契約
「さてルメールちゃん。お仕事の話をしましょうか。」
「はっ…はい!なんでしょう!」
がちがちに緊張したルメールの上擦った声。
無理も無い。完全に仕事の目線になったヤルザは、付き合いの長い俺も未だに少し怖い。ほぼ初対面に近いルメールではなおさらだろう。
「まずは一つ貴女に許可を取りたいわ。貴女の作ったあの荷車の事なのだけど。」
「あ…あれがどうかしましたか?ここの扉を壊してしまった事なら…」
「それなら隣の間抜けに弁償させたから問題無いわ。許可というのは販売の事なのよ。」
「はんばい?何か売るんですか?」
ルメールはまだ話が掴めていない。
間抜けと呼ばれた事はひとまず置いておいて、助け船を入れてやる事にした。
「お前の作った荷車をファスの街で正式に商品化して売りたいって事だ。」
「あれを?でもあれはもう…」
「壊れた事なら問題無いわ。うちの連中ならあの程度すぐに修復が可能よ。多分もう終わってるんじゃないかしら。」
「えー…でも…」
なおも言葉を濁すルメールの手を握り、ヤルザは身を乗り出して語る。
あの強面が目の前に迫っているのだ。慣れていないルメールには効くだろう。
「ねぇルメール。あれは貴女が思っている以上に素晴らしい発明なのよ。坑道における労働力はその3分の1が鉱石運搬に使われているの。運び手が足りないが故にそのために人を雇う事だってある。貴女の作った荷車はその大半を削減できるのよ。」
「ルメール。ヤルザの言ってる事は本当だぜ。なんたって経営者の帳簿覗いて確認したことがあるからな。」
「リトス貴方そんな事してたの?」
「おっと口が滑った。」
俺だけの秘密がヤルザにばれそうになった所でルメールを見やる。
「一応ちゃんと考えろよルメール。言っちまえばこの提案は、お前が独占できる利益をこっちにも寄越せって言ってるのと同じだからな。断る事もできる。」
「ちょっとリトス。黙りなさい。ルメールちゃん、早めに決めてくれるかしら?」
「だからヤルザ!考える前に最低限の知識位は――」
「いいですよヤルザさん。あんな物で良ければいくらでも。」
相手に十分な知識と時間を与えず、一方的にたたみかけて契約だけを取り付けるのは俺達商売人の常套手段だ。
こちらに有利な条件を取付けやすいという利点があるが、相手からの心象は確実に悪くなる。俺はそれを危惧していたのだが。
「おいルメール…少しは考えて物事を口にすべきだぜ…。」
「なんで?あれは私が持ってても意味無いものだし、いいと思うよ?」
「いやだからお前の分の利益がだな…」
「利益なんかいらないよー。あれが人の役に立つならそれでいいのいいの。」
「諦めなさいリトス。あなたとは思考回路が根本から違うのよ。」
そもそもルメールは利益を求めていなかった。
損得抜きで人の役に立ちたいと思う心情は俺には理解出来ないものだ。
ずっとこんな稼業をしてきたせいだろうか。気付かずに染まっていたのだろう。悲しさ半分嬉しさ半分といった所だ。
「それじゃ、意思も確認できた所で分け前相談といきましょうか。」
「分け前なんて――」
「諸経費そっち持ちの8対2だ。流石にここは譲らせねぇぞ。」
言いつのろうとするルメールの声を遮った。
ヤルザは表情を変えないまま頷く。
「まあそれはそのつもりよ。開発自体にこっちは何も協力してないから妥当なところね。」
「2人とも、私はそんなにいらないから…」
「「いるいらないの話じゃないんだよ(のよ)。」」
俺とヤルザの声が同期してルメールに襲いかかる。
話が読めないといった顔のルメール。まあ、これは経験が無いと分かりづらい関係だ。
どう説明したものかと思案している間に、ヤルザが机に色とりどりの結晶を並べていた。
どうやらそれを人に見立てているらしい。
しかし俺の記憶が正しければそのうちの一つは、しばらく前に白金翼貨50の値が付いた超高級品の筈だ。
「…いや、流石にそんなはずはないよな…。」
本物だったらあんな屑石を放るような置き方はしない。筈だ。恐らく。記憶にあるものと違ってなんかおかしな傷が見えるし、きっと俺の思い違いだろう。
「いい?ルメールちゃん。これが私でこっちがあなただとするわね。リトスはこの際どうでもいいわ。」
「俺の扱い……」
「リトス?」
ひと睨みで黙らされた。怖い。
「まず、私達は貴女の発明した荷車を量産して売り捌くつもりです。これはいい?」
「はい。それは分かりますが…」
「間違い無く全ての街で需要があるあれが出回れば、確実にその発明の利権を欲しがる人も出てくる。」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。さて、そこでルメールちゃんに質問。利権が欲しい商人の気持ちになって考えてごらんなさい。」
「なんでしょう。」
「それが別の人に独占されてたらどう思うかしら?」
「…欲しいんですよね。なら、なんとかして手に入れたい…のかな?」
うなずきながらヤルザはもう一つの結晶を取り出して机に置いた。
「これがその、利権を狙う商人だと思ってちょうだい。」
「それにしては随分と綺麗ですね……」
「私の趣味よ。それで、貴女ならどうやってこれを手に入れようとするかしら?」
ヤルザとルメールを示す白と青色の結晶の間を指で叩く。さて、ここにある関係を手に入れるにはどうすればいいだろうか?
