3-4

 PCからの映像が、テレビ画面に映し出された。


 四つに分割されており、左上には工場が映っているから、このマンションのすぐ近くだろう。左下は……コンビニの店内の防犯カメラだろうか、客がいないせいか、店員もいない。右上は交差点で、右下の映像では公園のブランコが無人のまま風に揺れている。


「全部、自分で設置したのか?」


「仕事だから。最初から設置してあるカメラもあるが、とにかく数が少ない」


「……コンビニの店内まで?」


「こいつは……コンビニ側の管轄だな。どうやって映像を回しているかは企業秘密だ。チェックするついでに繋げといた」


「企業秘密って……個人的な趣味だろ」


 康介の仕事は防犯カメラなどの映像分析で、趣味も、防犯カメラの映像を眺めること。大学の研究室でも、真剣な顔して論文でも書いているのかと思えば、誰かが動画サイトにアップしている固定カメラ映像をずっと眺めていた。


 この趣味のキッカケは、犯人探し、だったらしい。


 彼の実家の前にゴミが捨てられる嫌がらせが続いて、犯人を捕まえてやろうと、玄関先に防犯カメラを取り付けた。それからは四六時中、授業中ですらもスマホをチラチラと見ては、犯人逮捕にやっきになったそうだ。


 ――女だった。あいつは夜中に来ていた。


 家の前の道路にも勝手に設置して、犯人が近付いてきたら部屋から飛び出して、ついには現行犯逮捕したのだとか。犯人は近くに住んでいた、彼の母親の、実の妹だったらしい。理由は聞いていないが、別に聞いても愉快ではないだろうから止めておいた。


「ざっと、三十はあるかな」


「そんなに、たくさん?」


 パッパッと画面が切り替わって、商店街が映って、電気屋が映って、店頭に枯れた花ばかりを飾っている花屋が映った。


「この先は、まだない。これからさらに増やすつもりだ」


 康介の好奇心は、留まるところを知らない。今は防犯の観点から公共の場に限っているようだが、コンビニのように、いずれ屋内にもカメラを設置する気だろう。


「もう十分じゃないか? そもそも、誰も映っていないし」


「防犯の観点からしても、全然足りない。それに、誰も映っていない方が楽しい」


 私は首を傾げた。康介は、分かってないなと言いたげに溜息をはいた。


「例えば、これを見ろ。閉園の時間なのか、幼稚園に母親が迎えに来ているだろ?」


 康介は一つの映像だけを拡大した。幼稚園の水色の門の前に女が立っている。歳は二十後半くらいで、デニムに灰色のコートを着て、買い物帰りなのか、自前の袋を肘にぶらさげている。しばらくすると、少年が門の奥から姿を現して、母親の手を握った。


「……普通に幼稚園に通っているんだな」


 あるべき光景が、意外だった。こういう日常とは無縁な町だと思っていた。


「どの辺に住んでいるのかな?」


「追跡してみよう」


 康介が幼稚園の前の道路にカメラ映像を切り替えたら、


「あのねぇ」


 急に声がしたから、ビックリした。いつの間にか片瀬がリビングに居て、ソファの後ろから話し掛けていた。


「そういうのってのぞき見って言うんじゃない? 完全に悪趣味」


「これも仕事なんだって」


「設置はね。でも、女性をストーカーするのは違うでしょ」

 

「人聞きの悪い。そういう目的じゃない。あくまでデータ収集で、町の動向を探るのには生活風景を観察しておく必要がある」


「他人がどう思うかってこと。私、嫌だからね、自分の彼氏が盗撮で逮捕なんて。ちょっとキレイな見た目だからって、イヤラシイ」


「だから、そういうんじゃないって。そもそも盗撮ではない、これは公共のカメラだ。お前だって、この町の人はなんか不気味だと言ってたろ。こうして観察することで、彼らもフツーに生活していることが証明される」


