第13話 ホームズとワトソン
耳に残るのは、陽子先輩の怒声。
「瞳子、私達を捨てるのかぁー。」
陽子先輩、意味不明です。
「あんたは、主役の彼氏なんだぞー。」
やりたくなかったです。
「陽子、もうやめなよ、トーコだってデートしたいんだろ。それはそれで、演技の参考にもなるんだからさ。」
「冴先輩、違います。親のお使いで病院に寄るだけです。」
「ほらっ、真っ赤にはなるし、ムキになって否定するし、いいよ。いってらっしゃい。」
ドアの方へ背中を押し出された。
「そっか、トーコちゃんもデートするようになったのね。その時は、部活のラインにそう入れたら大丈夫だから。」
余計に、面倒な事になるじゃないですか。
その後の絡まれ方が恐ろしくて無理です。
「あら、私はそうしてるわよ。」
可憐先輩、普通は出来ません。
デートで部活休みます、なんて、陽子先輩には言えません。無理だから。
そもそも、デートじゃないし。
「若いっていいわね、イケメンなの?」
さっきからの会話、聞いてますか、海荷先輩。
「私も和装姿の似合う、楚々とした殿方がいいわ。」
桜子先輩、もういいです。
ぐったりしながら、古典研究部を後にすると、病院へ急いで行った。
自分でも分かっている。
あれは、ただただ、私をからかっているのだと。
とにかく、遅れるのは相手に悪いもの。
足早に病院の玄関を通り抜け、ロビーがある場所へ急ぐ。
ほっ、まだ来てないみたいだ。
ゆっくり、後ろの方の席に腰かけると、一息、深く息を吸って吐いた。
その時、コロン、膝の上に置いていた携帯が落ちそうになる。慌てて、掴もうとすると、体勢まで崩れてしまった。
「もうっ。」
自分の鈍さに悪態をつくと、前の椅子の下に入り込んでしまった携帯を、屈んで取ろうと思いっきり頭を下げた。
うっ、取れないよー。
スカートが汚れないか心配だが、膝をつくしかない。
必死にかがみ込んで、手を伸ばしていると、自分の斜め前の席に誰かが座る気配がした。
今は、四時過ぎくらい、もう外来は午前中で終わり、ロビーは閑散としている。
数人、離れた場所で歓談している人もいるが、私の周りには人がいなかった。
まぁ、だから、ここに座って待とうと思ったのだけど。
多分、斜め前に座った人も、私が屈んでいるので、向こうからは見えなかったのだと思う。
それに、私の斜め後ろには、青々とした観葉植物が置いてある。
余計、影になって分かりづらかったのかな。
何だか出ずらくなって、屈んだままの体制でいると、ひそひそと声が聞こえてきた。
「どうしよう、また本が増えてるよ。」
「また、あの、ねーちゃんが持ってきたんじゃないだろうな。隠したいけど、俺、あのおじさんの所、嫌なんだよな。」
子供の声?小学生くらいかな。
「どうして、いいおじさんだよ。この前もおやつくれたし。」
「お前、そんなの貰うな。俺も最初はいいおじさんなのかと思ってたけど、なんだか、あそこに来る人達、変なんだよな。怪しいっていうか。」
「ダイヤモンド付けた人いるよね。」
「んー、それだけじゃあないんだよな。俺がもう少し調べてみるから、お前は、二人のじゃまをしとけよ。俺達の最初の目的を忘れるな。」
「分かってるけど、ずっと付いてる事は出来ないもの。だから、さとるから言われたように、この前、お姉ちゃんが色々、本の事を調べてたよ、って先生に言ったの。そしたら、怖い顔になって、恐ろしくなっちゃって。」
「そうだろうな、だいたい俺達が本を隠してるなんて思ってないんだから。何で大人って、駄目な事するんだろうな。とにかくお前は、出来る範囲で頑張れ、分かったな。」
「うん。さとるも気を付けてね。」
そう言うと、二人の気配が消えた。
私はと言うと、はて?
