第3話

────学校 屋上


「どうして俺のこと殴ったの?」

「えっ……私が……?」


伊藤くんの言葉に私は動揺する。

そして、不信感や嫌悪感が混じった目を向けられ私は後ずさりした。


「な、何を言ってるの……? 私は伊藤くんのことを殴ってなんて……」

「いや、俺ははっきり覚えてるんだ。俺は昨日、確かに立花さんに岩のようなもので後ろから殴られた。幸い怪我はしてないけど、殴られた理由が全く心当たりないんだよ」

「そ、それは……だって私殴ってないから……」


私は身振り手振りで必死にそう訴えるが、伊藤くんの目つきは変わらなかった。


一体どういうことなの?

昨日確かに伊藤くんは背後から岩で殴られた。

でもそれは岩田の知り合いがしたことで……


「も、もしかして殴られて記憶がおかしくなっちゃったんじゃ……」

「……確かに、俺も昨日のことは所々おかしいと思う部分もある。だけど、俺が殴られたのは間違いないんだ。あんなに強烈な出来事を忘れるわけがない」

「う、うん……私もそう思う」

「だから、あの橋の上で立花さん以外に俺を殴れた人間はいないんだよ」


伊藤くんはそういうと、まるで犯人を特定したかのように私を指差した。


「だって、昨日橋の上にいたのは俺と立花さんだけなんだから」

「……えっ?」


思わず言葉が漏れた。

そんなはずない。昨日私は河川敷の橋の上にいた。

だけどそれは……岩田にバンジージャンプという飛び降り自殺を強要されていたからで……他にも人がいたじゃないか。


「い、伊藤くん。確かに私は昨日橋の上にいたけど……」

「ほらやっぱりじゃないか!」

「ちょっと待って! 私の他にも3人、女の子がいたでしょ!? 同じクラスの岩田に隣のクラスの……名前は知らないけどとにかく2人! 伊藤くんを殴ったのはその隣のクラスの子だよ!」

「…………」

「私は昨日、橋の上で彼女たちにいじめられてて、伊藤くんは私を助けてくれたの! それで、現場を見られた伊藤くんを岩田たちが殺そうとして……」

「はぁ……立花さん。あんまり俺を揶揄わないでよ」


私の弁明を遮り、伊藤くんは呆れた様子でそういった。


「岩田って誰のこと? 俺たちのクラスに岩田なんていないだろ?」

「な、何を言って……」


岩田がいない……?

そんなはずはない!

私は高校に入ってから散々岩田にいじめられてきた。あの記憶が嘘のはずない!


「俺たちのクラスに岩田なんて人はいないって言ってるんだよ。そんな嘘をついてまで言い逃れするなんて、見損なったよ」


伊藤くんはそう言い残すと屋上を去ろうとする。


どういうこと……?

岩田なんて人はいない?

そんなことあるはずがない!

……私が経験してきたいじめは……現実のものなんだから!


「一応先生には言わないでおくけど、もうこんな酷い悪戯はやめなよ。ストレスがあるなら別のことで発散した方がいいと思う」

「待って……ちょっと待って!」


私は彼を引き止める。

きっと、伊藤くんは昨日の一撃で記憶喪失になってしまったんだ。

どうすれば記憶を取り戻して……


「そ、そうだ! 写真! 写真撮ってたよ昨日! 伊藤くん、スマホ見て……!」

「写真?」


彼はポケットからスマホを取り出し、確認する。

記憶がなくても、スマホの画像なら残っているはず。

我ながら頭が回っていると思う。

ほっと胸を撫で下ろし、彼が納得してくれるのを待っていると、彼は軽蔑の目を向けてきた。


「写真なんて、一枚もなかった。もういい加減にしてくれ」

「そんな……そんなはずない! 私も確認する!」


駆け寄って、彼の手を掴む。

すごく嫌そうな顔をされたけど、伊藤くんはスマホの画面を私に見せてくれた。

しかし、いくら探しても目当ての写真は見つからなかった。


「嘘……なんでないの。昨日伊藤くん絶対写真撮ってたのに……」

「……俺、もう行くね」

「あっ……伊藤くん……」


手を振り払らって彼は屋上を立ち去った。

1人残された私は力なくぺたりとへたり込んだ。


「どうして……どうしてないの…………昨日のことが全部なかったことになってる……」


考えても考えてもわからない問題にぶつかった私は、その場で涙を流し続けた。



────河川敷 橋の上


それから私は岩田に見つかることなく学校を出た。

いつもなら私のことをどこからともなく見つけて嫌がらせをしてくるというのに……ここまでくると本当に岩田なんて人間はいなかったんじゃないかとすら思えてくる。

どうしてなの! どうして……今日は私に嫌がらせしてこないの!


