奪還への一歩
「……!リトス!生きてたら起きなさい!リトス!」
「………んあぁ…っ⁈」
聞き覚えのある声がして目を開けると、見覚えのない怪物がいた。
いや違う。憤怒の形相をしたヤルザだ。
「良かった…生きてたんなら早く起きなさい!医者呼ぶのだってタダじゃないんだから!」
「生きてて嬉しいくらい言えねぇのかよヤルザ…痛ってぇ……」
割れる様に痛む頭を抱えて身体を起こすと、ヤルザの執務室は龍が暴れでもしたのかと思うほどの惨状だった。
無事なものといえば机くらいだろう。長椅子はひっくり返り、調度品はほとんど破壊されて床に落ちている。
「ひでえなこりゃ。損害額が想像もつかんよこいつぁ……」
「そんな事はどうでもいいわ。何があったのよ?」
「それはこっちの台詞だぜ。お前、なんで追われてたんだ?」
それを聞くとヤルザの表情が曇った。
顔を顰めて少し考え込み、ぽつりと呟く。
「思った以上に悪い状況なのかもしれないわ。まだ何も始まっていないというのに…。」
ヤルザ曰く、外に出てすぐ異変に気付いたらしい。
「衛士が一人残らず居なくなっていたのよ。執務室
の入り口を警備しているのも、巡回の面子も一人残らずね。おかしいと思って詰所に走ったら…」
「みんな殺されてた…って事か。」
ヤルザは黙って頷いた。
「あなたはどうなの?そっちは何があったの?」
一瞬、本当の事を言うか迷った。ヤルザの対応を見る限り、彼女はショーラをかなり信頼している様に見えたからだ。
重用していた部下が実は信奉者の手先で裏切っていましたなんて聞いたら、誰だって平静ではいられないだろう。
「何を気兼ねしているかは知らないけど…私はあなたの口から事実を聞きたいわ。」
その逡巡を見抜いたのか、ヤルザは静かに言った。
「分かったよ。……ショーラだ。あいつは信奉者の手先だった。あんたを殴り倒したのはその部下でタオって野郎だよ。」
「……そう。やっぱりね。」
それだけ言って黙り込んだ彼女を置いて俺は執務室の片付けを始めた。
ルメールを追うにしても信奉者を潰しに行くにしても、今は情報が足りない。せめて奴等がどこに向かったのかだけでも分かればと思ったのだ。
「ったく滅茶苦茶にしてくれやがって…片付けるこっちの手間も考えろっての!」
「……そんな事考える様な連中なら元々こんな事しないわよ。」
「まぁな。そこまで言えるなら元気だろ?手伝ってくれ。」
散らかった執務室の中に手掛かりを探して黙々と片付けていると、救いの手は予想もしなかったところから現れた。というか、俺が持っていた。
「ねぇリトス。その尻に挟んでる物、何?」
「尻?……あ。」
言われる通りに手を回すと、かさりとした感触が指先に生まれる。
あの時は些細な意趣返しのつもりだったが、ショーラはどうやら身体検査まではしなかった様だ。俺の機転に賛辞を送りたい。
「ヤルザ、俺の機転とショーラの詰めの甘さに乾杯だ。」
不思議そうに俺を見るヤルザに、にやりと笑いかける。
「何なのよその紙。そんな所にしまっておくなんて。」
「ふっふっふ…これも手掛かりだよ。使えるかどうかはあんたにかかっちゃいるがな。」
「……はぁ?」
ショーラに紙を渡したとき、俺は右手であいつに手渡した。その時に左手で最後の一枚だけを抜き取って隠しておいたのだ。
「あの馬鹿、要注意人物とか言っておきながら俺が渡すものを全部あるか確認しなかった訳だ。全く本当に詰めが甘いな!」
「命が危なかったっていうのに何よその逞しさは…ふふっ。」
呆れるヤルザを鼻で笑って紙を開いた。
あの船の中で確認したのと同じ、ルメールの名前だけに丸が描かれた名簿だ。俺が見たらそれしか分からない。
「あー、改めて見て何か分かるか?」
「ふむ…あそこでは私の記憶だけしか資料が無かったけれどここでは違うわ。名前を洗ってみるからこれ、しばらく預かるわね。」
ぶつぶつと何か呟きながらヤルザは消えて行った。あの分ではもうすっかり本調子だろう。立ち直りが早いのはいい事だ。
「さて……そういえば、一つ突き止めないといけない事があったな。」
ルメールがアイゾルニアの一員である事を、何故ショーラは知っていた?
