逃走と回想




 見られている。いや。覗かれている。覗き込まれている。見透かされている。あの大きな瞳で俺の奥の奥まで理解される。そんな気がする。

逃げなければ。

逃げなければ。

視界から外れなければ。

速やかに奴の目から逃れなければ。



手遅れになる。



 咄嗟に飛び降りた。その選択は間違いでは無かったと思う。しかし、


「痛っった!あああぁぁぁ!まずい…まずいまずい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬほど逃げないと…逃げねぇと…」


 したたかに腰を打ち付け、一瞬下半身が痺れた。だがそんなことで止まっていては奴に喰われる。走れ。走れ。

 いや。あの龍はかなりの巨体だ。ただ走るだけでは少し歩くだけで簡単に追いつかれてしまう。ならどうする。追いつかれないために俺は何をすべきだ。


「……木の葉で視界から逃れ続ける。常に方向を変え続けて進路を予測させない事だ。だが炎を吐かれたら終わり。何処にいても焼かれる。」


走れ。

何処にいても焼かれる。焼かれる。焼かれる?何処にいても?それはおかしい。奴らも生物だ。体の可動域には限界があるはず。

走れ。

走りながら考えろ。常に行動し続けねば死ぬ。

自分の思考と対話しながら走り続けろ。


「だとしてもそれは何処だ?奴らの首は後ろにも向く。死角なんて…。」


死角。死角?


「いや、死角である必要はない。炎を吐かれなければいい。炎さえ吐かれなければこの環境で逃げ切る事は十分に可能だ。」


 と、なると。行くべきなのは。やるべきなのは。


「遠くに離れることじゃない。」


 背を向けて逃げることじゃない。


「奴の真後ろで、」


 常に


「奴の視界に入らずに諦めさせる。」


 出来るか?


「やる。」


 了解だ。


 まずは奴の目に入らない様に近づく事だ。これは簡単。木に張り付きながら行けばいい。それだけで奴は俺を見失う。


[guuu…gugyurrrraaaaaaaaaaaa!!]


「あ。」


 奴が動き出した。何故だ?俺以外の獲物でも見つけたのか?俺は逃げ切れたのか?俺以外の獲物、もしかして。


「あいつら…意外と近くにいたのか。」


 俺が寝ていた間に脱出したあいつら。目印も残さずに薄情な奴らだと思っていた。だが、もしそれが残さなかったのではなく、残せなかったのだとしたら。

 龍に追い立てられ、多少の仲間を置いて逃げるしか無かったのだとすれば。それは。




「ま、どうでもいいか。あの龍が行った方向は俺の荷物とは別だし。うん。放っておこう。」


 そう。どうでもいい。自分の事ではないから興味は無い。だって、あいつら金にならないから。俺の利益にならないから。


「さて…と。脱出船の荷物、ゼドルまで運ばないとなー。こりゃ重労働だ。」


 ゼドルの煙を見て別の船が助けに来るはず。ならば、この荷はそこで捌くのが得策だ。


「よし、行くか。大事な大事な金の為なら努力は惜しんではいけないからな!」


 どう走ったかは覚えている。どう歩いて登る木を選んだかも覚えている。ならば後は逆に辿ればいいだけの話だ。


 

「あ。そうだ。傾いてて持ち出せないんだったな……。」


 思い出した。そういえば船が傾いていたせいで難儀したのだった。


「どうしたもんかな…なんとかして傾きを戻せればいいんだが…。」


 試しに渾身の力で押してみる。まるで動かない。当たり前だ。俺の力で戻せれば苦労は無い。何か、俺よりももっと大きな力が必要だ。


「……………。」


 ふと竜が去っていった方を見る。今からでも助けに行ってみるか?無駄だ。今更行っても死体と炭しか残っていないだろう。ならばどうする。この場には俺しかいない。周りは木に覆われ、救援は望めない。


