フリーターとギャル

 昔、こんな男がいました。


 学業優秀、人当たりも良く周囲からも好かれていた。学生の中で誰よりも大人で、良い子で、優しい男でした。

 その男は順調に有名大学に進学し、順調に大企業に就職しました。男の将来は安泰かと思われた。しかし、それが彼の頂点でした。

 その後順調に仕事をこなしていく男はある日、ひとつの頼まれ事をされます。男は快くそれを了承しました。それから、人からよく頼まれることが増えました。

 男は優秀で人当たりは良かったですが、人が良すぎました。罪悪感から人の頼みを断ることが出来ず、明らかなオーバーワークの末終わらない仕事も出てきて徐々に評価を下げていきました。そして最後は人に利用され、会社から切り捨てられました。


 それから絶望の日々が続きます。価値観の崩壊、人間不信。自分を構成する要素を否定され、男は自分を無くしました。

 そして月日が過ぎ、男は形ばかりの社会復帰を果たしました。答えを得ぬまま、自分を無くしたまま……。



 昼の12時が過ぎたことを確認し、俺はタイムカードを押した。


「お先に失礼します」


「相沢君、ちょっといいかな?」


 帰ろうとする俺を上司の髪崎が制止した。髪崎は相手の顔色を伺う様子で俺を見た。


「君もここで働き始めて半年になる。そろそろフルタイムで働いても良いんじゃないかな?」


 現在俺は8時から12時までの4時間だけ勤務するパートの形式で働いている。フルタイムということは勤務する時間が増えて17時まで働くことになる。俺は首を振った。


「ここでは午前中まで働くという契約をしました。そちらもそれで了承したハズ。それを変更する気はありません」


「でも長く働いた方が給料も多く入っていいじゃないか。何か欲しいものはないのかい?」


 俺は苦笑して、言った。


「ありません。強いて言うなら時間が欲しいです」


「いやしかし……」


「それとも無理にでも時間を伸ばしますか?その時はこの仕事を辞めますが」


 それから髪崎は黙ってしまった。午前中しか働かないという制約があるが、辞めてほしくもないのだろう。こんな俺相手でもそう思うのだからここの人手不足は深刻だ。

 同僚のひそひそ話が聞こえた。


「午前中しか働かないとかやる気あるのか?」


「俺らがこんなに忙しそうにしてるのに、申し訳ないとか思わないのか」


 思わない。忙しいのはお前らが無能だからだ。俺程度をあてにするくらいなら、自分たちでなんとかしろ。お前らみたいな仕事できない奴らが申し訳なさそうに仕事を押し付けてくるから世の中の優秀な良い人は苦労するんだ。苦労しろとは言わないが、与えられた仕事くらいは自分でしろ。

 そう心中で貶し、相沢伊月は職場を後にした。



 職場を出た後、徒歩で駅まで歩き定期券を改札に差し込みホームで電車を待った。程なくして電車がやってきて乗る。その後ふたつ先の駅で降りた。

 駅を出た後ぶらぶらと街を散策する。途中橋を渡り、そこで決まって川を眺める。その川は澱んでいるのかあまり綺麗な川ではなかった。それはなんだか自分のことのように思え、苦笑した。

 感傷的になる年でもない。昔のことを未だに引きずっているのはいささか女々しいが、今の自分に特に不満はない。なるようにしてなったのだから不満なんてなかった。

 橋の先に広場があり、そこのベンチで昼食を取る。毎日午前中で仕事を切り上げた後は決まってここでご飯を食べる。もはやルーティンとも言える。


 家で作ってきた弁当を開けて食べていると、近くから視線を感じた。横を向くと制服を着た女子高校生が不審そうにこちらを見ていた。


「……食うか?」


「食べないよ!!」


 なんだ腹が減っているわけではないのか。


「なら女子高校生よ、あまり人の食事をじろじろ見るべきではない。俺は小心者だから人に見られていると食事が思うように進まん(もぐもぐ)」


「……その割にはお美味そうに食べているねお兄さん」


「それはそれ、これはこれだ」


「どういう意味だよ……」


 女子高校生は苦笑していた。よく見ると風貌は髪は茶髪、制服も少し着崩していた。いわゆるギャルなのかもしれない。


「女子高校生よ、言っておくが俺は金は無いぞ。アパートの家賃と光熱費と保険料と税金と質素なご飯だけで月の給料が吹っ飛ぶくらいだ。故に娯楽はここでご飯を食べるくらいしかないから金を持ち合わせていない。許せ」


「カツアゲじゃないよ!なんでいい大人が昼間っから広場でゆっくりしてるのかなって思っただけだよ!」


 女子高校生は騒いだ。案外見た目に反して中身はピュアなのかもしれない。


「ならば女子高校生よ、言葉を返すがお前はどうなんだ?今の時間ならまだ学校だろ?」


「……あのさぁ、いちいち女子高校生女子高校生って連呼しないでくれない?私には佐原菜子って歴とした名前があるんだけど」


「そうか、俺は相沢伊月。よろしく」


「よろしく……」


 しばし沈黙が流れる。

 俺は気にすることなく食事を再開した。


「食うな!」


 女子高校生に怒られた。



「受験生なんだ、私」


 唐突に佐原と名乗る女子高校生は身の上話を始める。俺はまだ食事中だった。だから逃げるに逃げれない。


「今年で高校三年になって、進学か就職か、志望校はどこかとかどこで働きたいとか、周りの皆そればっかり話すようになってさ。つい最近まで馬鹿やってたのに急に大人ぶりやがって、なんだか私一人置いていかれた気分になってさ」


