第156話 月夜の晩

「恐れながら、私は仕事中ずっとあなたのことを盗み見ていました。あなたは王太子殿下たちの前ではとても楽しそうにされていらっしゃいます。でもこの部屋に戻られると何処か寂しそうな様子を漂わせるのです。何か見つからないものを追い求めているような。それに私は存じ上げております。あなたが、何人かの侍女と関係をもっていて、彼女たちをこの部屋に連れ込んでいることを」


「あれは、あっちが勝手に押しかけてくるんだ」


 これは、城で働くものであれば、すでに周知のことだった。

 アラミスが打ち出した施策のもたらす弊害とも言うべきか。

 城に集められた若い男女は、親元を離れた開放感も相まって、一部の特権階級にしか許されない束の間の恋愛を楽しむ。望まない婚姻をすることが決まっているのではあれば、それまでは思う存分羽を伸ばそうというわけだ。


 中でも、圧倒的な人気を得ているのは、王太子と血縁関係にないこの王弟である。

 人を虜にする魔力なような甘いマスクに、飾らない性格。

 また王太子と血が繋がらないというのも魅力の一つだった。

 つまりそこそこ地位は高いが、何かと縛りのある王族とはならない丁度いい位置にいるのだ。


 彼女たちはあの手この手でアプローチを試み、お手付きとなり、欲を言えば寵愛を受けることを望んでいる。


「ここでの生活は夢のようで、私はいつも掃除をしながら、あなたを見ているのが好きでした。まるで神話の世界から抜け出てきたような、このように美しい人がすぐ近くにいると思うだけで、辛い現実を忘れることが出来るから。もし私のことを少しでも哀れだと思うなら、今晩だけ恋人の真似ごとをしてほしいのです。そうすれば夢から醒めても、その思い出を胸に新たな一歩を踏み出せます」


「つまり、城での最後の思い出に、此処にきたのか?」

「ええ、彼女たちは王弟殿下がお茶をご所望だと言って此処にきます。お茶というべきか、媚薬というべきか。私も持って参りしたよ、ほら」


 にっこりと微笑んだその子の身体は小刻みに震えていた。

 勇気を奮い起こして扉を叩いたかと思うと同情するが、こればかりはどうなるものでもない。

 彼女一人を救ったところで、社会は何も変わらない。

 それならいっそのこと良い夢を見させてあげるのも一種の優しさなのではないか。


 テルウはそう思いながら、その子をグッと力強く抱き寄せキスをした。

 相変わらず、好きでもない女とのキスは楽しくもなく、心躍るものでもないが、驚きと嬉しさで気絶しそうになっている女の子を見るのは、それほど悪いものではなかった。


「………わかったよ。あんたの願いを叶えよう。今から俺たちは恋人同士だ。この先、誰かに抱かれていても、この時のことを思い出すんだ。そうすれば何も辛くはないだろう。ほら、恋人なんだから、もっと力を抜いて」


 そう言って、後ろで結い上げてある髪をほどき、乱れた髪に手櫛を通しながら赤毛を軽く梳いている時、ふと昔、こうしてジェシーアンの髪を梳いた日の記憶が呼び起こされた。



 艶やかで長い黒髪。

 容姿にこだわりがある彼女の喜ぶ顔が見たくて、子どもながら必死になって髪を結んであげた。

 そういえば、どんな顔していたっけ?


 もはや覚えているのは、山脈の長閑な風景と、髪を結い上げたときのさらさらとした髪の感触だけだった。


 見つからないもの。

 テルウの置き忘れてきた恋心は長閑な山脈の畑の中で、永遠に来ない待ち人を探し続けているのである。



「あんた名前は? ………………まあいいや、どうぜこの部屋を出てしまえば赤の他人なんだから」

 そしてテルウは感極まって涙を流す女の子を部屋の中にいれてから、静かに扉を閉めた。



 綺麗な月の光にテルウの部屋が照らされていた頃、さらに西に進んだ、カルオロンの城から少し離れた場所にある、薄気味悪い塔の一室。

 ここでも差し込む月の明かりに、ジェシーアンの黒髪が青白く照らされている。

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