第一章 マダツネサマ
1-1
その日の
みすぼらしい坊主が前に座って、経を読む。
聴き慣れてはいないはずの低音が、やけに耳に
ただ、ここにいる親族は私よりもずっと長い記憶を共有してきたはずだ。
それなのに、会場では鼻をすする音や、ハンカチで
だんだんと、動く
こういうのはむしろ、世間が私に下す評価だった。つまらない奴、とよく言われた。その私からして彼らが人形にしか感じられないのは、相当の違和感だった。
「ほんまに、残念なことで……」
式が終わって外に出て、やっと
「ええ縁談やと思ったんやけど……奈々さんと無理矢理やったんやろか。強引に進めてもうて、もう少し聖ちゃんが魅力的やったら」
「いいえ、奈々は大人しい娘やったさかい、聖一さんとは気が合うて言うてました」
間接的に奈々の私に対する評価が聞けて、少し安心した。指を切った覚悟は本物だったとしても、結婚を強要されたのではないかという疑念をずっと抱いていた。
「それに――すじになるのは、名誉なことやし」
すじ、と確かに聞こえたが、意味は分からない。他人の嫁になることを、有難いことだと評しているのだろうか。
「うちとこみたいな外れもんは、肩身が狭いんよ」
「そんなん、こっちも変わらんよ。あの人、ほら、あんなんやから、ゆとりがなくってねぇ。聖ちゃんが援助してくれたら助かるわぁって思ってたんやけど、ねえ、聖ちゃん」
叔母が作ったような笑みで私を見る。息の詰まる想いが
黒く汚れた灰皿スタンドの前には、三、四ばかりの黒服が立っていた。
知っているような、知らない顔ばかりだった。彼らと関わりがあったのかもしれないが、小さい頃の記憶が定かではない私にとっては赤の他人だ。それでも向こうからすれば知っている人の子供で、親し気に話し掛けられるのは
車の走っていない道路には、人も歩いてはいなかった。遠くまで見通せる真っ直ぐな道が山の下で消えている。山と反対側に目をやると、バス停があって、そこにも人が座っている。
「聖一や……」
伯父は一人で帰りのバスを待っていた。叔母は今でも苦手だが、この伯父とはよく気が合う。場所までは定かではないが、二人で釣りをしたのを覚えている。父を早くに亡くした私にとっては、伯父が父親代わりだった。その伯父も年齢のせいか、半分、ボケてしまっている。私が帰郷した時に知った、もっともショックな現実だった。
だから、久しぶりに名前を呼ばれて嬉しくなった。
「早よ……帰れ」
こちらを見ることなく、伯父は道路に捨てるかのようにつぶやく。
「もう……帰れ」
「帰るよ。彼女には冷たいかもしれないが、あそこは息が詰まる。改めて独りの時に、彼女に
「そんなんとちゃうわ……前にも言うたやろ。町へ行け。もっと人と関わったらええ」
「都会はさ……疲れるんだよ。ここは人が少なすぎるかもしれないけど、人が多く集まる場所の方が俺には向いてなかった」
「故郷なんてのはな、すがるもんやない。一度捨てた場所はな、違うんや。心がな、ゆっくりと死んでいくんや」
「まあ、それは……そうかもしれないけど」
とはいえ、都会に行こうが、別の町に引っ越そうが、私を
「マダツネ、や。分かっとるやろ」
「まだつ……なんだっけか」
聞いたことがある気がする。頭の隅をつまようじで、チクッと刺された感覚がする。ああ、そういえば、そんな地主神がいたっけか。この町で
「お祈りしてこいってこと? あんまり信仰とかないけど……手を合わせるくらいなら」
いつの間にか、バスが近くにまで来ていた。久しぶりの伯父の声に耳を傾けるあまり、エンジンの音に気が付かなかった。伯父がベンチから立ったから、私は煙草を灰皿に捨てて、正面の扉から入った。車内には誰もいない。私は優先席に座って、伯父を待った。
「伯父さん、どこへ?」
伯父がバスに乗ってこない。むしろバスの進行方向とは反対に歩いている。プシュ―と空気が抜ける音がして、バスの扉が閉まる。座席から立って伯父を視線で追うと、葬式会場に戻るようだ。てっきり家に帰るつもりでバスを待っていたのかと思いきや、私と同じように独りで煙草を吸いたかったのだろうか。
一人用の椅子に座り直した。
バスがガタガタと揺れる。
窓から汚れたコンクリートの町並みを流して、歩道を長らく見つめたが、どこまで進んでも、誰も歩いてはいなかった。
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