「そんな理屈で、本当は見たいだけでしょ」


「別に強要しない。見たくないのなら、寝室に戻ればいい」


「……いい。続けて」


 結局、片瀬も観客になった。康介はカメラの位置を正確に把握しているらしく、母子を映像で追跡していく。


「結構、若いな」


 などと、独り言をつぶやいている。


「年は……三十もいってない。そうなると、この母親は若い頃に子供を作ったことになる。これから何処へ行く? てっきりバス停に向かうかと思ったら……住宅地から離れている。あんまりそっち側へ行かれると困るんだよなぁ。まだ設置していない。この先には何があったか」


「川で、息子と遊ぼうとしているのかも」


 私が言った。


「買い物袋を下げたまま? 見ろよ、買い物袋にフランスパンが刺さってる。あんなのを持って川には行かないだろ。あ~もう追跡できない、残念だ」


 母親と少年が手を繋いだまま道を曲がったところで、視界から消えた。追跡が途絶えて、私はホッとしたような、少し残念なような、複雑な気分になった。そういう微妙な顔になっていたのか、康介が私を見て、


「な、面白いだろ?」


 満足そうに笑った。


「他人の世界を見るのは面白い。部屋に居ながら外界に触れてることができる。これが夜中だったら……怖い物見たさでもっと面白い。ほとんど何も映らないが……夜更けに少女でも通れば、こんな時間に、どうして真夜中に、女の子が歩いているのかと想像が膨らむ。この前なんかは――」


「ほら、聖ちゃん」


 片瀬が、私の腕を引っ張った。


「変態趣味に取り込まれるよ。ケーキ買ってあるから、食べようよ」


 強引にテーブルまで引き連れられた。康介は私達には構わず、「ほお」とか、「はあ」とか言いながら、映像の監視を続けている。


「これだもんね」


 片瀬は頬杖ほおづえをついて、皿に載せたチョコレートケーキをフォークで縦に割った。ケーキ屋さんがないから、これもコンビニで調達したようだが、一つしかなかったのか、私のはショートケーキだった。


「結婚も考えるわ」


 紅茶を飲んで、また、ケーキを縦に割る。半分くらい食べたところで、彼女はフォークを置いた。


「ギャンブルに夢中になる人っているでしょ?」


 そりゃあ、いるだろうと私は答えた。


「オンラインゲームを、ずっとやる人もいるじゃない」


「誰しも、何らかの趣味はあるものだから」


「結婚生活でもそうだけど、育児にね、影響するかってこと。康ちゃんが仕事の範囲内で映像分析しているのはいい。だけど、仕事が終わってからも今度は趣味だって、ずっと画面にかじりついてる。そういう時に話し掛けると、すごい邪魔そうにするから、仮に子供が泣いていたとしたら、止めてくれるかって疑問なんだよね。それを言うとさ、お前だってスマホで動画見てるだろって言われるんだけど……私は、動画なんてすぐに停止できる。康ちゃんも、いざとなったら映像ばかり見てないよって言うんだけど……結局は他人だから信用できないって言うか……今も聖ちゃんが来てるのに、あれだもんねぇ? ケーキ、二つ買ったって食べないし」


 そう言って、片瀬はケーキの皿をくるっと回した。私の食べかけのショートケーキの代わりに、半分になったチョコレートケーキが目の前に置かれた。


 下から覗き込むように私を見て、


「ね、半分っこしよ? 私、イチゴも食べたい」


 私が答える前に、既にケーキは取り換えられている。片瀬は、食べかけのショートにフォークを刺すと、満面の笑みで頬ばった。


「美味しいね」


 不覚にも、ドキッとした。


 こういうのは――彼女としては、深く考えてはいない。チョコを食べたくて、それから、イチゴを食べたくなっただけ。私が断らないのを知っているから、都合が良い男と思われているのかもしれない。それが分かっていながらも、つい意識してしまう。