今のは、いったいどういう事なのか?
多分、小学校の高学年くらい、男女で男の子はさとる君。
そして、本を隠しているのは、自分達だと言ってた気がする。
そして、おじさんとダイヤモンドを付けた人?
本を隠すと言えば、児童館の本が無くなっている事なのだろうか?でも、小学生くらいで、あんなに本を見つからずに隠せるものなのだろうか?
おじさんは、分からないけど、ダイヤモンドと言えば、この前会った、ナカガワ宝石店の人、なのかなぁ。でも、ダイヤモンドのアクセサリーは、お金持ちのおばさんとかでも、付けて来そうだもんね。
うーむ。
「何してるの?もしかして、かくれんぼ、なんて、言わないよね。」
屈んでいた頭を上げると、とってもにこやかな笑顔にぶつかる。
でも、目が笑ってない。
「ロビーで待ち合わせなのに、隠れてるって、どういう事かな。」
一気に体を持ち上げ、直立不動で、
「ご、ごめんなさい。悪気はなかったんです。」
昔の時代劇の悪代官のような、陳腐なセリフが口をつく。
「たまたま、携帯が落ちただけで、隠れていたわけじゃないの。」
言い訳が、苦しく聞こえるかも知れないけど、本当だもの。
黒崎君が来るからって、わざと隠れてたりしないもの。今日、楽しみだったんだもの。
必至の形相が伝わったのか、少し呆れたように、
「宜しい、信じよう。もしかして、昨日の事で、怒っているのかと思ってたから。でも、携帯落しただけなのに、えらく固まってたけど、どうかした?」
話すべきか、話さざるべきなのか、そうこう悩んでいる時に、黒崎君の携帯が鳴った。
「ああ、ちょっと、ごめん。」
私から離れた場所で電話を取った。
そんなに離れなくても、聞かないのに、そう思いながら、チラリと見ると、眉間に皺が寄っている。
難しい話でもしているのだろうか?
そう思うと、先程の出来事は、些細な事で、児童館の本の事ではないのかもしれないし、彼らに会った時にでも聞いてみよう。
そう思ってしまった。
「ああ、ごめん。」
戻ってきた黒崎君に、
「遅くなるから、児童館に行こう。黒崎君の意見も聞きたいし。」
彼の目が少しだけ泳いだ気もしたが、彼も時間が気になるのか、「分かった」そう言うと先程の事は聞かずに、エレベーターの方へ自分をエスコートしようとした。
びっくりして、
「いいよ、何だかお嬢様になった気分だし、気恥ずかしいから、しなくていいよ。自分で行くわ。」
黒崎君から逃げるように、スタスタとエレベーターの方へ向うと、後ろの方で、クスクス笑っている気配がする。
思いっ切り振り向くと、
「黒崎君、早く。それから、笑うの禁止。」
黒崎君は何だか私をじっと見つめながら、少し溜息を付き、両手を上げて降参のポーズ。
そして、
「君に勝てる気がしないよ。」
女子が見たら、メロメロになりそうな程、艶めかしい表情で、私に向って言うのだ。
その瞬間、
「その顔も禁止。」
思わず言ってしまった。
だって、無理だもの。
こんなカッコイイ人にあんな顔されると、本当にトキメイてしまう。心臓に悪いったら、ありゃしない。
黒崎君はと言えば、肩を竦めて、唸った後、私の後ろについて来た。
多分、私の言ってる意味なんて、分からないだろうけど、仕方ないの。男子に免疫のない自分には無理なんだから。
児童館には、今日は、読み聞かせの人が来ていて、数人の子供達が輪になって聞いていた。
みんな楽しそうで、パジャマを着ていなければ、この子達が病気で入院しているなんて思わない。
でも、これじゃぁ、黒崎君と話せないなぁ。
そう思っていると、制服の袖を引っ張られ、あっち、そう指を指された。
丁度、談話室には誰もおらず、普通の長方形の机が四つと、橙色をした派手なイスが四脚ずつある。
ナース室の前で、丸見えなのは少し抵抗はあるが、看護師さん達も忙しく動いているので意外に気にならなかった。
