第7話
────立花理子の家の前
麦藁ワンピースの少女──九重白百合ちゃんが家の前で足をぴたりと止めた。
「ここが君のお家であってるんだよね」
「は、はい。そうですけど」
私は当然こくりと頷いたけど、彼女は何やら微妙な面持ちだった。
「どうかしたんですか?」
「やはは……昨日は君が家にいたから気がつかなかったんだよね」
「……ん?」
「ほら、これを見てよ」
白百合ちゃんは聖書を開く。
彼女の後ろからそれを覗いてみるとそこには血で書かれた地図がかかれており、さらにその中に一際赤く大きく光る点が2つ──そしてもう1つ、それより小さな赤い点があった。
「これが私の聖書──『ベミドバル』。聖女や魔女、そして魔女の工房を知ることができる、探索能力の聖書さ。あっ、探し物とかもできるよ」
「探索能力……聖書にはそんな特殊能力があるんですか?」
「その通り。それも本によって違うよ。君の聖書は治癒能力の聖書みたいだね」
「は、はい」
先ほどのことを思い出しながら私は首を縦に振った。
さっきの葉山さんとの戦いでも、この治癒能力がなかったら私は今ごろヤクザもんになっていたところだ。
私は自分の聖書を開いてみたけど、確かに白百合ちゃんの聖書のような地図はどこにも見当たらなかった。
私の聖書はやはり治癒能力はあっても探索能力はない。
「それで、私の聖書によるとここに3つの反応があるのさ。その内、2つは君と私だね。この大きい光のところ」
「あっ、この2つが私たちなんですか。じゃあ残りのこれは……」
「これは魔女の工房だよ」
「魔女の……工房?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。
工房ってなんだろう。工場的な何か?
白百合ちゃんは聖書を閉じて、見上げるようにして言う。
「工房は魔女の住処だよ。魔女は私たちの住む街で悪さをするけど、普段は工房っていう異空間の中で暮らしてるのさ」
「そ、そうだったんですか……えっ……じゃ、じゃあ……」
最初に魔女と聞いたときに、きっと悪いことしてるんだろうと勝手にイメージしてしまっていたけど、それは間違いではなかったらしい。
話が段々と読めてきてしまった。
この世界には魔女という悪者が存在している。
その魔女は『工房』という異空間を持っていて、その中で普段身を潜めている。
そして……
「やはは、端的にいえばね。君のお家……魔女の工房の入り口になってるよ、これ」
どうやら私がこれまで日常だと思っていたそれは、日常ではなかったらしい。
*
「私の家が……魔女の住処に……?」
「やはは……そうだね。珍しいと思うよ。普通、路地裏とかの見つかりづらいところに工房の入り口を作るからね」
少女は再びやははと微妙な笑顔を浮かべていた。
「最近、不幸なことがあったりしなかった? もしかしたら、君が聖女になっちゃった原因はここに住む魔女のせいかもしれないね」
「それはたくさんありますけど……」
不幸なこと、と言われて思い当たる節は多すぎる。
学校でのいじめ、お父さんの死、それに伴う家庭環境の悪化……これらが魔女によって引き起こされていたかもしれないということ?
そんなことは……考えにくかった。
「でも、私がいじめられたりお父さんが死んだりしたのは……きっと魔女のせいじゃないと思います」
「そんなことがあったんだね。……ご愁傷様。でも、それらが魔女のせいだって可能性は大いにあるのさ」
「えっ?」
「魔女は人を唆す。世の中には不自然な自殺とかあるよね。そういうのの裏には魔女の姿があることも多いのさ」
白百合ちゃんの言葉で私はお父さんのことを思い出していた。
私のお父さんは考古学者だった。だらしなく髭を伸ばしてヒョロっとした体型、丸くて小さいメガネをかけた──私がいうのもおかしいけど変わり者な人だったと思う。
お父さんは仕事の都合上、休日も発掘に出かけたり、長期の休みを取って海外にまで出かけるということはザラだった。
それでも、平日は夜にはちゃんと帰ってきたし、研究で見つけてきた面白い話を聞いて私たちの家族はお父さんが大好きだった。
確かにお父さんが家にいる時間は少なかったかもしれないけど、お父さんが私たち家族を繋いでいてくれていたのだと私は思う。
そんなお父さんは海外の出張中に出先で死んでしまった。正確にいえば、発掘中に遭難してそのまま見つかっていない。
本当に突然のことだった。
最初は遭難してもまたひょっこり帰ってくるだろうと楽観視していた私たちだったけど、1ヶ月、2ヶ月……半年が経ったところで流石に諦めた。
「おーい、大丈夫かい?」
「あっ……ごめんなさい。お父さんのこと思い出してて」
長く考え込んでしまったらしい。
気づけば白百合ちゃんは私のことを下から見上げるようにして心配していた。
「さて、どうしようか」
「ど、どうするって」
「君の家に扉を作った魔女をどうしようかって話さ。君、怒ってるみたいだから」
彼女に言われて自覚した。
