ラグランジュ・ブルース 5

                    *



「逃げられると思ったか? たかが自分の子1人探すのは簡単な事なんだぞ?」


 その中心部にある屋敷の最上階にて、ソファーにふんぞり返る父・シンザブロウに、反対側に座って俯いているヨルは説教されていた。


 かなり高圧的な態度であるため、ヨルは押しつぶされそうになっていた。


「次はないぞ? もう一度同じ事をしたらどうなるか、娘とはいえ、分からないほど馬鹿ではないよな?」

「はい……」


 それだけ言い残すと、でっぷりと膨れた腹を揺さぶって、いかにも悪人面のシンザブロウは部屋から出て行き、ヨルは室内と部屋の外に見張りが付いて軟禁状態にされた。


「やれやれ。困ったもんだな」


 黒スーツの男の後ろにある窓から、ザクロが入ってきて素早く首に手を回して絞め落とした。


「クロー、さん……?」

「お迎えに上がったぜ? お姫様」

「な、ん……、で……?」


 わざとらしくニヒルに微笑み、煙草をくわえかけてやめたザクロを見て、ヨルは目を見開いてそう訊きポロリと一粒涙をこぼした。


「まー、お仕事の一環でな。監禁されている出自不明のヨル・クサカベさんの保護に来たわけだ」


 そんなわけでチョイと失礼、とザクロは、黒いスケルトン素材で装飾された、ドレスにしか見えない船外服をまとうヨルを片腕で軽々と抱き上げた。


 不十分な配置の仕方しかされていない監視カメラの死角を通り、センサー類を軽業の様に避けて、ザクロが居住エリア下の配管エリアに入った所で、


「おい。報告の時間――」


 定時連絡が無いため見に来た男が、やっとヨルが奪還された事に気付いた。





 連絡が右に行き左に行きして、話が経営者一味に到達するまで30分以上もかけている内に、とっくに2人は運転手を買収しておいた、コロニーへの密輸船でその防空識別圏外の370キロ上空に出ていた。


「報告書通り、本当にセキュリティ意識の低い連中だな。そんなんだからやらかすんだっつの」


 はーやれやれ、とザクロがぼやくのは、ゲートでろくな確認もしないまま、コクピットの上にある休憩室に潜む2人を素通ししたからだった。


「それに加えて、褒めとけば丸め込めるんで、こっちも商売ぼつたくりしやすいっすけどね」

「へへ、兄ちゃんもワルだな。しかしすまねえな、そんなお得意様しょっぴいちまって」

「いいんすよ。どうせそろそろ足洗って実家に帰るつもりなんで」

「ほー、孝行息子なこった。生きてる内に存分にやってやれ」

「へい!」


 たんまり金を積まれ、ホクホク顔の運転手が操縦する密輸船は、200キロほど離れた地点にある小さな小惑星群に到着した。


 その中でも特に大きな小惑星に、アンカーを打ち込んでソウルジャズ号が係留されていた。


「じゃ、気を付けて帰れよ兄ちゃん」

「ご心配なく! これでもポリ公捲きのスパイキーと呼ばれてるんで」

「そんなら安心だ。じゃな。もう帰ってくんなよ」

「姐さんとお姫様もご達者でー」


 エアロックを連結して2人がソウルジャズ号に移ったところで、スパイキーと名乗った男は爽やかな笑顔で別れの挨拶をして扉を閉めた。


 船体が離れ小惑星群を出たところで、エンジンを全開にしたスパイキーの船は、光の尾を引いて木星方面へと飛んでいった。


「……」

「汚え船で悪ぃ。随分掃除してなくてな」


 うっすらと煙草の臭いがしている、やや大きなトレーラーハウスの様な船内にザクロは、消臭スプレーを撒きながら悪びれる様子もなく言う。


「いえ、そうじゃなくて……」

「ああ、ちょっと前まで相棒がいてな」


 臭いはそこまで気にしている様子はなく、キョロキョロしている視線の先を追ったザクロは、ヨルの疑問に訊かれる前に答えた。

 船内の設備や備品、家財道具などは各所に全て2人分置かれている。


 彼女の表情はどこか寂しげで、ヨルは追求する事が出来なかった。


「さてと。ヨル、おめえさん自由になりてぇか?」


 ひとまず2人用ソファーを掃除しつつ、ザクロは後ろで直立不動のヨルに訊ねる。


「……。はい」


 ほんの一瞬戸惑ったヨルだが、すぐに意志の強い目で力強い返事をした。


「よしきた」

「でもその、私の事はおおよそ見当はついてます、よね?」

「まあな。だが関係ねぇ。だろ? 内部通報者のヨル・クサカベさんよ」

「でも、私……」

「うっせえ。そう名乗ったんだから嬢ちゃんはそうなんだよ。大体、罪を償おうとしてる時点で責める必要なんてねぇ」


 彼女の方を見ずにそう言いながら、ザクロは前方上部にある艦橋へ、壁面から出ている梯子を使って登った。

 その左脇には、前方下部の戦闘機格納スペースへ繋がる隔壁扉がある。


「あの、私が登っても?」

「別に良いが、めちゃめちゃヤニ臭ぇぞ? そこの船外服着てこい」


 手だけがハッチから出てきて、右側にあるラックに収めてある、船外活動用のフルフェイスヘルメットと船外服を指さした。


 言われた通りにヨルはそれを被って梯子はしごを慎重に登っていくと、艦橋は前後左右共に5歩も歩けば端に着く程の広さで、その前の操縦席は隣り合う様に座席が設置してある。


