは本当にメキシコにいたんだよね?」
「ああ、それは間違いないよ。メキシコの遺跡に調査に来ていたんだ。そこで森の中に入ったところで他の調査隊とはぐれてね。気付けばこんな不思議な場所に迷い込んでしまったというところさ」
「白百合ちゃん、私も気づいちゃった。確かに変。魔女の工房って日本とメキシコを繋ぐほど大きいんだね」
「そこだよ、そこ。普通ね、よわっちい魔女なら入り口は1つ出口は入り口と一緒。出口入り口が複数ある魔女もいることにはいるけどさ、それが国を跨ぐとなると話が変わってくるのさ」
そういえば白百合ちゃんは規模の大きな工房には強い魔女がいると言っていた。
ということはここの魔女ってすっごく強いんじゃ……
「私苦手なんだよなぁ……私に対して当たりが強いし。まぁ、ご主人様の後継ぎがこんな出来損ないじゃあ頭にくるのもそうか……それに私は」
「白百合ちゃん? 何の話?」
「やはは、ただの愚痴さ。私だって苦手な人はいるんだよね」
「そ、そうなんだ」
「とにかく、彼女を呼ぶしかなさそうだね。教会の最大戦力、最強の使用人──テレシアをさ。あっ、呼び捨てにしたのチクらないでね」
テレシア?聞き覚えのない名前だ。
私は聖女になったばかりだからそこらへんの事情は詳しくない。
きっと強くて有名な聖女さんなんだと思う。
あれ、ちょっと待って。
もしそんな強い人を呼んだとしたらここにいる魔女は……
だめだ。それはダメだと……思う。
「待って、白百合ちゃん。その強い人は呼ばないで」
「どうしてだい? 確かに私は彼女のことが苦手だけどさ、安全策をとるならこれが1番だよ」
「ここの魔女は私が倒さないといけない……そう思うの」
そうだ。ここの魔女は私たち家族とお父さんを引き離した。
私が倒さずに誰が倒すというんだ。
いじめられ、現実に絶望し、神に祈る……その最後にたどり着いたのが1ヶ月の寿命という呪い付きの聖女になるという結末。
目の前で聖女になった女の子がその寿命とやらで命を落とした。
だから、私の寿命もこのままだと1ヶ月というのは間違い無いんだと思う。
魔女を倒さないと私はいずれ死んでしまう。
だったら私が最初に倒すべき魔女は……ここの魔女だ。
私の家族を滅茶苦茶にした……憎き魔女だ。
私の強い意志を感じてか、白百合ちゃんはため息をついた。
「やはは……確かにそうだよね。ここの魔女は君が倒すべき魔女だ」
「う、うん」
「だったら、私も手伝うよ。聖女になりたての君を放っておけないしさ」
「ううん。大丈夫だよ。白百合ちゃんはお父さんをお願い」
「やはは、気にしないでいいよ。私が死んで悲しむ人はいないけど、私が死んで喜ぶ人はわんさかいるからね。せめて誰かの役に立って死にたいのさ」
「……白百合ちゃんが死んだら私が悲しいよ」
我ながら歯の浮くようなセリフだったと思う。
白百合ちゃんは麦わら帽子で顔を隠すとくるりと後ろを向いた。
「そう言ってもらえるだけで嬉しいよ。尚更……君に命を捧げる意味があるってものさ。さて、行こうか。お父さんは私は家に送り届ける。それが終わったらすぐに合流するよ」
「あ、ありがとう白百合ちゃん」
「理子、一体何の話をしているんだい? 死ぬだなんて物騒な」
「お父さんは気にしないで。全部解決して……おうちに戻るから」
私は精一杯お父さんに笑顔を振りまいてそう言った。
お父さん知ったらきっと驚くだろうな。
私がこのままだと近いうちに死んじゃうってこと。
だから……お父さんには内緒だ。
これは、私が自分で解決してみせる。
「それじゃあ手筈通りに行こうか。それではお父さん、私についてきてよ」
お父さんはまだ疑問が残っていたようだけど、白百合ちゃんが半強引に手を引いていく。
これでいい。お父さんが助かることがまずは第一だ。
3人で工房の横穴から抜け出そうとしたそのときだった。
私が一歩横穴からでたところで、白百合ちゃんはお父さんの手を引き一歩下がった。
白百合ちゃんの聖書は『ベミドバル』──索敵能力の聖書と言っていた。だから、きっと敵の襲来にもすぐに気がついたんだろう。
私は気づかなかった。
「KYAHAHAHAHAAAAAAAAA!!!!!!」
エコーがかかった甲高い声が耳をつんざく。
不意に私の目の前に、背丈は3メートルはあろうかという顔がぐるぐる巻きのキャンディーで覆われた奇人が現れた。
そして、長く伸びた──飴細工のネイルでチョコレートの足場を切りつけた。
「白百合ちゃん! お父さんを!」
「おうともさ! すぐに合流するよ!」
心の準備はまだだというのに、戦いは始まってしまった。
魔女というのを見たことがないけど、直感的にこのお菓子魔人が魔女であることは理解できる。
だってこんなの人間じゃない!
激しく鼓動する心臓を押さえながら、私は呪文を唱えた。
「アーメン!!!!!」
私の身体は光に包まれ、聖書は外套と杖へと変貌する。
そしてそのまま、私は工房の地下深くへと落ちていくのだった。
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