私は無意識の内に握り拳をギュッと握っていたのだった。
きっと、私は自分の家庭を滅茶苦茶にした可能性があると聞いて怒っているんだと思う。
まだ自分の感情に実感が湧かない。
だけど、どういうわけか魔女に対する嫌悪感が胸の底から湧いてくるようだった。
「私たちは聖女──しかも特別な、ね。だから大体の魔女には余裕で勝てるはずさ」
「倒せない魔女って、どんな魔女ですか?」
「やはは、それの例えは簡単さ。十戒の魔女──私たち聖女が最終的に滅ぼすべき最強の魔女たち」
「十戒の魔女……」
「十戒の魔女の工房はすでに特定済みさ。そして君の家にできたこの迷惑な扉は……十戒のものじゃない」
つまり、私でも倒せる魔女であるということだろう。
それなら……
「わたし、倒します。もしかしたら、私に降りかかった不幸はこの魔女のせいかもしれないから」
「OK、じゃあパパッと討伐しちゃおっか。どうせ、魔女を倒さないと私たちは死んじゃうしさ」
そうだった。
完全に忘れかけていたけど、聖書を手にしてしまった以上、なにもしなければ私の寿命は残り1ヶ月。
魔女を倒さないと私は死んでしまうんだった。
なおさら……私は家の魔女を倒さないといけなくなった。
白百合ちゃんは私の前を歩く。
ツカツカと歩いていき、庭の端っこに置いてある倉庫の扉の近くに手を置いた。
不思議な感覚だった。
そこには何もない。だけど、確かにそこに扉の存在が感じられた。
「行くよ、準備はいい?」
「……はい!」
大丈夫。絶対、大丈夫。
私は胸の中でそう唱えると、空中にできた歪みに飛び込んだ。
*
一瞬視界がホワイトアウトした後に、私の目の前には奇妙な光景が広がった。
「す、すごい……家の庭にこんなのが作られてたなんて……」
剃り立った岩壁が、まるで大きな穴がぽっかり空いた東京ドームのように私たちを包み込んでいる。
広い空間の中央は窪んでおり、縦穴の壁に沿って大きく円を描いた階段が作られていた。
変わった形をした木々が並び、極彩色の花が咲き、上空に空いた穴からは青空が広がっている。
ここは魔女の工房という室内であるはずなのに、屋外と変わりない開放感だった。
そして、視界情報とは別に強烈に甘ったるい匂いが私の鼻をついた。
「やはは、これはすごい規模の工房だね」
「そ、そうなんですか?」
「そうともさ。私はかれこれ10回以上は魔女と戦ってるけど、こんなに広い工房は始めてさ」
「じゃ、じゃあここにいる魔女はもしかして強いんじゃ……」
「やはは、そうかもね。でも、こっちは2人いるからさ。倒せるんじゃないかな」
白百合ちゃんは臆することもなくそう言った。
適当に言ってみたけど、工房の規模と魔女の強さには相関があるみたい。
本当に倒せるのかな……でも、白百合ちゃんは魔女討伐の初心者じゃなさそうだし、きっと大丈夫だと思う。
白百合ちゃんは近くにあった木に近付くと、幹の皮をピリッと剥がしてそれを口に入れた。
「えっ、食べれるの?」
「まあね。結構このタイプの工房は多いのさ。工房全体がお菓子でできてるタイプ」
「お菓子!? これ全部お菓子なの!?」
先ほどから甘ったるい匂いがしていると思ったら、そういうことだったの!?
お菓子の家って小さい頃から憧れだったし、チャーリーとチョコレート工場の映画なんて5回は見た。
私は地面の草をむしってもぐもぐとしてみる。
「んっ、これは……砂糖菓子かな。よく分からないけど甘くて美味しい。白百合ちゃん、木の皮はどんな味だった……んですか?」
「やはは、無理やり敬語にしなくてもいいよ。私の方が年下だしさ」
確かに言われてみればそうだ。彼女が私より年下なのはみればわかる。
でも、私を助けてくれた白百合ちゃんに不敬でいるのは少し抵抗があった。
「で、でも白百合ちゃんは聖女としては先輩ですので……」
「だったら先輩命令ってことで、年上に敬語使われるのは違和感があるのさ。そして、先輩の毒見によれば、これはチョコレートだね。ほら、君も食べてみなよ」
白百合ちゃんは木の皮を1枚剥がすと私にヒョイと投げる。
齧ってみると、口の中に覚えのあるあの風味が広がった。
「あっ! 本当にチョコレートだ。美味しい。家の近くに魔女が住み着くのも案外悪くないかも」
「やはは、冗談はさておき早速行こうか。魔女退治にさ」
白百合ちゃんは強者オーラを出しながら聖書を開く。
聖書をちらっとみると、彼女は首を傾げた。
「あれっ、この工房」
「ど、どうかしたの?」
「魔女以外の反応がある。つまり……私たち以外にこの工房に誰か紛れ込んでる」
私たち以外の誰か……私は葉山さんのことを思い出していた。
魔女の工房に入り込むなんて、聖女くらいしか考えられない。
白百合ちゃんは私を助けてくれた。
だけど、他の聖女がそうだとは……まだ確証が持てない。
私はゴクリと唾を飲み、緊張感を高めた。
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