「これだけの要素でこの船を動かすにはどうしたらいい?」


 俺1人の力では不可能。今から体を鍛えるのなんて論外。他の手を考えろ。


「………。あ。」


 とある光景が脳裏に浮かんだ。古い記憶。まだあいつの後ろを追いかけるしか出来なかった頃の事。




「誰かぁ!人が坑道で下敷きになってるんだ!誰か!手を貸してくれ!」

「んー?人助け、もとい手間賃せびる良い機会だな?よし!一緒に行こうじゃないか。」


 差し伸べられた手を思い出す。まだ小さかった頃。地下でステルを掘る坑道を一緒に見に行った時。名前を何故か思い出せないあの女の知恵。あの、やたらと下品で口の悪いくせに、やたらと色んな事を知っていた女。


「お前の腰に付いてるのと違って長く丈夫な棒と、手頃な大きさの石。この二つをな?こうやって噛ませて…なっと!オラァッ!」


 彼女が思い切り棒を下に押すと、鉱石の塊はまるで小石の様に転がり、足を押しつぶされていた男は抜け出すことができた。

 平伏して感謝するそいつらからしっかり手間賃を取った彼女は、更に相場の半分以下の値段でステルを買い付け、それを近くで作っていた船の現場に相場の少し上の値段で売り付けた。

 振り返った彼女は俺に強かな笑みを見せて言ったのだ。


「これが商売ってやつだよ。お前も1人で生きて行きたけりゃ知識を、知恵をつけな。それは絶対に金になるんだからさ。」




「あいつこれなんて言ってたかな…。」


 丈夫な棒は見つけた。森の中だからそんな物何処にでもある。

 船からほんの少し離したところに石を置き、棒の先端を船の下に噛ませて反対側を持つ。


「そうだ。て…て…てこのげんり…?だったな。」


 意味はよく分からない。が、これで出来るはずだ。あいつのやってた事を真似できているのなら。


「いっくぜぇぇ………そぉりゃぁっ!」



船は鈍い音とともに正しい向きへと戻った。



「おぉ……。」


 思わず感嘆の声が漏れる。非力な俺が1人でこれを成したと思うと、人の知恵という物に感謝せねばならない。出所があいつというのがいまいち釈然としないが。


「さて、運び出すとするかぁ…。」


 塩の箱はなんだかんだ重いのだ。1人で持つには文字通り荷が重い。

 ゼドルと脱出用船を何回往復したか、10回から先は数えることを諦めた。


「………………二度とやりたくねぇ…。」


 せっかく船の中でゆっくり休んだというのにこれでは元も子もないではないか。しかもこの作業、やたらと腹が減る。いや、それは単純に俺がしばらくの間何も食べていないせいか。船の中に何かあっただろうか?


「まぁ干物位なら何処かにあるだろ。後は水と塩………塩……むぅ…。」


 塩。人間の生命には必要不可欠。だがここには俺の売り物しか無い。最上級の塩。1箱で金翼貨5枚だ。たかが一食に金翼貨5枚は、高い。どう考えても高い。よし、使わないでおこう。

 自己完結したら食料捜索に戻る。脱出用船の中には無かった。ならば流石にゼドルの中には何かあるだろう。


「よっ…と…。煙上げてる船の中に入るのは少し怖いな…。」


 それでも死ぬほどのことにはならないだろう。楽観的にそう思って入っては見たが、すぐに後悔した。煙どころではない。あちこちが軋み、火がつき、尖った破片を晒している。


「でもまぁ飯を食わねば結局死ぬんだ。何もせずに死ぬよりはまだマシだな。」


 まずは倉庫。俺の荷物でほとんど埋まってはいたが、他の奴の荷物も多少はあった。そこに何かないだろうか?


「んー。服と金しかない。食えないな!」


 金だけ頂くことも少しは考えたが却下だ。俺は商売人であって泥棒ではない。

 次に厨房。ここに食材がなければ何処にあるというのだ。


「…厨房、無いな…」


戦闘の船にそんな大層なものはいらないということか。


「無いか……何も残ってないな。」


 両方とも当てが外れて肩を落としながら俺は探索を続ける。飛んでいた時にはほとんど自室にいたのだ。正確な構造なんか把握していない。


「駄目だこりゃ…全部燃えちまったかな…」


 諦めて座り込もうとしたら、背中に何か引っかかる。何かと思ったら扉の取っ手だった。


[食料庫]


「…………あるじゃん。」

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