4-3
あれから叔母にいくら質問をしても、はぐらかされた。そのうちに額に手を当てながら眉間を人差し指でつまんで、「何やったかいね……」「頭が痛い」などと辛そうにしていた。
叔母も、いずれ記憶喪失になるのだろうか。
私は私で、自分の母親がマダツネ神社の巫女であったことすら忘れていた。これは血筋なのかもしれない。叔母から聞いた話を忘れる前に、ノートにでも記録しておくべきだろう。
――
――母の名前は『織戸あや』。マダツネ神社の巫女だった。
――織戸家は、マダツネサマを
――私はすじになることを、気にしていない。
「資料館があるね」
テーブルに肘をついて、スマホをいじっている片瀬が言う。スマホの地図は咲花区にある川の、朱色の橋を渡った先の商店街の手前を示していた。
ここは……郷土資料館だ。
「聖ちゃんのお母さんのこと、何か分かるかなって」
西條と散歩で、郷土資料館を訪れた時のことを思い出した。彼は町の歴史に興味を抱いていた。結局、彼との散歩の時も資料館は閉まっていたから入るのは諦めたが、もしかしたら巫女についての
「営業時間とかは……ネットには書いてないね。でも、昼だから開いてるか」
「どうだろ。いつも閉まってるからなぁ」
とはいえ、他に手掛かりはない。
それに、この町の由来を、私の出自を知ることが康介に起きた不幸と無関係とは思えない。康介の部屋にあの絵があった以上、マダツネ信仰が関わっているのだから。
「行くだけ、行ってみよう」
幸いなことに、ここのところ晴れが続いている。多少は雪も解けて歩きやすくなっているだろう。私はリビングの壁に掛けてある灰色のコートを着て、片瀬に黒のロングコートを手渡した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「思ったより、寒いね」
道路の表面は濡れて、所々で氷になっていた。道路の外れには溶けた雪が小さな山になって固まっている。快晴ではあるが、建物が少ない町だから、吹きつける風がとても冷たい。私の知っている都会の風よりも、ずっと冷たい。それなのに片瀬といえば、ロングコートの下に黒のミニスカートを履いていた。
「せめて、ストッキングにするとか」
「気持ちはまだ、
橋の下に流れる川の水面が銀色に光って、正面に見える山は白く染まっている。以前に来た時は秋の紅葉だったが、家々の屋根の上にまで白い雪が残って、すっかり冬景色に様変わりしていた。ここで暖かい煙が――商店街の土産屋で団子が焼かれて、焼き芋の甘い匂いでもすれば、
「開いてないね」
郷土資料館は予想通り、閉まっていた。
正面入り口に近寄ってガラス戸の向こうを覗くと、うっすらと暗い玄関が見えた。銭湯で見かけるような靴箱が並んでいる。ガラス戸には紙がペタペタと貼ってあって、どれも古い広告や新聞記事だった。
「強引に入るか」
「まさか……ガラスを割るの?」
「そこまではしない。でも、どうにか入れないかな」
それくらいの覚悟をしなければ、この資料館はただの箱として役割を終えるだろう。私は戸に手を引っ掛けて、横に引いてみた。戸がガタガタと揺れる。それから色
「反対側に道があるよ」
あまりに私が音をたてるから、いたたまれなくなったのか、片瀬が私の袖を引っ張った。片瀬が言うように、塀の内側に草が荒れた細い庭が続いていた。裏へ回れば勝手口があるかもしれない。そう期待して塀沿いに回ったら、本当に裏戸が見つかった。ドアの横にはボタン式の、トイレの電気スイッチのようなシンプルな作りのインターホンが設置されている。
押してみた。
建物の中から微かに、ピンポーン、と聞こえた。
しばらく待つ。
反応はない。
もう一度、鳴らしたが、誰も出てこない。仕方がないのでドアノブを
「……普通に開いた」
「勝手に入っていいのかな?」