「聖ちゃん、夜も暇?」


「まあ、いつも休みだし」


 未だ無職であるとの告白が、情けないけれど。


「じゃあ、私と一緒だね。仕事、辞めたから」


 彼女は笑ってくれた。


「夜にお酒、付き合って。康ちゃんさ、最近、愚痴ぐちを聞いてくれなくて。私も聖ちゃんの愚痴に付き合うから、半分は、私の話を聞いてよ」


 そう言って、残り半分のショートケーキをパクっと食べた。私は彼女の目の前にある空のなった皿を見つめて、いいよと、うなづいた。


「なんだ?」


 康介が大きな声で言う。片瀬は振り返って、私もそちらへ視線を移すと、康介がパソコンとテレビを交互に見ていた。私は風船が割れたように夢から覚めて、康介の傍へと寄った。何が映っているのかとテレビ画面を見れば、平凡な道路に三人の子供が立っている。ランドセルを背負っているから小学生だろう。


「コイツら、どうしてこっちを見ているんだ?」


 康介が言うように少年達は、まっすぐに、こっちを見上げていた。


「そりゃあ、こっちが見ていたら、あっちも見るでしょ。子供って目を合わせると、ずっと見てくるもんだし」


 片瀬も来て、後ろから座っている康介の肩に手を置いた。


「カメラ越しだぞ。直接、俺と目が合っているわけじゃない」


「あ、そっか」


 リビングの窓は閉まっているのに、冷たい風が吹き込んだ急がした。どうしてこんな何もない場所に子供達が、という疑問は、この町では今更のことだが、ただ立ち止まって、じっとこちらを観察しているのは奇妙だった。


「カメラ、何処に仕掛けたの?」


 片瀬が聞いた。


「電柱だ」


「それじゃあ……分かるってば。見上げた先にカメラがあったら、何だろうって思うでしょ。もっとバレないようにすればいいのに」


「隠し撮りをしているんじゃない。防犯カメラが設置してあるのは普通だろう」


「子供からしたら、普通じゃないんでしょ。だから興味を持っただけで……あ、ほら、飽きたみたい」


 子供達は満足したのか、ふいっと横を向いた。これで立ち去るのかと思いきや、今度は前を、三人とも同じ向きを見たまま固まっている。


「……次は何を見てるんだ? あっちに何かあるのかな」


「ねえ、どの辺が映っているんだっけ?」


「わりと近い。ほら、消防署の通りで、五階だから、その窓から見えるんじゃないか」


「近くって……」


 片瀬の声は、くぐもっていた。彼女はベランダに向かって、キョロキョロと不安そうに見渡して、カーテンをさっと閉めた。


「おいおい」


 康介は笑った。


「気にしすぎだ、向こうから部屋の中まで見えるはずがない。それとも、実際に目でも合ったか?」


「そうじゃないけど……あんまり高い建物ないからさ、あっちからは目立つんじゃない? カメラを仕掛けたのが、康ちゃんだって思われているのかも」


「そんなわけあるか、エスパーでもあるまいし。ほら、もう帰るみたいだ、やっと歩きだした」


 康介が言うように、子供達は画面の映像から消えていく。

 

「……カーテンを閉じたせいかな」


 私が小声で言うと、窓際に立っている片瀬が振り向いて、「止めてよ」と言った。声色からして、動揺しているらしかった。


「たかが子供だ。あの高い建物は何だろう、くらいに思ったんだろ」


 冷静に分析するわりには、康介の声は、さっきよりも興奮気味だった。


「それにしても……面白いよな。西條が言ってたんだっけ? 閉鎖的な空間にいると思考が停止するって。なんか動きが独特というか、一時停止、後に、再生、みたいな動きをするもんな。これは研究材料になりそうだ」


 康介は、カチカチとマウスをクリックしている。片瀬は、「呆れた」と言いつつも、まだ気になるのか、深緑のカーテンの隙間から外を覗いている。


 私は半分のまま残ったチョコレートケーキを食べようと、テーブルに戻った。切られたケーキの断面が微かに溶けて、つややかに湿っていた。

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