飛翔
「リトス様、お待ちしておりました。御用命のお荷物はお運びしておきましたので港の三番口にてご確認下さい。」
「ん?俺そんな事言ってたか?」
「ファス・ラ・ヤルザ様から代理として仰せ使っております。何か不都合がございましたか?」
「いや…あいつの事だから問題無いだろう。ありがとうな。これは礼だから取っといてくれ。」
金翼貨を2枚受付の男に握らせ、商会を出る。
後ろから歓喜の雄叫びが聞こえた気がしたがきっと気のせいだろう。相場よりかなり高い心付けではあるが、押しも押されぬホーラル商会の受付がそんな事をするはずがない。きっと。
「まぁ…喜んでくれたなら良かった…のか?待遇良くないのかな…。」
「何のことよ?」
「文句無しの大商会に勤める受付が金翼貨2枚程度であそこまで……っていつの間にいたんだよヤルザ!」
「さっきから入り口にいたじゃない。周り見なさいよ。」
呆れた顔をする色の暴力ことヤルザ。これに気づかないとは思ったより考え込んでいたのだろうか。
「で、感触はどうだったのよ?」
「最悪の一歩手前ってところだな。」
「歯切れの悪い答えねぇ。まあ港に行くまでにゆっくり聞かせてもらうわよ。」
それ以上何も言わずにヤルザは歩き出す。港まで数分の道のりが随分と遠く感じた。
「ホーラルの助けは期待出来ない。あいつは信奉者側だった。」
「そう…相当金積まれたのかしらね。」
「分からない。だけどあいつ、俺たちの知らない何かを知ってるみたいだ。金以外に何か理由があるような言い方をしてたからな。」
「金以外の理由…ホーラルが?」
もしかしたら知っているかもと振ってみたが、彼女にも心当たりはなかったらしい。ならば他の誰に聞いても同じだろう。
「何にせよ、ルメールを追えば分かる事だ。船の調達は出来てるか?」
「ええ。急だったから型の古い小型船しか用意出来なかったけどバロールまでは十分ね。必要な物資は積んだし、人もすぐに到着すると思うわ。」
「助かるよ…って、人?」
「そう、人。」
ファスの港の三番口、都市間の連絡船や外での作業に使う小型船が集まる区画の端に小さな船が泊まっていた。
古ぼけた黒いそれは小さいと言っても10人くらいは軽く寝泊まりが出来そうで、油で光る外板は古くてもきちんと手入れされている事を示している。
「もう少し武装も積んで強い船を用意できれば良かったんだけれど我慢してちょうだい。その分操舵手は一流を雇ったから。医術の心得がある子も一人呼んだから少しは怪我しても良いわよ。」
「この短時間で助かるよ。だけど…操舵手はいらねぇ。関わる人間は出来るだけ少ない方がいいからな。」
訝しげに俺を見るヤルザ。それもそうだろう。船を動かすのに操舵手は必ずいなければならない。それを断るとはどういう事なのだろうかと。
「医者だけ連れて行く。操舵手は俺がやるよ。」
「俺がやるって…あなた出来るの?」
「まぁな。出来もしないのに言わねぇさ。この型の操縦なら慣れてるし。」
肩をすくめて船の入り口をくぐった。
手早く船の中を見回り、目立った異常が無いことを確認する。
「…………はぁ…。」
操縦など出来ないなら出来ずに済む方が良かった。その思いは今でも変わらないが、これで一人関わらせずに済むならば少しはましなのだろう。
しかし、死ぬかもしれない人間を一人増やしてでも操縦桿を握りたくないと思う俺もまたいるのだ。
「……嫌な奴だ、全く。」
「初対面の相手に嫌な奴とは言ってくれるじゃないか。その口縫い合わせてやろうか?」
後ろから飛んできた剣呑な声に、医者が一人一緒に来るとヤルザが言ったのを思い出した。
振り返ると白い長衣を着た青年が苛立ちを隠さずに俺を見ている。
地下で育った人間には珍しい艶やかな黒髪に深く蒼い目をしたその青年、おそらく歳は俺より少し上だろうか。
「それは勘弁してくれ。口は大事な商売道具なも んでね。しかし医者名乗るならこの程度で怒るなよ。」
「どうだかな。商人名乗るならそんな簡単に不用意な事口にするなよ。」
薄暗い通路で顔を見合わせる。お互いに表情が読めないまま沈黙が続いた。
「…………」
「…………」
「……ふふっ…」
「……くっ…あははは!」
堪えきれずに吹き出してしまったのは俺の方が後だ。だから俺の勝ちという事でも無いが。
要するに、この剣幕も煽りも全て茶番なのだ。
「あー……俺はリトス。リトス・カザだ。」
「僕はエルメ。リトスと呼んでいいかな?」