「隣いいぞ」

「あ、はい」


 ザクロはくわえ煙草で右側に座り、忙しく発進前のチェックをしながらヨルに言った。


「ん? ああ、最近のはそんな普通の服に見えるヤツがあんだっけ」


 ちらっと視線を向けて新鮮そうな様子でそういうザクロだが、5年前のモデルと聞いて、


「そんな前からあんのか……」


 エンジンを起動させた彼女はヨルを二度見して、ぼそっとそうつぶやいた。



『ザクロもそんな同じ格好してないで、たまには他の着てみない? こういう可愛いのとか』

『オレには似合わねえよレイ。そもそも興味ねぇし』

『そうよね。相棒の格好にもないものねー』

『なにねて――。ああ、スマン。新しいの買ったのか』

『そう。どう?』

『どうって言われてもなァ……。よく分からんが似合ってるんじゃねぇのか?』

『それだけ聞ければ十分よ。ふふっ』



「――あの、クローさん?」


 ぼやっとしていたザクロに見つめられていたヨルは、少し顔を赤らめておずおずと訊ねた。


「ああ、すまねえ。なんか言ったか?」

「と、特には……」

「……そうかい」


 首を左右に振ったザクロは、やや申し訳なさそうな顔をして、最後にメインエンジンを起動させた。


「さてと」


 アンカーを切り離しボタンを押してとんずらここう、としたタイミングで、


「おいおいにぎやかじゃねえの。宇宙のチンドン屋か?」


 ソウルジャズ号のパッシブソナーが、非常に高出力のアクティブソナー電波を検知した。


「はあ……。連中は馬鹿なのか? 当たりも付けずに馬鹿でけぇの打ってどうすんだ」


 一度だけではなく、ムキになって連打している様に何度も飛ばしている上に、ビーコンを偽装すらしていないため、どこを航行しているのかが筒抜けになっていた。


「おいヨル。おめぇさん、空戦機動する宇宙戦闘機乗ったことは?」

「あ、あります。気絶も一応してません」

「そいつぁ助かった。後ろに乗れ」


 ザクロは煙草を操縦席横の灰皿で雑に潰すと足元の赤いヘルメットを取り、ゾウルジャズ号の自動敵機迎撃をオンにし、先に居住スペースの方へ下りていった。


「わひゃっ」


 1テンポ遅れて下りたヨルは、梯子の最後の一段を踏み外して後ろ向きに落ちた。


「おっと。気ぃつけろよ?」

「す、すいません……」


 それをしっかりと受け止め、少しだけ口角を持ち上げたザクロから目線だけそらし、ヨルは少し赤い顔でゴニョゴニョと言った。


「謝るような事じゃねぇ。行くぞ」


 ザクロはスッと彼女を下ろすと、背中にマウントしていた自分のヘルメットを被り、しっかりと気密ロックをかけた。


 隔壁扉を開けると、翼が中程で折り畳まれて展開時よりシャープな印象を受ける、赤い照明に照らされた流線型の機体が見えた。

 隔壁扉を開けると同時に、コクピットの風防が開いていた。


 その腹の部分には、先程はなかった外付けの増槽ぞうそうと、その左右に対艦ミサイル2発ずつが取り付けられていた。


 機体最前部のコクピットの後部座席にヨルを押し上げて先に乗せ、ザクロ自身はひょいひょいっと手を使わずに乗った。


 4点式ベルトを締めてエンジンを起動すると、足元の黒い部分に外の映像が投影され、まるで座席が宙に浮いている様に見えた。


 ホログラムモニターには、前方から順にアイコンやマーカーが現われ、起動シークエンスが終わると風防と隔壁扉が自動で閉まり、格納庫はブザー音と共に真空状態になった。


「ベルトしめたか?」

「あっ、はい!」

「よっしゃ行くぜ」


 正面の隔壁が口の様にぱっくりと開いて、小惑星群が浮かぶ宇宙空間が見え、ザクロはカタパルトを使わずに機体を発進させた。


 外に出ると同時に翼が展開された機体は、出所が分からない様に、サブのイオンエンジンでゆっくりとその外に出てメインエンジンを吹かした。

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