第163話 王家の血

「何故、私があなたを気の毒だと思いながらも塔に幽閉していたのか、これでご理解いただけたでしょう? あなたの存在そのものがこのバミルゴの重大な秘密だからです。誰かに知られてしまったら最後、奪い合いが始まるだけです」


 アルギナが何を言っても、シキはただ呆然となってしまい、何も考えられなくなっていた。

 物の怪に後押しされ、百折不撓の精神をもって塔を脱出したにもかかわらず、すべては自分の軽率な行動から引き起こされたことだという。


 もはやこの身には、己の感情を持つことさえ許されないのか。


 絶望的な気持ちになりながらも、

「わかったわ。できる限り敵の侵入を食い止めてみる……」

 と心を決めた。


「では頼みましたよ。私は神官たちや兵士を指揮してまいります」


 アルギナがいなくなり、一人テラスに残されたシキの目に映るのは、翻弄されている国民の姿である。

 当てもなく、ぐるぐると逃げ回ったところで、城壁に守られた城塞都市であるバミルゴにおいて逃げ場なんてものはない。敵兵が入り込めば、迎え撃つしかないのだ。



 そう思っている時、時の塔にも耳を劈く轟音が響き渡った。

 見れば、城壁の門の方から真っ赤な火柱が立ったことをこの塔の上からも確認できる。


「ああ、あの門を突破されたら最後。敵兵が雪崩れ込んでくる」



 その時、シキの中である複雑な感情がふつふつと湧き上って来た。

 勿論、何もかも上手くいかず、小さな願いさえも叶わない、絶望の淵に追い込まれているのはわかる。

 しかし、その感情を遙かに上回っているのが、母がいない今こそ、この国の君主として何かをしなくてならないという使命感にも似た思いだった。


 身体の中に脈々と受け継がれる王家の血が沸騰する感覚を覚え、瞼をゆっくりと開けた時、滴り落ちる血のように赤く光る眼に変わっていたのである。

 彼女自身が燃える赤いベールに包まれ、そのベールは宮殿の時の塔から城塞都市バミルゴ全体を徐々に覆い尽くした。


 赤いベールのようなものは、遠目には薄い霧のようにも見える。

 このようなもので国家を守る効果があるのかは不明だが、赤い霧は城壁の入り口まで達し、不思議に思ったサーミットの兵士たちがその霧に触れた途端、たちまち燃え盛る炎に巻かれたのだ。



 バミルゴから少し離れた場所にあるサーミットの陣営。

 君主フィオーはこの天幕の中で指揮をとっている。

 そして唯一兵士以外で同行させているのが、豊満な肉体を隠すような真っ黒いドレスを着て、髪は茶色のくせ毛を綺麗に結い上げている、戦場にはまるで似つかわしくない女だった。


 彼は短時間で決着がつくだろうと高を括っていた。

 そのため昼間から、その女になみなみと酒をつがせ、あおるようにして飲んでいる。そこへサーミットの伝令兵がいきなり飛び込んで来たのである。


「も、申し上げます。只今、兵がやってきて…………先陣の兵と投石機数台がやられたもようです!」


「は、どうやって? 奴らは城壁の中にいるんだろ?」

「炎、炎です!! 薄い霧のような。それに触れると燃え盛る炎に焼かれてしまうんです!」


 フィオーはグッと女の腰を引き寄せると、自分の膝に座らせた。

「霧のような炎だとよ。お前、そんなの聞いたことあるか?」と女の首筋に唇を当てている。


 女はくすぐったそうにクスクスと笑い声を洩らす。

 そしてフィオーの首に両手を絡ませて、「さあ、どうでしょう? あまり聞いたことはないですが、長時間使える力なんてないのではないですか? 術師の中で上位者であるものならともかく」と目尻を下げ、いやらしい笑みを伝令兵に向けながら、フィオーの唇に自分の唇を重ねた。


 伝令兵は口が裂けそうに笑っている女の姿を見て、思わず全身に鳥肌が立ち、大急ぎで天幕の外へ出た。

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