「構わんよ。しかしお前は怒り慣れてないのが丸分かりだな。もう少し練習した方がいいぜ?。」
「本当?年下だけど実力のある商人だってヤルザさんに聞いてたから、最初に印象付けておかないと覚えてもらえないんじゃないかと思って頑張ってみたんだけど…。」
肩を張って大きく見せようとしていた様だが俺の目は誤魔化せない。この程度の人間観察出来ずして商人など出来ようもないし、尋常じゃなく顔が引き攣っていたから正直誰一人騙せなかっただろう。
「頑張るならもっと別の方向を模索しときな。まずはこの船の中を確認してくる事から始めたらどうだ?俺はもう操縦の準備に入るから、終わったら飛び立つまで船室で待っててくれ。」
「うん。荷物の積み込みが終わってるからそこから見ていくよ。」
小走りで駆けていくのを見届け、船尾へと向かう。これで操縦席に着いた俺を彼に見られることはない。
見られたところで不都合があるというわけではないが、個人的にあれを見られるのは好きでは無いのだ。
「扉くらい付けておいてもらいたいもんだが…まぁ仕方無いか。」
擦り切れた布張りの操縦席に体を沈めて目を閉じた。
押し殺そうとしても高鳴る鼓動を抑え込んで目を開けば、輝く真鍮製の計器と操縦桿が目の前に並ぶ。
「準備完了だ!火ぃ入れろ!」
外にいる作業員に叫ぶ。
全ての船の動力源となる龍の心臓、それを起動するためには呼び水となる熱源が必要だ。
大きな船ともなると金属を複雑に調合した高火力が必要になるが、この程度の大きさなら松明一つで十分に熱を確保できる。
「龍心炉、起動します!」
松明の炎が心臓を舐める。殺された龍の体から引きずり出され、人の都合で歪められた肉の塊は、その熱を吸って鼓動を再開した。
「あーあー、エルメ聞こえるか?」
操縦席に取り付けられた伝声晶がエルメの待機する船室に声を届かせる。あちらから返答が来るのを待たずに俺は続けた。
「荷物押さえてしっかり掴まってろ。尋常じゃねえほど揺れるからな。」
言い終わったと同時に操縦桿が痙攣する様に揺れる。心臓が本格的に鼓動を始めた合図だ。
すぐに左手近くに配置されたスイッチをいくつか切り替える。
船の構造上、龍の心臓が生み出すエネルギーはまず最初に船の下部に取り付けられた羽根に行く。先に全てのエネルギーを使って羽根を起動し、船を浮かせてから別の用途に回していく様に出来ているのだ。
「だがまぁ、そんな悠長な事してられねぇからな。ちょっと強引な裏技だ。」
俺が今切り替えたスイッチは、エネルギーを通す配管の流路切り替え用の物だ。
まずは心臓から羽根へ流れる管のスイッチを切り替えて船内の暖房設備に回る様にする。
次に本来のルートが使えなくなった時のために用意された予備配管のスイッチを入れ、暖房設備に回るエネルギーをそちらに流す。
地上よりも遥かに寒い空の上において暖房設備は生命維持に直結する。予備配管は万一通常の流路が使えなくなった時のために心臓から直に繋がる様に作られていた。
「つまり、それを使えば心臓から船内を回ってまた心臓へ……って事だ。この辺の構造も同じで良かったぜ。」
エネルギーとはすなわち熱量。
熱を糧に駆動する龍の心臓に、それ自身が生み出した熱量をそっくりそのまま戻したらどうなるだろうか。
「たった今起動した龍心炉が、一気に臨界に達するってわけだ。」
船内の温度が少し上がったのを感じる。炉から離れたところにある操縦席でも感じるほどの熱量だ。
「最後に全部元に戻せば……」
切り替えたスイッチを全てパチンと元に戻す。
船内を延々と回って溜め込まれたエネルギーが全て羽根を熱して起動せんと殺到する。
[バギギギギギュィィィイイイイイイ!!!!]
龍の羽根は耳障りな轟音と共に起動し、突き上げる様に船を揺らした。
久方ぶりのそれに踊る心を押し殺し、俺は誰にとも無く呼びかける。
「よし……飛ぶぞ!!」
叫びながら操縦桿を思い切り手前に引きつける。
かつて強者から引き千切った翼をはためかせ、古ぼけた船は弱者を乗せて穴蔵からひらりと飛び立った。
――――――――――――――――――
「リトスったら……随分懐かしい飛ばし方するじゃないの。後で問い詰めてやらなきゃ。」
「ヤルザ様!指示通りの物は用意しましたが…よろしいのですか?あのような男にこんな――」
「良いのよ。あいつなら下手な使い方はしない。それは私が一番知っているわ。」
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