「ヤルザさんから奪い取る…違う。私を抱き込んだ方が早い?」
「正解!流石はルメールちゃんね。あともうひと押しよ。」
「ひと押し…契約の内容が抱き込むのに関係する理由……?」
笑みを浮かべながらヤルザの視線の先で眉を顰めて考え込むルメール。見た目に目をつぶれば子供に教えている親にも見える。
しばし静止していたその目が再び開くのに、さして時間はかからなかった。
「…私により有利な条件を出せば抱き込めると考える。そのいざこざを防ぐためにあえて今、簡単には出せない条件を出した………って事ですか?」
「……」
何も言わずに俺を見るヤルザ。顔を見合わせてニヤリと笑った。俺と同じ感想に行き着いたのだろう。
この子を味方に引き入れて正解だった。この頭の回転の速さは、もうそこらの十把一絡げの商人よりも優れている。
「ルメールちゃん流石ね。文句無しよ。」
「ちなみに言うと、悪い条件の契約はヤルザ側も評判が悪くなる可能性もあるんだ。こんなのをアイゾルニアであるルメールに結ばせたのか?ってな。だからこっちにも利益があるんだよ。」
俺が付け加えてやると、ルメールは感心したように頷いた。少しは威厳も保たれただろうか。
そう思っていると、彼女は何かに気づいたように口を開きかけ、また閉じた。
「どうした?何か疑問があったら遠慮なく聞いてくれていいぜ?」
「今の話って、契約内容が知られなければ問題無いんじゃないの?今ここには私達以外誰もいないし、これならいくらでも変な契約しても大丈夫なんじゃない?」
純粋なルメールの純粋な疑問。俺も昔はそう思っていた。
「ま、理論上はそうなるな。」
そう頷いて一呼吸置く。神経を張り詰めさせて自分の耳に意識を集中させる。
「でもなルメール。情報ってのはどこから漏れるか分からねぇんだよ。例えば…扉の向こうで聞き耳たててる奴とか居たりするからなぁ!」
俺はそう叫んで立ち上がり、あえて大きく足音を立てながら部屋の扉に近づいた。
重厚なその扉の取っ手に手をかけようとした所で、ヤルザの呆れた声が届く。
「リトス…あなた何やってるのかしら?」
「用心のためだよヤルザ。この方法って案外有効なんだぜ?」
笑いながら俺はそう返した。確かに外から足音や声などは一切聞こえなかったから、ヤルザの言う事は間違っていないらしい。
安心して戻ろうとした時、集中したままだった耳が小さな足音を捉えた。
「…?誰か来――」
言い終わる間も無く扉が蹴り開けられる。
「ルメールちゃぁぁぁああん!ついでにヤルザ様ぁ!あともう1人!お茶をお持ちしました!」
ショーラとか言う奴だった。挨拶もそこそこに飛び込んできた彼女は、投げ捨てる様に茶を机に放り出し、一切減速せずにルメールに飛びつく。
「むーっ!……ショーラ…さん…」
「あああぁぁぁ可愛い…ねぇヤルザ様、ルメールちゃんのお仕事っていつ終わるんです?早くうちに来て欲しいんですが!」
「まだ結構かかるわよ。あと早く離してあげなさい。来る来ない以前に死んじゃうわよ、それ。」
ショーラの両腕はルメールの首に回っていた。あの情熱で締められたら呼吸もままならない。
ヤルザも大概だが、ファスの街には変態しかいないのだろうか?
「ショーラ。まだこっちの話が終わってないの。外に出ていてちょうだい。」
「はーい…それが終わったらうちに貰いますからね!こんな可愛くて賢い子、他のどこにもいないんですから!」
そう叫んでショーラは部屋を出て行った。
全く人騒がせな奴だ。
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