第5話

────河川敷 橋の下


「一体なんなの……!」


いくら叫んでも、川の向こうで倒れる少女は起き上がらない。

彼女は死んだ。


「私も……死ぬの……? それに聖書って……この本は……」


分厚い本2冊を前にして、私は膝をつく。

とんでもないことに巻き込まれてしまったのは自分でも理解できる。


どうしようもなくなった私はその場でうずくまっていると、ザッザッと河原を歩く音が聞こえた。

音のする方を見てみると、向日葵をあしらった麦わら帽子を被った少女がこちらに歩いてきているのがわかった。

背丈は私より小さい。先ほどの中学生より少し大きいくらいだと思う。

真っ白なワンピースも相まって、まるで今が真夏とでも言わんばかりの格好だ。


「あ、あなたは……誰?」

「やはは、相当警戒されちゃってるなこれは」

「こ、この声……」


麦わら帽子をクイッと持ち上げると、少女は苦笑いを向けながらそう言った。

帽子からチラリと見えたけど、彼女は金髪だった。

そして、私はそのハスキーな声に聞き覚えがあった。


「……さっき私に助言してくれた人ですか?」

「そうそう。さっきの天の声は私なのさ。言う通りにしてよかったでしょ?」

「…………」


少女は首を傾げて不思議そうに私を見ていた。

さっきのがよかったかなんて……わからない。

確かに私は助かったけど、葉山と名乗った少女は死んでしまったのだから。


「君が気に病む必要はないよ。彼女が言っていた通り、時間がなかっただけだからさ」


そんな私の心を見透かすように少女は言葉を続けた。


「……あなたはこの本のこと、何か知っているんですか?」

「もちろん、知ってるよ。それに君もすぐに知ることになるさ。私はそのために来たんだから」

「えっ、私に会いに……?」

「まあ、正確には偶々君を見つけたってのが正しいけどね。事情が事情だから、一旦君を保護しないとってさ」


少女はまた、胡散臭そうにやははと笑った。


「それじゃあ行こっか。管理局へは不休の工房を借りて行くから、まずは長崎だね」

「待って待って待って! その前に、私の質問に答えて……ください」


彼女に手を引かれたので、声を大きくして抵抗した。

少女はやれやれと言った様子で、麦わら帽子の位置を直した。


「やはは、いきなりすぎたかな」

「いきなりすぎです」

「まあいっか、君が知りたいことは大方予想がつくから色々教えてあげるよ。でも、全部じゃないよ。全部は私も知らないからさ」

「じゃ、じゃあ……教えてください」

「彼女が死んだ理由を知りたいんだよね」


少女は河原に転がっている死体を一瞥するとそう言う。

私はゆっくりと頷いた。


「彼女の言う通り、彼女はもう時間切れだった。聖女には寿命があるのさ……残念ながらね」

「そんな……そもそも聖女って……」

「やはは、そこから説明しないとか。ほら、君も持ってるでしょ? 聖書──分厚い本をさ」


私は胸に抱えていた本を前に出す。


「そうそう、それ。それが聖書。そして、その聖書を手にした者は聖女って呼ばれてるのさ」

「じゃあ……私は聖女なんですか?」

「そういうこと。君は聖女さ。しかも……特別なね」

「特別って……」


質問をしようとしたところで、彼女は微妙な笑顔のまま首を横に振った。


「その話はまた今度にね。今はなんで彼女が死んだのかの話をしないと」

「……お願いします」

「聖女には寿命があるって言ったよね。それは約1ヶ月。だから、君も1ヶ月後には彼女みたいに突然死んじゃうよ」

「そ、そんな……! わ、わたし死にたくないです! どうしたら!」


肩を掴んで私は必死にそう言った。

薄々気づいてはいたけど「1ヶ月後に死ぬ」という事実を言葉にして突きつけられると、一気に焦燥感が込み上げてきた。

少女が痛いと声を上げたところで私は我に還る。

肩を強く握りすぎていた。

少女のそれは細く、抱きしめれば壊れてしまいそうな脆さがあった。


「大丈夫。君は死なないよ」

「ほ、本当ですか……? でもさっきは死ぬって」

「このままだと死んじゃうのは確かだよ……あっ、新しい聖書を手に入れたからこういうときはどうなるんだろう? やはは……ごめんね、私にも分からないことはあるのさ」

「そんなテキトーな……」

「まあ私の知ってる範囲で答えると聖女は約1ヶ月の寿命があってね、その後魔女を1人倒すごとに1週間寿命が伸びるのさ。だから、君がこの1ヶ月以内に魔女を倒せば1週間は死なずに済むよ」

「そ……そうなんですか……」


私はほっと胸を撫で下ろした。

とりあえず、まだ生きていられる道が残っているようだ。

彼女から話を少し聞いて、話の全容が何となく掴めてきた。


私はどういうわけか聖女というものになってしまったらしい。

そして、聖女には寿命があるが、その寿命は魔女を倒すことによって延長可能。

問題なのはその魔女とやらが私に倒せるかって話なのだけど……


気持ちが落ち着いたのを察してか、少女は河川敷の上までゆっくりと歩き出した。

私は、少女の後を追いかける。


「まずは、君の家に行こうか。このまま君を連れて行ったら私は誘拐犯になっちゃうからね」

「……別にいいですよ。家に寄らなくても」


私は我ながら無愛想にそう言った。

お母さんに許可なんて必要ない。

今お母さんは弟のことで大変だ。


「そう? じゃあ私だけ挨拶しに行くよ。家の場所は知ってるから心配しないでね

「えっ、いつの間に……」

「やはは、偶々さ。昨日君が聖女になったとき偶々居合わせたから、そのまま後をつけさせてもらったのさ」


少女は麦わら帽子をいじりながらそういった。

昨日、私が聖女になったとき……たぶんそれはこの本を手に入れたとき。

だからつまり、彼女は私が昨日殺されかけた場所に居合わせたということだ。

ということは……


私は少女の手を掴んで止める。

彼女は振り向いて首を傾げていた。


「…………昨日、私は橋の上で何をしていましたか?」


恐る恐る、そう告げる。

今日学校であったことを思い出す。

あんなにドラマチックな出会いを果たしたはずの伊藤くんが、昨日のことを全く覚えていなかった。そんなの、絶対に変だ。


「何って、女の子3人に囲まれて酷いことされてたよね。あれは本当に酷い。君が聖女に選ばれたのも頷ける」

「えっ……あなたは覚えて……」

「それはもう覚えているとも。私も聖女だからね。あの男の子は忘れちゃったんだろうけどね」


全くその通りで、返す言葉もなかった。

まるで全てを知っているかのような口ぶりだった。

少女は手を振り払うと、再び歩き出す。

空はもう真っ暗で、街灯と月明かりが私たちを照らしていた。


「聖女──特に君とか、私とかの特別な聖女はね、人を殺せないんだ。人を殺すのは禁忌だからね」

「な、何を言ってるんですか。そんな倫理的な話は……」

「やはは、倫理的な話じゃないんだなこれが。言葉通り、私たちは人を殺せない。逆に、人を殺したとしてもそれはなかったことになる・・・・・・・・・

「そ、それって……!」


彼女の言葉の意味を私は理解してしまった。

理解して、急に吐き気が込み上げてきた。

私は……私は……!


「だから昨日、君はあの女の子たち3人殺しちゃったんだろうね。彼女たちがこの世にいたって痕跡は……もうどこにもないのさ」


少女がどんな気持ちでことあを紡いだのか、私には理解できない。

ただ私は自分が人を殺してしまったという事実に、その場で嘔吐した。

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