「もぐもぐ」


「学校もつまんなくなって今サボっている訳。するとこの時間って意外と学生いるんだ。私みたいな奴って意外と多いのね」


「もぐもぐ」


「……あのさ、ちゃんと聞いてる?」


 食べ物を咀嚼し、飲み込んだ。


「聞いてる聞いてる。ただ食事に集中してただけ」


「こいつ……」


 佐原は握り拳を作り、そしてほどいた。


「ねぇ、お兄さんはどんな学生時代送ったの?今みたいに授業サボったりしてた?」


「まるで現在進行形で仕事サボっているみたいに言うな。俺の仕事は午前中だけなんだ」


「なんで午前中だけなの?長く働いた方がお金いっぱい貰えるのに」


 佐原はただ純粋に疑問をぶつけてきた。その様子が初々しくて、少し苦笑する。


「その報酬の対価が決められた時間だけなら俺もフルタイムで働くんだがな」


「どういうこと?」


「まあそのことはどうでもいい。俺の学生時代なんてつまらないの一言に尽きる。つまらない勉強をして優秀な成績を残し、教師の言うことは聞いて、出来るだけ人の役に立とうとした」


「……信じられない。なんだか模範的生徒みたい」


「悪く言えば模範の域を越えなかっただけだがな。なまじ優秀だったからこそ人の言うこと聞いて生きてきた。そういう人間ってのは大体遅かれ早かれ挫折を味わう。それが今の俺というわけだ」


「自分で優秀って言うのはなんか気に入らないけど、お兄さんも色々あったんだね」


「まあな」


 それだけ言うと俺は食事を再開した。お互い会話がない時間が流れるが、5分程経った時佐原が背中を叩いてきた。


「何をする。思わず口から米が吹き出るところだったろ」


「それだけ?お兄さんの話それだけかよ!ここに迷える子羊がいるんだから、その人生経験で何かアドバイスしてくれてもいいじゃない!」


「お前は俺に何を求めているんだ……何もないよ。好きに生きろ」


「はくじょー、薄情者ー!」


「人を血も涙もないみたいに言うな。言いたいことはさっき言ったじゃないか」


 俺は一呼吸入れて言った。


「俺は模範的生徒として人の言うことを守って生きた。その結果が挫折だとしても、じゃあお前が行動しないで進路を決めたところでその先も絶対何かしらの後悔がある」


「じゃあ何しても無駄って言いたいの?」


「それを決めるのはお前だ、佐原。結局人に言われた通りに生きてもその先で絶対失敗するし、成功しても悔いは残る。ならもっと好きに生きればいい。言い訳の余地が生まれないほどにさ」


「言い訳……」


「人が人の意見を求めるのは大半は心地良い言い訳を作るためだ。俺はあの通りやった、私は言われた通りに生きた、だから失敗しても俺のせいじゃないってな。まあ、まだ言い訳に使われる程度なら良いんだが、中には自分のミスを人に押し付ける奴だっている」


 世の中は無能な強者が作っている。いくら優秀でも、弱者であるならそれらに利用され、喰われるだけだ。


「だから言い訳する余地がないくらい自分で考えて行動すればいい。こんなおじさんに何か言ってもらって安心して終わりじゃなくてさ。お前が将来ダメになっても俺責任取れないからさ」


 今思うと不思議だが、俺はあの時人の言うことを聞いていれば必ず失敗しないと思い込んでいた。人は正解を知っていて、まるで全知全能のような存在のように思っていた。もしくは失敗してもなんとかしてくれると思っていた。

 しかし、実際社会に出てみるとそんなことはなかった。社会には良い奴もいたし嫌いな奴もいた。その両方とも俺を頼ったし、利用した。そして最終的には便利に使われただけで切り捨てられた。その時価値観は崩壊し、かつての自分を失い、新しい自分が芽生えた。

 だから今は人からどう思われてもかまわないと思っている。その在り方が醜くても、それが今の自分なのだから不満はない。俺は今の自分に満足だ。


 それはそれだけ言うと食事を再開した。今度は背中を叩いてはこなかった。



「じゃあ私は学校に戻るよ」


「おう、早く戻れ不良娘」


 俺は邪険に扱うと佐原は笑った。なんだか妙に懐かれてしまった。


「お兄さんはいつもここにいるの?」


「さあな。別の場所で食事を取ることもある」


「私の学校ここの近くだから暇な時ここに来るよ。だからお兄さんも来て」


「そこはちゃんと授業受けろよ」


「待ってるからー!」


 そう叫ぶと佐原は手を振って去った。話し相手もいなくなり、弁当も空になったので水筒に入れていたコーヒーを口にした。


 風が舞う。いきなりの強風に不意を突かれたが、悪くないものだった。

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