ラグランジュ・ブルース 2

                    *



「すいません……」

「気にしない気にしない。脅かしたのはこっちだし、謝らなくてもオーケーだよ」


 デューイ艦長ことドウェイン・カズサは、鍛え抜かれた肩を揺らして笑い飛ばした。


 デューイとヨルがいるのは、デューイ自身が管理するカフェテリアで、野球場の内野グラウンドほどの広さがあり、内装は緑を基調としていた。


 扇方に近い奥のカウンターを囲うように、対面で座る座席が縁ギリギリまで並んでいた。


 座席はかなり適当に使われていて、いくつかどかしてコサックダンスを踊る男女、ラップバトルをしている青年2人とそれらの観衆、酒瓶を抱えて床で寝る中年男性、テーブルを囲んでゲームをしている若者集団、と非常にカオスな状態となっている。


「……」


 半分が酔っ払いのそんなクルー達を、ヨルは落ち着かない様子で、失礼にならない程度に見回した。


「騒がしくない方が良いなら、飲酒できない所に移ろうか?」

「ああいえ。むしろこっちの方が落ち着きますから……」


 すいません、とデューイの方を向いて言って、ヨルはそのまま顔を伏せた。


「ところでその……、ザクロさんは……?」

「クローなら南端の喫煙所じゃないかな? 大体そこか自分の船の近くしかいないからね」

「あ、すいません。ありがとうございます……。それでその……」

「ああ。渾名あだなは自己申告だよ。本名そのままの人もいくらでもいるけど、格好いいとか可愛いみたいな理由で名乗ってくれたらいいよ」

「そういうのがあるのかと……」

「ないない。皆、その行為の意味のなさは身に染みてるから」


 ちょっと失礼、と続けたデューイは、ニコチンだけを吸い込めるリキッドのパイプをくわえ、それをマズそうな様子で吸った。


「クローの事が気になるなら行っておいで。ガイドは用意するから」

「もしかしてアタシ?」

「正解。頼むよアイーシャ戦術長」


 ちらっとデューイが見た先には、ちょうどシフト終わりで食事にやって来た略帽を被った若い女性幹部がいて、自分を指さしながら訊ねた彼女にデューイが依頼した。


「ごごご、ご迷惑なら……」

「別に良いわよ。今日はずっとデスクワークだったもの。デューイ艦長ブリトーとビール頼むわね」


 口調に若干の棘があると感じたヨルは、顔を上げて慌てて断ろうとするが、アイーシャの表情はそんな事は全く無く、猫目の整った顔立ちを朗らかにしていた。


「オーケー。食事代はタダにしとくよ」

「はいはい、現物支給ね。やった」


 その理由は、彼女にしっかりと対価があるからだった。


「じゃ、行くわよお嬢ちゃん」

「あ、あの……。ヨル、です……」

「了解」


 すっくと立ち上がったアイーシャは、恐る恐るそう申し出たヨルへ笑みを向けた。


 アイーシャが彼女を連れ、「南」区画端へ直通するゴンドラ乗り場にやって来たが、プラットホーム上には作業着の工員以外、ほとんど人が居なかった。


「声、びっくりしちゃった?」

「あ、あのえっと……」


 首にかけているスピーカーからアイーシャの声は聞こえていて、ヨルは面と向かっては言わなかったものの、彼女の目線が一瞬だけ何度もいっていた。


「別に日常会話が苦手なだけよ。あなたに悪意がないのは分かってるから気にしないで」

「す、すいません……。それにしても、来ないですね……」

「みんな行きたがらないから、ゴンドラ自体の数がないのよ」


 そういうアイーシャの表情からも、複雑な思いがある様子が見て取れた。


「えっとその、私1人で大丈夫です、から……」

「ゴミ処理設備でややこしい事になってるから、1人で行くと帰れなくなるわよ」

「方向音痴ではないので、その……」

「そこまで言うなら地図見てみる?」


 それでも嫌な思いをして欲しくない、と食い下がるヨルに、アイーシャは腕に付いている端末からのホログラム画面で南端エリアの地図を見せた。


「ひえ……」


 無理に全システム押し込んだせいで大量の通路が入り交じっていて、完全にダンジョンの様な有様となっていた。


「そういうことよ。ま、手間賃貰ってる様なものだから、変な気遣いは無用って事で」


 クローのお客さんだから、どっちにしろ案内するわよ、と慮った様な複雑そうな笑み浮かべてアイーシャが言ったところで、正面からゴンドラが2台やってきた。





 それに20分程乗って、どこまでも味気ない建物ばかりが建ち並ぶ、コロニー最後尾の位置に存在する『南』端区画に到着すると、一層下に降りて薄暗い通路を2人は進んでいく。


「ね? 私がいて良かったでしょ?」

「そ、そうですね……」


 ガイドの帯が床の所々ある以外は、ほとんど同じ様な見た目の通路しかなく、アイーシャの後ろをキョロキョロして着いて歩きながら、ヨルは冷や汗をかいていた。


 両手の指で足りないほど角を曲がり、同じほど階段を上下して、最後にらせん階段を昇ったところでやっと喫煙所前の扉にたどり着いた。


「な、なんでこんな所に……」

「大元は後方監視台なのよ」

「そ、そうなんですね。でも、戦うときに困りませんか……?」

「カメラでいくらでも後方確認できるから問題ないわよ。それにもう『NP-47』は老朽艦だから装備も時代遅れで戦力外だもの」

「でも、戦術長って……」

「隕石迎撃のね。対艦戦の経験があるのはデューイ艦長とロッキーさんだけよ」


 じゃあ、帰りはクローに頼みなさいね、と言って、アイーシャはらせん階段を下っていこうとする。


「す、すいません……。ありがとうございました」

「またね」


 頭を下げてその背中へ慌ててお礼を言うと、彼女は振り返ってウィンクをしてから去って行った。


 ややあって。


 彼女を見送った後、使用中、と表示されたホログラムモニターにある、入室のボタンを緊張した面持ちでやっと押したヨルは、


「ぴえっ!」


 思いのほか大きなブザー音が鳴り、腰を抜かしそうになった。


「ん? なんか用か?」

「ひゃあッ!」

 

 エアー音と共に扉が開いた瞬間、トイレに行って帰ってきたザクロに、後ろから話しかけられたヨルは跳び上がって尻餅をついた。


「スマンスマン。大丈夫か?」

「こ、腰が……」

「やれやれ、ちょっと煙草臭えが我慢してくれよ」


 あまりの驚きぶりに目を丸くしながら、ザクロはひょいとヨルを横に抱きかかえ、孤になっている窓際近くのベンチに座らせた。


 ザクロ自身はヨルから離れて、換気装置の吸気口の真下になる、右奥の壁に背中を預けた。


 箱から1本くわえたザクロは、オイルライター型の電子ライターで着火して、一吸いすると煙を上の方に吐いた。紫煙は漂うことなく、真っ直ぐ丸い穴に吸い込まれていった。


「で、何の用だ? こんな汚ぇ『ロウニン』風情に。オレぁ、行きずりの嬢ちゃん引っかけてよろしくやるシュミはねぇぞ?」

「よ、よろしく……?」

「分かんねえなら今はいい」

「はい……?」


 しばらく無言の時間が続いて、


「あっ、用事ですけどっ。その、カフェテリアまで案内していただいたので……」

「お礼ってか? 律儀な嬢ちゃんだ」

「ああ、はい……」


 ヨルは流れ出す様に言いながら、ザクロへ頭を下げて、ありがとうございました、とやや小さな声で言った。

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