墜落


………それは全ての始まりから

   無数の夜を超えたある日の事………



[guuooooaaaaa!!]

 赤い龍の咆哮と共に放たれた炎は、その船の甲板後方を黒焦げにした。一拍置いて船員の悲痛な叫び声が飛び交う。


「左後方2列の火砲全て沈黙!もう攻撃手段がありません!」


「前方20ハースト距離より新たな一団を確認!もう……もう駄目だぁぁぁ!」


「うるせぇ!叫んでる暇があったら舵の復旧を急げ!高度を下げて少しでも時間を稼ぐんだよ!」

 

 新造の飛行船「ゼドル」の操舵室は混迷を極めていた。無理もない。完成してまだ数ヶ月しか経っていないというのに、この船はあまりにも多くの不幸に見舞われているのだから。

 最初は初めて空へと舞い上がる直前、火砲の設計にミスが発覚して80門全てが取替になった事。

 その次は飛び立った丁度一週間後、動力源である龍の心臓から船の各所への接続が急に途切れて落ちかけた事。

 他にも無数に発生した故障を何とか乗り越えることが出来たのは、ひとえに今操舵室で悠然と構える男、ゼドル船長の働きあっての事だった。

 そして今、舵の故障で進路を変えられなくなった船は、幾多の龍の猛攻を潜り抜け、全ての火砲を失って真正面から新たな龍の集団と接敵しようとしている。


「ゼドル船長!奴等もうこちらに気づいています!時間稼ぎも間に合うかどうか…。おいローガス!船員の避難はまだ終わらないのか!急がねぇとこれじゃ皆道連れになるぞ!」


「限界まで急いでるに決まってるじゃないですか!後7人が残りの脱出船に乗ればすぐにでも出られます!」


「だったらその7人さっさと乗せろ!船内放送かけてからどれだけ経ってると思ってんだ!」


「足悪くしてる人も老人も居るんです!これ以上速くは出来ません!」


「…ローガス。脱出船の準備はほぼ完了していると言ったな?」


 険しい目をして、船長のゼドルが確認した。ローガスと呼ばれていた男は、計器を見ながら怒鳴り合っていたのが嘘のように船長に向き直る。


「はっはい!船長!滞りなく完了しています!後は人を乗せればいつでも出られます!」


「そうか。ふむ……」


 ローガスの返答を聞いた彼は、考え込む様な素振りで一度目をぎゅっと閉じた。再び開いた時、ついさっきまで険しかった彼の目はやけに澄み切っていた。

 訝しげに船長の方を向いたローガスを無視し、船長のゼドルは口を開く。


「注目!今ここにいる全員に命令を下す。」


 低く、よく通るその声が放たれたその時、操舵室に響く人の声は一瞬にして止まり、部屋の中は静寂に包まれた。

 遠くの龍の咆哮だけが微かに聞こえる。


「総員、脱出船に乗って地上へ退避せよ!これより先の操縦は私が行う!」


「ッ⁈船長?それでは船長が!」


「「「ゼドル船長!命令を承りました!我らこれより脱出用小型船に乗り、地上へ退避します!」」」


 自ら死を選ぶかの如き命令にローガスは船長を咎めようとしたが、それをかき消す様に他の船員たちの了承の声が上がった。

 

「皆さん⁈何言ってるんですか!そんな…そんなことしたら船長死んじゃうじゃないですか!」


「ローガス!てめぇ今さら何言って…」


「良いのだ。」


 先程皆を一喝した男がローガスを怒鳴り付けようとするのをゼドルが止めた。男はぴたりと口を閉じる。


「ローガス。お前は確か船に乗るのが初めてだったな。」


「は…はい…」


 この船が飛び立ってからずっと気弱そうだったローガス。船に乗る事自体が初めてだったとしたら納得がいく。


「ならば知っておけ。船長とはな…その称号を背負った時から身も心も船に捧げているのだ。

 船が飛び立つ時には共に心を飛び立たせ、船が落ちる時には共に逝く。それが船長なのだ。それが、自分の船への感謝であり、詫びなのだよ。」


「詫び…ですか…?船長が何を詫びる事があると言うのですか!」


「あるのだよ。私は…この船へ詫びねばならんのだ。自然と壊れるまで空を舞わせてやれなかった、その詫びをいれねばならんのだ。だから私はここに残り、奴等と戦わねばならん。分かってくれるな?ローガス。」




 船長の名はゼドル。そして船の名もゼドル。これは偶然では無い。

 その昔、3番目の船サイズドが完成した時、最初に船長となった者は感激して自らの名をサイズドと改めた。

 すると何故か、サイズドは今の今まで破られる事のない不落の記録を残したのだ。そこからある通説が生まれた。

 船の名前と船長の名前を同じにすると、船は落ちること無く帰ってくると。疑心暗鬼だった人々も、通説に従った船がいつもしっかり帰ってくるのを見て、ただの通説は慣習へと変わった。

そしてそれは今、逸話と共に掟となって根付いている。

 ゼドルもそれに倣って名前を揃えたのだ。そうして船長は名前を失い、代わりに船の命を得た。船と文字通り一心同体になった。




「……でも…僕は!船長に…死んで欲しくありません…」


「ローガス。お前もいずれ分かるさ。行くぞ!」


 船員仲間がローガスの腕を引っ張って連れて行こうとしたが、彼は動けなかった。


「……ローガス。貴様はこの私の命令に背くというのか?」


 命令。他ならぬ船長からの、命令。その言葉をかけられ、彼の気持ちはようやく固まったのだろう。


「………ッ。承りました!ローガス、脱出船にて、地上へ退避します!」


 涙声ではあったがローガスは叫んだ。そのまま身を翻して走っていく彼を見て、船長は一人何かを呟いた。


「ローガス!遅かったな!全員乗ってるぞ!お前も早く乗れ!」


 他の船員はもう船に乗り込んでいた。ローガスは一つ頷いて自分も船に乗ろうとしたが、座席が一つ空いたままなのに気づいた。


「全員ではありません!そこの座席の人がまだ船の中に残っています!」


 そう言って、ローガスは仲間の言葉も聞かず船の中へ駆け戻っていった。あいつの事は放って置けという言葉を、彼は聞いてもきっと聞き入れなかっただろう。何故なら


「全員が地上へ退避する」


船長の命令は絶対なのだから。



「生真面目な奴だ…。ああいう奴の乗る船が生き残るのだろうな…。私と違って…。」


その呟きをゼドル、船だけが聞いていた。

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