3-3
――サルバメゾン
康介は、
香守町の空は、広い。
康介が借りたマンションは住宅地から少し離れた場所の、広い敷地に建っていた。白と黒の洒落たデザインで、外観からして築十年も経っていない。マンションの正面口はオートロック、全体的に設備が新しい。マンションの近くには工場があるから、何処かの企業が社員用に建てたのかもしれない。今は、工場から稼働している音が聞こえない。生産活動を破棄して、不動産屋が安く買い取ったのだろう。
「いい所を借りたな」
「会社の金だから」
康介の部屋は、二LDKに、ベランダまである立派な間取りだった。リビングには緑色のソファと、白いカーペット、丸型のダイニングテーブル。大きなテレビの横にはノートパソコンを載せたテーブルがあった。
「わざわざ揃えたのか?」
「まさか。レンタルだよ。トンネルの向こうからトラックで運んでもらった。こういうのも出張の特権で、そうじゃなきゃ、誰も遠い場所には行きたがらない。俺は独身だから気楽だし」
「同棲はしているけどな……あれ、そういえば片瀬は? 出掛けているのか?」
「シャワー、浴びてる。アイツ、昨日に酔っ払って、そのままソファで寝てたから」
「え、あ?」
リビングの入り口から、声がした。片瀬が立っていて、もうシャワーから上がって、バスタオルで長い茶色の髪を覆っている。上半身は裸で、下半身は黒のショーツだけ。
「来てるなら教えてってば!」
彼女は慌てて、奥へ引っ込んだ。
「インターホン、鳴らしたけど」
「聞こえなかったんだろ、シャワーで」
自宅とはいえ、さすがに私の前では下着姿でウロウロできないらしい。久しぶりに見た彼女の裸は――水着姿しか見たことはないが、腰がくびれて、脚がスラリと伸びて、バランスの良い身体だった。康介は、もう見飽きたというように彼女の裸体には無関心だったが、私にとっては新鮮で、性的な色気もそうだが、人懐っこくて大胆な片瀬の気遣いと
「ね、ね」
再び、片瀬がリビングの扉を、そっと開けた。胸から下をバスタオルで隠し、罰が悪そうにこちらを
「通るけど気にしないで」
片瀬はリビングを抜けて、寝室へと入っていく。着替えを洗面所に置いておかなかったらしい。私は気にしないフリをして、コンビニで買ってきたホットコーヒーの缶を開けて、テーブルのイスに座った。康介は、「俺もコーヒー、飲むか」と言って、私がさっきコンビニで見たドリップコーヒーの箱を持ってきた。
私達は引っ越しの話題を早々に切り上げて、本題へと――西條の事件について話し合った。私が彼と知り合った数ヶ月間のことを、かいつまんで話すと、康介は真剣な表情で聞いていた。
「……要するに、西條はまともな男だったと」
康介は、コーヒーに口を付けた。もうカップから湯気は上っていない。
「頭脳
「感応症、だっけ? 他人と意識が共有する……村意識、みたいなやつかな。そのわりには、この町の連中は他人に無関心だけどな」
康介は早くも、この町の異様さを感じ取っているらしい。
「防犯カメラの設置の件で警察署に行ったが――西條についても尋ねてみた。心中自殺ではなく、本当は殺人だったのではないかと探ってみた。だが、返事はYESでのNOでもなく、『報告の通りです』の繰り返しだ。まるで録音された言葉しか話さないロボットだ」
想像はつく。この町では警察に限らず、病院や役所でも似たような対応に終始している。
「俺の友人に聞いた話なんだけどな」
康介が言った。私は少し、前のめりになった。
「そいつは全国の自殺者や行方不明者を集計していて、この町からはいつも、数字の報告が一切、ないらしい。今回の件にしたって、こっちから質問して初めて判明したと。友人は、『事件を
「追及されると何らかの不利益があるのか……いや」
自分で言って、否定した。西條が自殺強要であれ殺人であれ、警察からすればどちらでも良い。単に動くのが面倒くさいだけだと思う。この町の住人は思考が停止しているから、率先して調査なんてしないのだろう。
「例の女看護師と交際してから、変になったと思うか?」
康介が聞いた。私は、うなづいた。
「西條と最後に会った日、
「それで、刺したと。だとすれば一方的な殺人だが……イッチの話を聞いていると、女には抵抗する素振りすらなかったと言うから……女は女で、心に闇を抱えていたのかもしれない。接しているうちに、ミイラ取りがミイラになったか」
「精神科医だから、プロなんだけどな」
私は髪の毛を
「例の風習?」
康介がつぶやいた。私に何か言いたいことでもあるのか、自分の両手をさすって、眉毛を曇らせている。
「指……なんとか、と言ったか。いくら婚前契約とはいえ薬指を交換するなんて異常だ。正気を失ってもおかしくはない」
「……どうかな」
私は首をひねった。
「相応の覚悟があってのことだろうし、物理的に……指を取り換えたくらいで脳にまで支障をきたすとは考えにくい。あれは……最後に見た西條の姿は心を病んだとか、そういう程度ではなく――」
もっと、異常な、まるで、呪いのような。
「マダツネサマ、探しとんの?」
康介が、口をパクパクと動かした。私はギョッとした。
「……どうした、急に?」
「そういう信仰があるって聞いたぜ」
「誰に?」
「町の連中さ。警察でも言っていたし、引っ越しの業者だって『ここ、出るらしいんですよ』なんてニタニタしながら言ってた。さっきもコンビニで買い物した時に、マダツネサマを探しているのか、なんて聞かれた。そういうのは、イッチの方が知ってるんじゃないのか?」
「知っているが……」
あまりこういうオカルト的な信仰を、知人に話す気にはなれない。とはいえ知っているのなら、隠す必要もない。
「守り神として
「へえ、そいつは面白そうだ。今度、案内してくれよ」
康介は軽いノリで――もっとも、数ヶ月前の私も、暇だから行ってみようという感覚だったから否定はできないが、さっきまでの真剣な表情から、いつもの康介の顔に戻っていた。
「それでな、イッチに見せたいものがあるんだ。ほら、もう一つの件で」
「早速、防犯カメラを設置した。このPCからリアルタイムで見れるようになっていて――今、テレビの画面に映す」
康介は嬉しそうに、マウスをカチカチと鳴らした。
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