「では、この前、送ってもらった写真の事と、経緯を詳しく話してくれる?」
イスに腰を下ろし、向かい合って座ったので、相手の顔が真正面に見える。
髪はさらさら、小顔で、まつ毛も長く、王子様みたい。
陽子先輩、こういう人が本当は姫を助けるヒーローなんです。心の中で叫ぶも、当の本人はいない。先輩に見せたいわ。
「えっと、じっと見ないで、話してほしいんだけど。」
はたと気づくと、目の前の王子が困ったように、こちらを見ている。
そうだった。
メールだけでは伝えられなかった経緯をなるべく分かりやすく、簡潔に話した。
意外に人を前に説明するって、難しいものだ。
桃田君の事は、何と無く喋りづらく、一貫して、友人として話したものだから、エレベーターのくだりが、少し、ぐだぐだになってしまった。
だって、偶然一緒に病院に行っただけの関係なのに、色々、自分の事でお手間を取らせてしまったのだ。
それも、あの時は仕方ないとはいえ、付き合ってる設定で話が進んでしまった。
だから、自分でもよく分からないけど、モヤモヤして喋りづらいのだ。
「で、エレベーターの中で会ったのが、宝石商の中川さんだったよね。名刺、見せてくれる?」
鞄から名刺を出して渡すと、なぜか臭いを嗅いでいる。
名刺自体は、カメラで撮って、メールで送っているので、分かっているはずだけど、臭いを嗅ぐのはなぜだろう?
「この名刺、貸してくれるかな。」
頷くと、名刺を封筒の中に入れ、バックに入れた。
「どうして、封筒に入れたの?」
普通にしまえばいいだけでは、ないんだろうか?
「うーん、ちょっと調べたいんだよね。分かったら、教えてあげる。」
どうやら、今はそれ以上言う気はないらしい。
悔しいけど、自分では分からない。
それが顔に出たらしく、クスリと笑われた。
「本当に、まだよく分からないんだ。僕の感と言うか、間違っててほしいくらいで、トーコちゃんだって、自信がない事は、調べてからでないと、人にはなかなか言えないものじゃない?」
少し考えて、頷くと、目の前で、花が咲いたように微笑まれる。
もう駄目だ、こっちが恥ずかしくなる。
「どうしたの、顔があかいけど。」
「黒崎君は、どうして、女の人よりキレイに笑うの。」
我慢できなくて、つい、聞いてしまった。
女性より、キレイでドキッってするような笑顔って、まぁ、先輩方なら張り合えるかもしれないけど、あの人達だって、レアな人達だもの。
それに、理由を聞いておかないと、目の前にいるのが耐えられない。
本人はというと、もの凄いびっくり顔。
そうだよなぁ、馬鹿な質問だよね。
なんだか、余計、恥ずかしくなってきた。
「ごめんなさい、あんまりキレイだから、どうやったらそうなれるのかと。目の前でドキドキしちゃうというか、あの、私、今度、舞台で演技をしなくちゃならなくて、でも、キレイに笑えないといいますか、元々、キレイじゃないといいますか。友達もいないから、人と笑い合って談笑する事もないし、自分の笑顔って見た事ないし、だって、笑っている時に、鏡が目の前のある事ないでしょう。陽子先輩からは、顔が強張ってるって言われて、彼氏に笑うみたいに笑えばいいのよ、なんて、恐ろしい事いうんです。付き合ったこともないのにどうやったら出来るのか。なんだか、何言ってるのか分からないし、可笑しいって思われるかもしれないけど、理由が分かれば、ここにいられるといいますか、見惚れずに、直視出来ると言うか、すいません、何だか変ですよね。」
最後は、小声で、本当に恥ずかしくなってきた。
だいたい、男の人にキレイって、怒るよね、普通。でも、黒崎君の笑顔って、魅力的で、惹きつけられる。
自分でも何でこんなにドキドキするのか分からないんだもの。本人に聞くしかないじゃない。