思い出したくもない岩田の顔を思い出しながら、私は昨日落とされそうになった橋の上に来ていた。

もしかしたら、伊藤くんが記憶を無くした理由がわかるかもしれない。


「とはいっても、ただの河川敷だもんね……何もあるわけないか」


手すりに捕まり、私はなんとなく橋の下を覗いてみる。


「……高い。岩田たちは昨日ここから私を落とそうとしたの……最低」


高さに足がすくみ、私は一歩後ろに下がる。

あのまま落とされていたら、泳げたとしても死んでしまうかもしれない。


「えっ?」


突然のことに思わず声が漏れた。

何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

橙色の空と橋が同時に視界に映ったことで、ようやく私は橋から落とされていることを把握する。

誰かが、私の背中を押したのだ。


「きゃあああああああ!!!!!」


スクールバッグをぎゅっと抱きしめながら自由落下する。

落下の恐怖で頭がいっぱいになった私は、わずか数秒でそのまま川に落ちた。

幸運なことに、川は深く飛び降りて死ぬようなことはなかったけど、それでも背中を打ちつけてしまったので、ジンジンと背中が疼いていた。


水面に浮かび上がると、急いで河原まで泳ぐ。

着衣泳の授業を欠席してたから不安だったけど、なんとか川から脱出した。


「はぁ……はぁ……何なの一体! まさか岩田……」


私は河原から橋を見上げる。

確かに橋の上には、人影があった。

だけどそれは、岩田のものではない。

それどころか……私が見たことのない女の子だった。


女の子は何を思ったか、自分から橋を飛び降りた。

足から川に着水し、ドボンと大きな音を鳴らし、水柱を立てた。


「あの子どうして……飛び降りるなんて」


少女の奇行に少し心配したのも束の間、水柱が一度収まった水面が隆起し、少女がその水面に立っていた。

黒髪ショートカットの少女は分厚い本を片手に、笑みをこぼす。


「やっと見つけた! これで私は……まだ生きられる!」


幼い声だった。

背丈も合わせて、中学生くらいだろうか。


……ってそんな冷静に分析している場合じゃない!

そんなことより、もっと大切なことがあるでしょ!

水の上に立てる人間なんて……いるわけない!


「ねえお姉ちゃん、私昨日見てたんだよ。お姉ちゃん聖女だよね? 昨日、その本で男の人を殴ってたもんね?」

「せ、聖女……? 私は無宗教……」

「誤魔化さなくていいよ。言い訳しなくていいよ。どうせお姉ちゃんは私に殺されちゃうんだから!!!!」


女の子は甲高い笑い声を上げた後に、手に持った本をバサッとめくった。


「私のために死んで……! 真実はここにアーメン!」


そう告げた後に、少女の持つ本が光を放つ。

そして、先ほどまで紙だったそれは、金属らしき十字架のアクセサリー──ロザリオへと変化した。

少女が手を振ると川の水は暴れ出し、川から何かが射出された。

その何かは私の左側を貫き、河原の小石を巻き上げる。

ドゴンッ!と大きな音を立てた場所を見てみると、軽いクレーターのように地面が抉られていた。


「……っ!」


左腕に鈍い痛みを感じ、肩を見てみるとそこは赤く染まっていた。

制服はまるで鋭利な刃物で切りつけられたように、綺麗に裂けていた。

水……もしかしてウォーターカッターのような攻撃を仕掛けられたってこと……?


……と、そんな分析をしている時間はない。

直感でわかってしまった。彼女は岩田なんかよりも、ずっと凶悪でタチが悪い。

彼女は本気で私を殺そうとしている。

私にできるのは……逃げることだけだ!


「……さ、さよなら!」

「きゃはは! 川から離れるなんてお姉ちゃん慣れてるねぇ! そうこなくっちゃ張り合いがないよ! 『ゼカリヤ』の聖女、葉山結衣。お姉ちゃんの分まで、私が生きてあげる!」


嬉々とした表情を浮かべながら、少女は水に乗りながら追いかけてくるのだった。

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