襲来
曇り空の中、船を駆る俺の後ろにエルメが立っていた。
「ねぇリトス、知ってるかい?」
「何をだ?」
「人間はね、頭を打つと死んでしまう事があるんだ。僕はそれを坑道でいやと言うほど見てきたよ。」
「ほー、そうなのか。そいつぁ初耳だ。」
「それを踏まえた上でこれを見てくれないかリトス。」
そう言ってエルメは自身の頭を指さした。
「中々綺麗な黒髪だな。売ればきっといい値がつくぜ。」
「そう?ありがとう……じゃなくて!見るのはそっちじゃない!」
頰が緩みかけたのが背を向けていても分かる。なんともちょろい奴だ。
だがこれ以上ふざけると本当に起こる気配を感じたので大人しく振り返ってやることにする。
「なんだよ…。この船小さいからずっと計器見てないと怖いんだが?」
「ヤルザさんが君に任せたのならそれくらい大丈夫でしよ。僕が言いたいのはこっち!」
そう言って指差す先には、ここから見ても分かるほどの大きなこぶが出来ていた。多分、俺の乱暴な離陸のせいだろう。
「あー…俺掴まっとけって言わなかったか?」
「でもあそこまで揺れる?棚一つ壊しちゃったんだけど!」
「本当か!食料とお前の荷物は無事か?高価な物はちゃんと保護しとけよ。」
「僕を心配してよ!」
半泣きで叫ぶエルメ。いじればいじるほど面白い奴だ。
「まぁなんだ、悪かったって。あの飛ばし方が一番時間短縮になるんだ。やる奴あんまりいないんだけどな。」
「あれだけ揺れるなら誰もやらないわけだよ全く…。」
顔を顰めて言うエルメ。確かにそれもあるが、誰もやらないのには実は別に理由がある。
「いや、単純にやり方知らない奴が多いだけだぞ。後あれはやり過ぎると船ごとまとめて爆発しかねないからな、知ってる奴もそうそうやらないんだよ。」
羽根にも炉にも負担がかかる上に、スイッチの切り替えが数秒ズレるだけで龍心炉が臨界突破して爆発するのだ。よほど急いでいるか死にたい奴でない限りやろうとはしない。
「つまり君はとんでもない命知らずって事か…。あ、駄目だ頭が痛くなってきた…」
「この程度で着いて来られなくなるようじゃまだまだだぜ?今のうちに休んどきな。」
にやりと笑って言ってやると、エルメはふらふらと顔を青くして消えて行った。
「ヤルザがわざわざ手配したくらいだからどんなもんかと思ったが…軟弱だねぇ。」
「そんなんでも妹の弟子なのよ。あまり弄らないであげてちょうだい。」
と唐突にヤルザの声が聞こえてきた。いつの間に乗り込んでいたのかと振り返るが誰も居ない。
そこまで精神が追い詰められる様な状況ではないつもりだが、ついに幻聴でも聴こえる様になったのだろうか?
「あら…聞こえてるかしら?リトス?耳飾りは外すなって言ったと思うのだけど…」
そういえば、ホーラル商会を訪ねる時に着けた通信用の耳飾りを着けっぱなしにしていたのだった。馬鹿な心配をしたものだと少し笑う。
「あー聞こえてるよ。着けてるの忘れててな、いつの間に密航したのかと思ったぜ。」
「はっ、私がそんな事するはずないじゃない。そもそも出来ないわよ。」
当たり前だ。あんな目立ちたがりを体現した様な格好で歩き回っていれば密航など――
「ファスの街の名を背負う私がそんなちっぽけな不法行為出来るはずがないでしょう。仮に私が許しても街が許さないわ。」
「あ…まぁそうだな。そういえばなにか用があったんじゃないのか?」
「ええ。バロールの街だけどね、ちょっととんでもない事になってるわ。」
「とんでもない、ね。お前がそこまで言うくらいの事か?」
「ええ。聞き漏らさずに頭に焼き付けなさい。」
にやけていた表情を引き締めた。
元々バロールの街の長であった男がしばらく前に死んだらしい。惨たらしく殺されていたそうだ。
「あの老いぼれ下衆野郎が死んだところでどうでも良いのだけど、問題はその後釜よ。」
「なんだ、誰が座ったんだ?」
「フェイ・ゼルナータ。信奉者の腰巾着よ。全く……」
「そうか。ならバロールはもう奴等の手に落ちたと思っていいな。」
ルメールを取り返す手段を考えながら、俺は一つ疑問に思う事があった。
長い間目立った行動を起こさなかった信奉者達がここ最近になって急に活動を活発化させている理由がまるで分からないのだ。
「……奴ら、何のために動いてるんだ?」
バロールの長の首をすげ替えたのは信奉者の意思で間違いは無いだろう。
しかし、そんな事は必要無いはずなのだ。
大方の人間の悲願である「龍の絶滅」。
それに真っ向から喧嘩を売る主張を掲げる信奉者だが、それに援助をする人間は昔から少なからず存在していた。
