4-2

「何で私がそんなことをせんといかんのよ」


 叔母は不機嫌そうに答えた。和室に正座している私と片瀬に緑茶と茶菓子を運んできたが、置き方が雑だったから、お茶が湯呑みからこぼれた。


 年始以来、およそ一ヶ月ぶりに叔母の家を訪ねた。私だけで話をするつもりが、片瀬も一緒に付いてきた。これまでの経緯を、友人の康介が行方不明になって部屋が酷く荒らされて、蜘蛛くもの糸の絵が飾られていたことを話した。それで叔母は自分に疑いを掛けられたと感じたらしい。


「叔母さんを疑っているわけじゃなくて、この絵は何なのかっていう」


「御朱印みたいなもん。参拝さんぱいしたら貰えるんよ」


 片瀬は不安そうに和室を見渡していた。壁一面に、取り囲むように蜘蛛くもの糸の絵が飾られている。前より増えた気がする。


「こんなにいらないだろ。余分なのは捨てりゃあいいのに」


「……聖ちゃん、そんなん言うて、素敵な絵やんか」


 これを素敵だと言う叔母の感性を疑う。どうにも落ち着かない。こんな部屋に長居していたら頭が変になりそうだ。


「この絵は、誰でも貰えるんですか?」


 片瀬が聞いた。


「タダ、やからね。みんな、一つくらいは持ってるんちゃうかね」


「そうですか……これじゃあ、誰がやったのか分からないね」


 片瀬が私を見る。彼女の言う通り、康介の部屋に侵入した犯人を特定したかったのに、これでは町の人の全員が容疑者になる。この絵は手掛かりになりそうにない。


「やっぱり、あの女かな。ねえ、叔母さん。さっき話した、子連れの女の人を知らない?」


「それだけやったらねぇ……せめて名前とか言うてくれんと」


「知っていたら苦労しないんだって。ここさ、そんなに人、いないから、子供がいる母親なんて少ないんじゃないの?」


「自分の子を連れてるとは、限らへんやないの」


「あ~、あ?」


 そういうものか? と疑問が湧いた。叔母の見識はどこか、ズレている。


「……こんなんね、あんまり、その人の前で言いたくはないけどね」


 叔母が茶色の座布団を自分の下に敷いて、私の斜め前に座った。


「カメラを設置して回ったって言うてたけど、そんなん、誰でも良い気がせえへんとちゃうの?」


「いや……それが康介の仕事だから。公共のカメラだし」


「公共や言うて、マダツネサマのとこにも勝手に置いたらアカンわ。罰当たりやんか」


「罰当たりは同意するけど、康介を刃物で刺したりして、いくらなんでもやり過ぎだ」


「それは否定せえへんけどね、そういうことしたら回り回って、因果が襲ってくるもんなんよ。たたられてもおかしくないわ」


 叔母の見解は相変わらず非科学的だ。


「仮にその女の人が刺してなくても、いつか、ツネになってたと思う。他所から来たんやったら、よけいに、なぁ? えっと、あんたは何て言うたかいね」


「私ですか? 片瀬です」


「片瀬さんもね、早めに切ったほうがええよ」


「……何を、ですか?」


「左の薬指。早よ結婚して、切った方がええと思うわ」


 叔母は左手の曲がった薬指を見せて、口角を上げた。黄色く汚れた歯が覗いている。


「おい!」


 叔母は、明らかに指結びのことを言っている。もしかして叔母は若い女の人を町に留めようと、この町の男と結婚させようと企んでいるのか。


「彼女に強要するのは止めてくれ。彼女は康介の件が決着したら町から離れるつもりだし、こんな話を初対面の人にするなんて非常識過ぎる」


「絵について聞いてきたんは、聖ちゃんやないの。そういう信仰なんやし、この町に住むんやったらって親切心で言うただけやんか。強要なんかしてへんのに、そないに怒らんでも」


 怒るのは当たり前だと思うが、これでも叔母は本心から良かれと考えてのことらしい。伯父とも喧嘩けんかするはずだ。


「いいよ、大丈夫」


 片瀬が私をなだめようとしている。


「私、康ちゃんがいなくなったから……結婚の予定がないんです」


 叔母にそう切り返して、片瀬は茶菓子を口に入れた。


 私は気を落ち着けようと緑茶を飲んだ。それから自分の茶菓子を見つめた。白い皿に置かれている茶菓子は円形の炭をブツ切りにしたような形で、陰と陽の魂が表面に浮き上がっている。さらに小さな穴がプツプツと空いている。見た目が気持ち悪い。おそらく地元の菓子だから、これを私も食べていたのだろうか。


「これ、何?」


指餅ゆびもちやないの。指を切ったみたいな形しているやろ? せやから、指餅ゆびもち


 ますます、食う気が失せる。


「そんな嫌な顔して、ただの餡子あんこやないの。小さい頃、聖ちゃんも、よ~食べとったけどね。覚えてへんの? あやちゃんの好物やったよ」


「あや……ああ、母さんか」


 私はズボンのポケットから、しわくちゃになった写真を取り出した。白い線がヒビのように入って、色が薄くなっている。ポケットに入れていたのを忘れて洗濯してしまった。写真の母の顔が白くボヤけて、伯父と叔母の顔まで白くなっていた。