鍵は掛かっていなかった。不用心だが、今は助かった。戸を引いて裏口から中に入ると、一本の廊下が伸びていた。
薄暗い。
湿ったカビの匂いがする。
廊下の左右に部屋があって、資料館らしく、赤いペンキで順路を示す矢印が示されている。順路通りに巡った方が良さそうだから、廊下を突き当りまで歩いて、ひとまず玄関から館内を巡ることにした。
歩くたびに、ギシギシと木の床が鳴る。
最初に玄関について、とにかく暗いからスイッチを探した。どれも電気は点かなかった。ブレーカーが落ちているのか、それとも、電気を通していないのか。おそらくは後者で、それならば、管理人すらも来ないのだろう。それでも
――第一展示室。
暗いから、スマホのライトを照らしながら回った。ガラスケースの中に町の暮らしに関わる展示品が飾られている。説明文のよると大正から昭和初期の物らしく、壊れた食器や、当時の雑誌や、おそらくは特産品なのだろう、造花の
反対側の壁には、ずらっとマネキンが並んでいる。どれも女性で、色の違う和服を着ている。
「……なんか……怖い」
片瀬が私の後ろに隠れた。彼女の言う通り、暗闇のマネキンの群れは気味が悪い。マネキンの女性達は
横に木製の化粧箱が置かれている。口紅や白粉、お香に丸薬や――これは、伸びたゴムだろうか。
「……性風俗、かな」
片瀬が、ガラスケースを覗き込んでいる。彼女の言葉で、このゴムが避妊具だと気が付いた。そうなると隣にある油は、もしかすると行為前の
「そういえば、医者の西條が言っていたな」
香守町は温泉街で、性風俗も盛んだったのではないか、と。これらの展示物を見れば、西條の発言は当たっていたように思う。
――第二展示室。
さっきの部屋は何処かで見たことがある展示品だったが、この第二展示室に飾ってあるのは、用途の分からない変な物ばかりだった。
丸い石に、四角い
「つまり、マダツネ信仰だな」
書物が広げて置いてある。ライトを照らして読もうとしたが、曲がった文字で、何が書かれてるのか分からない。壁には写真がずらっと飾られて、これは集合写真だろうか、社の前に人が集まっている。おそらく真ん中にに立っているのが巫女で、彼女の周りを十数人の男女が囲んでいた。
「これも信仰の
写真によって時代が違うらしく、途中から白黒写真からカラー写真に変わっていた。写真ごとに巫女も違っている。
「ねえ、この人って」
片瀬が、最後の方の写真を指を差した。
「聖ちゃんの……お母さんじゃない? あの写真に映っていた」
私はポケットから、母の写真を取り出した。母の顔は白く濁っている。洗濯してしまったせいだ。
「でも、聖ちゃんの面影があるよ。ほら、目元がソックリだし」
言われても分からない。他人から見れば、私と、この写真の女性は似ているらしい。
「綺麗な人だね……でも」
どこか弱々しい、病気を患っているように見えた。とても美しいが、触れれば壊れてしまう、ガラス細工のような。
「この人が聖ちゃんの、お母さんだとして、じゃあ……次の写真が今の巫女さん?」
一つ、横の写真を見た。
長い黒髪の、漆黒の瞳の女。さっきの母の写真よりも、ずっと若くて、まだ十代のように思える。写真越しに、この女の目を見ていると――
「……なんか、似てるよね、お母さんに」
「……頭が!」
こめかみを針で突かれている感覚がする。ぐるぐると脳が回って、胃液が逆流してくる。気持ち悪くなって、とても立っていられなくなった。
声が聞こえる。
女の声だ。
私の頭の中で、誰かが語り掛けてくる。
「そういう血、なんやから」
「ちょっと、聖ちゃん!」
「おかぁさんも、似たようなもんやんか」
視界が一層に暗くなった。私は、うずくまって、
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