第159話 灰色の梟

 するとアイリックは倒れている状況からすくっと立ち上がった。

 そして透明な糸で手繰り寄せられているかのように、シュウの方へと無表情で歩きはじめたのだ。



「人の心を奪って自由に操るほうが、時間もかからないしはるかに効率的だろ? 記憶を奪うことができるなら、人の心だって奪えるはずだ」

 不敵な笑みを浮かべるシュウの元に辿り着いた時、アイリックは彼の眼を真正面から見つめる。


 そこにあったのは、感情も何もないガラス玉みたいな目だけだった。

 ガラス玉はきらきらと輝きながら、上下にピクピクっと大きく揺れ動いている。


 それを見たアイリックは、倒れざまにシュウの耳元で、「お、おまえ……。お前は、怪物だ」と消え入りそうな声で言い、操り人形の糸が切れるようにその場にドサッと倒れた。



「最高の気分だ!」とスピガは高笑いしているが、ジェシーアンはそんなシュウに哀憐の情を抱いていた。


 この混沌とした大陸に必要なのは、誰も成し遂げたものがいない大陸統一だ。

 虎視眈々と領地拡大を目論む小国を一つに纏め上げ平定する。血で血を洗う戦いを終結し泰平の世を創り、産業を発展させ海を越えて商売を行う。


 それが以前、シュウが語っていた、大陸の未来像だった。

 運命を共にすると覚悟を決めた以上、彼の支えにはなりたい。

 しかし、その進む先に出口が全く見えない。

 ましてや、心を奪った兵士を使うなんて狂気の沙汰としか思えなかった。

 ダズリンドの修業場のように、巨大な迷宮に呑み込まれたような気がして仕方がないのである。


「これからはスピガ、お前がアイリックの仕事を引き継げ」

 シュウにそう言われてもスピガはちっとも嬉しくない。

 余計な仕事が増えるだけだと、ふーっと溜息をつきながら頭突きされ、眩暈がする頭に手を当てていた。


 シュウは何か溜め込んだ表情をしているジェシーアンの手を引っ張り城に戻った。いつもならこのようなとき、顔を近づけて彼女を穴のあくほど見つめてくるはずである。


 しかしその日に限って、シュウは皇帝の部屋に戻ると言う。

 その部屋に入室したのを確認して、ジェシーアンも執務室に近い、将軍専用の部屋へと一人寂しそうに向かった。



 シュウは自室で一人、身を投げかけるように椅子に座り、窓から見える綺麗な月を眺めていた。


 彼はもとより、あの時ああすればよかったとか、こうしていればとか、とにかく後悔するのが嫌いな男だ。

 ユイナと二人、絶えず前を見て明日をどう生き残るか、そのことだけを考えなければならなかった。それをいまさら否定するつもりはない。


 ………ただ一つだけ言えることがあるとすれば。


 もし自らの命を差し出した母の愛情というものに触れる機会があったのならば、確実に術師にはならなかったということである。

 ダズリンドで精神崩壊寸前の状態になる、過酷な修行をすることもない。

 つまり、悪魔に魂を売るようなことはしなかったのだ。



 ―――かさかさ、かさかさ。

 シュウがいる皇帝の部屋の隅っこで、何やら奇怪な音が聞こえてくる。

 奇怪な音は、何かが重なり合うような、衣擦れのような音で、次第に大きくなっていった。


 それらは闇に蠢動する小さな集合体のようであった。

 真っ黒に蠢く集合体は、やがてシュウと同じ位の大きさの人がたと成り、ちろちろと此方を見た後に、にっこりと笑っているのである。

 シュウはその様子を椅子に座りながらじっと見つめ、「………どうだ、これで満足か?」と悲しく語り掛けた。



 灰色の梟。


 それはかつて大陸全土を震撼させた恐るべき最強部隊の総称である。

 心を奪われた兵士たちは、生きながら操られる人形となり、皇帝の意のままに動く。

 誰も成し遂げられなかった大陸統一に向けて、シュウはこの度、灰色の梟を復活させることにし、いままさに動き出そうとしていた。

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