「母さんも、あの変な絵を集めていた?」


 何となく、聞いてみた。私は母のことを、ほとんど覚えていない。自分でも不思議だが、追求しようともしなかった。だが、今はいろんなことがあったせいか興味が湧いている。


「あやちゃんは、やからね。絵を渡す側」


……って何だ?」


 こめかみを人差し指で押さえた。急に頭が痛くなってきた。


織戸おりどやないの。あやちゃんとこは織戸おりどの、


「それって……もしかして」


 片瀬が緑茶の湯呑みをテーブルに置いた。


「聖ちゃんの昔の苗字じゃない? ほら、前に言った携帯の登録、織戸聖一、でしょ?」


 片瀬がスマホの画面を私に見せた。


「どうして片瀬が知っている?」


「自分で言ってたよ。あの時、酔ってたからね、覚えてないんだよ」


「そうか……そうだったかな」


 自分の苗字は織戸で、母は。そうなると、私もとやらになるのか。何処かで聞いたことがある、そういう話を。いつ、誰から聞いたのか。


「私、すじになるのなんて気にしていませんから」


「……聖ちゃん?」


「ん? ちょっと考え事をしてた」


 これは奈々が言っていた。考えを巡らせていたら、思わず口に出していた。


「もしかして、奈々が見合いを勧められたのって」


「織戸家に入るんは名誉なことやからね」


 叔母が答える。


「血筋に入るんは嬉しいやんか。奈々さんの場合は、そろそろ結婚を考える年齢やったし」


「名誉とか言って、家柄が良いとか昔の話だろ? 名前だけの家柄なんかに意味はない」


「今も続いているから、意味はあるの」


「続いているたって……織戸家とやらの息子にしては、何にも持ってないけど」


 それだけ有名な家柄だとすれば、金銭的な余裕があっても良いだろうに。


系譜けいふは女やからね」


「……何の系譜けいふ?」


「聞いてばっかりで、呆れるわ。何も覚えてへんやないの。巫女みこさんやないの。あやちゃんが、巫女みこさん」


 叔母が、私の茶菓子に爪楊枝つまようじを刺した。


巫女みこってことは神社に仕えているのか――ん? もしかして」


 嫌な予感がしてきた。


「母さんは、マダツネ神社の、巫女だった?」


「……サマ付けえな、聖ちゃん」


 叔母が低い声でボソボソ言って、ブスブスと爪楊枝つまようじを刺した。イライラしているようだ。


「聖ちゃんにも血は入っているんやから……しっかりせんと……あかん」


「悪かった、悪い」


 茶菓子が穴だらけになったので、叔母をなだめた。叔母はマダツネサマのこととなると、ムキになる。


「で、巫女って何すんの?」


「何すんのって……ウチらを守ってくれるんよ。そのために神社を管理してるんやわ」


「それは神主じゃないのか?」


「細かいことは、ええんよ。巫女さんが社を守ってるんやから、私らも敬って、それで平和になるならええやないの」


「う~ん、よく分からなくなってきた」


 それに頭が痛い。さっきからズキズキする。糖分が足りないせいか、カフェインが切れたせいか、仕方がないから、ぐちゃぐちゃになった茶菓子を口に放り込んで緑茶を飲んだ。見た目はアレだったが、意外にも味は悪くない。羊羹ようかんのような甘さに豆の香ばしさが混ざっている。


「結構、美味いな」


「まだあるけど、持って来ようか?」


 叔母は立ち上がって、お盆に空になった皿と湯呑みを乗せた。障子を開いて、すっと、廊下の奥へ消えてゆく。


 どういう風の吹き回しだろう。


 いつもは家のことを、母のことを聞いても教えてくれないのに、今日はいろいろと質問に答えてくれた。


「聖ちゃんのお母さんが、巫女さんだとして……」


 片瀬が何やら考え込んでいる。頬に手をついて、もう片方の手で爪楊枝つまようじを回していた。


「今の巫女さんって、誰なのかな?」


 言われてみれば、当然の疑問だ。自分の母が巫女だった事実に驚いて、そこだけに意識がいっていた。


「ねえ、叔母さん」


 私は立ち上がって、叔母を追った。和室を出て、廊下は陽当たりが悪くて薄暗かった。ザーザーと水を流す音がする。台所に入ると、シンクの前で、叔母はこちらに背を向けて立っていた。


「今の巫女って、誰がやってんの?」


「……」


 反応がない。蛇口の水の音で聞こえていない。


「聞きたいことがあるんだけど」


 叔母は、てっきり洗い物をしているのかと思いきや、左手で包丁を持って、シンクの上をトントンと叩いている。どうにも、変だ。まな板からは外れているし、何を切っているのやら。


「あやちゃん……まだ、おるんかい……ね……ええと、ちゃうの、どっちやの……じゃま……せんといてほしい……もう、切ったらええわ」


「何、言ってんの?」


 叔母の横顔を覗き込んだ。叔母の目の焦点が定まっていない。まさか、叔母も、伯父のようにボケたのではないか。私は焦って、叔母の肩を揺すった。


 包丁でシンクを叩く手が止まった。


「あれ、聖ちゃん。どうしたの? そんなに、お腹空いたん?」


「違うって。聞きたいことがあるって言ったろ」


「今度は、何よ?」


「ほら、母さんが巫女だったって話。それじゃあ、今の巫女は誰かなって」


「なんやの、聖ちゃん、知らへんの」


「知ってたら聞かないだろ、何言ってんだ、さっきから」


「まあ、忘れてることなんて……無理に思い出さんほうがええわ。頭が痛くなるだけやわ」


 叔母は食器を洗いだした。

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