黒崎君の大きな溜息が、聞こえた。
「ごめんなさい。でも、人の笑顔がこんなにキレイだと思うのって、初めてなんだもの。」
もう、謝るしかない。
だいたい男性にキレイって変だよね。
ああ、自分の言動なのに、へこんじゃう。
「トーコちゃん、君だって笑顔はとってもキレイだよ。トーコちゃんの場合、自分に自信がないだけなんだよ。僕も、人からキレイなんて言われたのは初めてで、驚いたけど、意外に嫌じゃない。特に、君に言ってもらうのは、清々しくていいよ。僕だって、自分がどんな感じで笑ってるのかは分からない。でも、君にそう言ってもらえたのなら、今日、この空間に一緒にいる事が、楽しいんだろうね。」
一五一句、丁寧に言ってくれた言葉は、自分でも、とっても嬉しい。
一緒にいて、楽しいと言われたことは、心がくすぐったくて、感動ものだ。
「演技もそうだよ。その空間を楽しめばいいんだと思う。そうすれば、とびっきりの笑顔が出来るんじゃない?」
「ありがとう。なんだか、すっきりした。黒崎君はいい人だね。」
彼の瞳が少し揺れた気がしたけど、
「こちらこそ、僕も少し救われた感じだ。では、トーコちゃん。話の続きに戻っていい。」
大きく頷き、黒崎君を見ると、今度は真剣な顔で、
「後は、一回、児童館に行って、その本を見てみたいな。そろそろ空きそうだし、他には、気づいた事、ある?」
そう聞かれて、
「そう言えば、黒崎君は、本当は知っているんだよね。なのに、なぜ、調べてるの?」
確か、前に会った時は、答え合わせのはずだった。
だから、今日も、そうなんだろうと思ってたんだけど、
「ああ、そうだったよね。でも、君からのメールを見たら、どうやら、違う問題もある気がしてさ。僕としては、真相を突き止めたいわけ。」
「どうして、この病院に入院してたから。」
一番最初に会った時は、パジャマを着ていた。
入院患者以外は着ないでしょう?
「まぁ、それもあるけど。ただ、間違った事が行われているとしたら、やっぱり、人として何とかしたい。自分だけは、出来れば正義の人でありたい、だからかな。」
何かを決意したみたいに、ゆっくり私を見て話す。
私は、黒崎君とここで会い、彼の名前と学校くらいしか知らない。
でも、何と言うか、彼が誠実なのは分かるんだ。
「なら、私も手伝う。一人より二人の方が調べやすいでしょう。」
「うーん、有り難いけど、危ないかもしれないから、情報さえくれれば、僕の方で調べてみるよ。本も取り戻す。だから、大丈夫だよ。」
「あのね、黒崎君がとめても、私が嫌なの。もやもやするっていうか、それに、この情報を掴んできたのは私だもの。それに、黒崎君、忙しそうだし、私の方が動きやすいでしょう。」
「確かに、なかなか時間が取れないのは痛いけど、なら、こうしてくれる?さっき話した友人でもいい、一人でなるべく行動しない事。僕が付いててあげられるといいけど、いつもというわけにはいかない。なるべく、誰かと行動しながら調べてほしい。」
えっと、友人って、
「エレベーターの話の時に出てきた、君の友人だよ。男性だから、言いにくかったんじゃない?」
うっ、読まれてる。
「別に偶然、吹奏楽部の手伝いで会って、二人して病院に行く用事があっただけで、それで、あの時、事情を察して手伝ってくれたの。佳奈ちゃんって妹が入院してたんだ。だから、黒崎君が言ったみたいに、子供に聞いてみようって思って。今、思うと、人の繋がりって凄いね。」
私の顔を見ながら、クスリと笑うと、立ち上がって、
「では、そろそろ行こうか、ワトソン君。」
私もニコリと笑い、
「了解、ホームズ先生。」
さて、本当にホームズ先生のように謎が解けるといいんだけど。
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