わざわざ街を乗っ取るような面倒な真似をしなくても生きていく事はできるはず。
「確かにそうよね…。龍を崇めてるのは分かるけれど、バロールを乗っ取って何する気なのかしら。」
「ただ自分達で拝んでるだけじゃ物足りなくなったのかもな。ここから他の所にまで勢力広げるつもりかもしれないぜ?」
「笑えない冗談はやめてちょうだい。考えたくも無いわ。」
「そうだな。……本当に冗談で済めばいいな。」
ヤルザと喋りながらも俺の目は常に全ての計器を見つめている。
長期間の遠征に耐えて龍の群れと渡り合う様な巨大な船と違い、このちっぽけな船はちょっとした異常で簡単に落ちてしまう。
それを防ぐ為には常に計器に目を光らせておかねばならない。
「冗談で済ませられる様にこっちも出来る限りのことはするわ。取り敢えずジワで一度港に降りてくれる?そっちの人間からあなたに渡してもらうものがあるの。」
「了解……っと?何だこれ?」
「どうかした?」
「気流制御系が異常値出してる。この辺は特に山とか無いはずなんだがな…」
「あら、邪魔して悪かったわね。気象観測は怠っちゃ駄目よ。」
「またな。何かあったら連絡するよ。」
誰の声も無くなり、自分の息遣いと龍心炉の動く音だけが操縦席に響く。
「さて、一体どうなってやがる?」
気流制御系は文字通り、羽根と直結して船の周りの気流に働きかけて船の速度と安定性を増すための機構だ。
その特性から山などの地形や悪天候で数値が変動するのでそれらの警報器にもなるのだが、運が悪いともう一つの災厄も警告してくれる。
「この辺には山も無いし、天気も特に悪くない。となると……」
[gugyaaaaaaaa!!]
聞き覚えのある咆哮。これでもまだ気付かれていないなんて思う様な阿呆は世界のどこにもいないだろう。
そう、気流制御系が警告してくれるもう一つの災厄は。
「っ全速前進!エルメ、しっかり掴まってろ!」
龍の接近。なぜ気付かれたのかを考える暇はない。
龍心炉を臨界駆動に引き上げ、操縦桿を前へ叩き込んだ。
内臓が丸ごと持ち上げられる様な気持ち悪さを飲み込みながら考える。
「声からしてまだ成長しきってねぇな。それでもこいつに追い付くにはお釣りが来るくらいではあるか…」
まだ幼体の時ならば、全速で高度限界まで上昇すれば振り切れる時もあるが今回は無理筋だ。育ち過ぎている。
「ならどうする……逃げ切るのは不可能だ。だが手持ちの装備に龍の鱗を貫けるだけのものは無いし…」
[goaaaaaaaaa!!]
一際大きな咆哮と共に、船のすぐ横を炎が通り過ぎる音がした。
「しめた!あいつ外しやがった!」
目にも止まらぬ速さで0へとかっ飛んでいく高度計を尻目に神経を研ぎ澄ます。
1発目を外したからといって2発目も外してくれるとは限らない。ここからは完全に俺と龍との駆け引きだ。
「エルメ!こっちきて手ぇ貸せ!」
「もう……いるよ……ここに…」
いつの間にかすぐ後ろに来ていたエルメが今にも死にそうな声で答えを返してきた。
「ちょうど良かった、そこの隅にある棒を反対に倒してくれ。それでここの天井が開くから――」
[guoaaaaa!!]
「っ!2発目か!」
咄嗟に操縦桿を左に倒し、同時に龍心炉を過剰駆動させる。
[ガギギギィィィィィ!!]
ただでさえ限界まで酷使している駆動系が盛大に異音を発して船体を軋ませる。
これ以上無理を強いたら空中分解しかねない。
だがここで手を抜いたら船もろとも龍に喰い尽くされる。
「そんなのは御免だからな…エルメ!出来そうか?」
「む……無理……吐く…おなかんなかぜんぶ吐く………」
「いくらでも吐いていいから!死んだら吐くもんも吐けねぇぞ!」
高度計が100を切った。90…80…70…どんどん0に近づいていく。
「むぅ……動かない…」
「全力だせ!体重かけりゃ子供でも出来る様に作られてるはずだ!」
炉の出力を絞っていく。慣性のおかげで速度は落ちないがそれでいい。そうでなくては困る。
「ん〜っ……動きそう……」
「それ動かしたらあとはこっちの仕事だ!船ごと死にたくなきゃきりきり動け!」
55…50…40…もう少し、もう少しだ。
「んぁぁぁ!っだあ!動いた!」
「よしそのまま掴まってろ!もう少し耐えてくれよこのボロ船ぇ!」
高度計が10を切った瞬間、操縦桿を手前に引きつけて出力を全開にした。
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