彼女の賢さはヤルザへの受け答えで十二分に分かっている。アイゾルニアの名前の重さと、自分がそうである事を不用意に広めるのが大きな問題になることは理解しているはずだ。
「…何らかの手段で聞き出した?」
いや、おかしい。ショーラが接触した時点ではルメールがアイゾルニアである事は確証が無かったはずだ。
無理に聞き出しても自分の身が危険になるだけだ。
「……決まりだな。」
ならば可能性は一つ。この部屋の会話を盗聴していたのだろう。
しかし、この部屋の中で発せられた声はそうそう外に響くことは無い。
「穴が開けてある気配もないしなぁ……」
先人が命懸けで山をくり抜いて作ったファスの街、その中枢部ともいえるこの執務室。そんな場所の近くにこそこそ穴を開けるなど不可能だ。
「分からねぇな…何をしたのかは分かるのにどうやったのかがまるで分からん。」
どれだけ頭の中で情報を捏ね回しても何も出てこない。手詰まりだ。これ以上考えても俺では何も出てこないだろう。
諦めて椅子に倒れ込んだ。しばらく寝れば何か進展するかと思ったのだが。
「…痛っっっだぁぁぁぁあ!」
尻に食い込む何かと脳天を貫く激痛に飛び上がった。一体なんの仕業だ。
正体不明の襲撃者の正体を見極めんと振り返ると、そこには見覚えのあるものがあった。
「あー…こいつか。そういやここに置いておいたんだったな…。」
傷の入った白い宝石。ヤルザが持っていたものだ。
壊すわけにはいかないが、この尻の落とし前はつけてもらわねばならない。
さてどうしてくれようかと弄んでいると、唐突に声が響いてきた。
「ちょっとタオ!それ早く捨てとけって言ったでしょ!情報抜かれたらどうする気よ!」
「了解。」
ガツッという耳障りな音と共に声は消えた。
間違い無くこの手の中にある宝石からだ。普通の宝石は声が聞こえてきたりはしない。それに今の声には聞き覚えがある。
「これ…伝声晶か!という事はここから全部聞かれてたって事か?」
冷や汗が流れるのを感じる。どこまで聞かれたのかはショーラを問い詰めなければ分からないが、少なくとも全て聞かれていたと考えるべきだ。
つまり俺たちの計画が根本から崩れる要因がまた増えた事になる。あの画期的な台車の利権は何としてもこちらで確保しておかないと、必要な資金を集める手立てが無くなる。
そうなれば詰みだ。全ての都市をまとめ上げるどころか、街の中でくすぶる屑石商人の中の一人になってしまう。
「くそっ…どうしてこう、やる事成す事裏目にでやがるんだ。全く…」
「リトス!奴らの行先分かったわよ!早く準備しなさい!」
ヤルザが執務室に飛び込んで来た。全く落ち込む暇もありゃしない。
「何処だ?準備するにしても場所が分からなきゃどうしようもないぜ?」
「バロールの地上街よ。時間が惜しいから情報交換は伝声晶でやるわ。後で渡すわね。」
「よりにもよってバロールかよ……めんどくせぇ。」
慌ただしく執務室を歩き回るヤルザ。これはこれで見ているだけで面白いが、そんな事をしている暇はない。
「待て。伝声晶といえば今すぐ確認しないといけない事がある。」
「何かしら?」
「この宝石が伝声晶だった。お前これどこから買った?」
「そりゃ競売よ。ここの街のホーラル商会から白金翼貨20枚で買ったわ。」
「20枚?50の間違いじゃねぇのか?」
「あぁ、最初はその値で買うつもりだったのだけれど、急に値を下げられたのよ。傷を付けてしまったとか何かでね。」
ホーラル商会はこの町だけでなく、北と南に一つずつ拠点を持つ大商会だ。そんな商会が、何よりも信用が命の宝石商売でそんな失態を犯すだろうか?
買う方も買う方だが売る方も売る方だ。
段々と信奉者の手口が見えてきた気がした。奴らは少しずつ、ヤルザですら気付かないほどにゆっくり細部に目と耳を伸ばしているらしい。
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