第164話 幸せになる権利

 リヴァが遅れて到着した頃、宮殿前の石畳の広場には兵士たちが勢揃いし、人だかりができている。

 ここに到着するまでにかなり長い時間がかかってしまった。

 混乱状態に陥っている城下は人で埋め尽くされ、思うように先に進めずようやく辿り着いたのだ。


 そしてその兵士たちを見てリヴァは衝撃を受ける。

 明らかに少ない兵士の数。士気も喪失し訓練演習か? と問いただしたくなるほど危機感がまるでないのである。

 理由は誰の目にも明らかで、長年、城塞都市として他国から侵略を受けることなく、戦とは無縁だったこの国は平和ボケしているのだ。


 これでは陥落するのも時間の問題。

 ならばできる限り早くシキを救出し、安全な国外に逃亡するのが得策であろう。

 しばらくは実の母であるカージャのところにでも身を寄せて、来るべき時に備えて彼女をお支えしようと思い、ふと上を向いた。


 気のせいか上空に薄い霧のようなものがかかっていて、目を凝らして見ると赤く見える。その時、たまたま数羽の渡り鳥が飛んできて、霧に包まれた瞬間に焼けてしまった。


「あ、あれは、霧ではない!? あの力を使っているのか? そんな馬鹿なことが! あのように使ったら自分の身体に強力な跳ね返りが来るのに!!」


 初めて会った時、勝負を挑まれ彼女が赤い眼をしてあの力を使った後も、発熱しこてんと倒れてしまった。

 あの力は途轍もなく強力だが、身体的負担は非常に大きい。

 リヴァは大慌てで宮殿の中へと入り、最上階にある時の塔を目指した。


 宮殿の中でも、大勢の神官たちが無力感に打ちひしがれている。

 神官たちは泣き出したり、叫び出したり、祈りを捧げたり。

 敵が攻撃してくると怯えながら、何もできない彼らに対して、リヴァは胸が締め付けられるような思いにかられ、それでも必死になって国を救おうと戦っている彼女のもとへ急いだ。


 どれほど、時が経ったのだろう。

 外からの攻撃はかろうじて防げているが、明らかに霧は薄くなっていく。

 全身が引き裂かれるような痛みに襲われても、決して霧を放つ手を緩めることはしなかった。


 そして遂にリヴァが時の塔に辿り着くと、シキがテラスに膝をついてその場にしゃがみこんでいた。


「もう無理です。防御だけしていても戦は終わりません!」

 リヴァは震えるシキを抱きしめ、説得しようとする。


「私のせい、私のせいなの。私の迂闊な行動の皺寄せが国民に降りかかっている」


「それは違います。あなたはもう十分にこの国のために尽くしました。誰とも交流を持たず、人の罪や苦難を背負い、幼い頃から自由を制限されてきた。あなたには幸せになる権利があるのです。それは誰とて妨げることはできないのですよ。ここはもうじきに陥落する。これを期に自由への道を切り開くのです。今まさにその時がきたのです」


 リヴァにそう言われても、シキは決心できない。

 逃げ惑う国民や神官。国のため身命を投げ打って戦う兵士たち。

 それをそのまま見捨てて、自分だけ自由への道を切り開こうなんて、果たしてそれを幸せと言えるのか。

 君主たるもの自分の幸せよりも、国民の幸せがあってこそ幸せを感じるべきなのではないか?


 彼女の頭の中をさまざまな思いが浮かんでは消えていく。


 親密そうにヒロを介抱していた女性の姿。

 そんな彼女によく似た、目の前に突如現れ助言を与えてくれる物の怪。

 母から囁かれたあの言葉。


 まだ子どもだった頃、純真無垢な青い瞳を輝かせて突然目の前に現れ、ランタンの光の中で交わした小さな願い事のこと。

 抱きしめられて、何度も熱い口づけを交わした日のこと。

 命にかえても絶対助けたいと、水の中で息を吹き込んだ日のこと。

 そしてヒロと手を繋ぎ、断崖絶壁の山の上から水鏡へと飛び降りた日のこと………。



(もうすべて、忘れよう) 


 水鏡を叩き割った時のように、シキの中で何かが変わろうとしていた。

 物の怪ならきっと「そうだ。そなたは飛び出せばいい」と後押ししてくれるだろう。


 そして迷いを断ち切りリヴァにこう告げた。

「ずっと考えていたことがあるの。守護神としてではなく一人の人として、皆の前に立とうと思う」

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