第92話 あなたたちの未来
「兄様!!!」
シュウに耳元で名前を呼ばれたユイナは泣きながら思いっきり彼に抱き付き、無事修業場から生きて戻ってきてくれた喜びを噛み締めていた。
背丈はあまり変わらないが、暫く見ない間にすっかり大人びた顔をして、シュウがどこかに怪我を負っていないか、手で体のあちらこちらを触って確認する姿に兄妹愛が感じられる。
そんな二人を微笑ましく見ていたジェシーアンに上機嫌でシュウが声をかけた。
「よお、山猿」
「元気そうで何よりだわ、シュウ」
本当はユイナのように抱き付いて、心配させやがってコノヤローと一発お見舞いしてやりたいところなのだったが、今は血縁者以外でシュウが信頼を寄せる一番距離の近い女の子でいることに満足して、そのまま号泣しているユイナの涙を拭いてあげていた。
「約束通り、五年で終わらせた。さあ一刻も早く故郷カルオロンへ戻るぞ!」
そう言うとシュウは満足げに、クーが住む白い大理石の建物へと颯爽と歩いていった。
そしてついにシュウたちは幻島ダズリンドを離れる日がやってくる。
「生命の布」はその名の通り、人の生命を作業場にいる女たちが長い年月をかけ織り込んだ布で、黄金色に光輝く薄い布であった。
この布を手に入れたことが術師としての修行を終えた証だという。
この島にいる同じ顔をした女の一人が、いやらしい笑みを浮かべながらその布をフワッとシュウの細い首にかけた途端、砂糖が溶けていくように彼の首に取り込まれていく。
「どうなったのか、気になる?」
その様子を見て、ぽかんと口を開いたまま言葉を失っているジェシーアンに向かって、女が問いかけた。
「べっ、別に気にならないわ! 変なこと言わないでよ!」
女はクスクス笑い、生命の布を授与されるという儀式を無事終え、お帰りはこちらよと三人を手招きし代理石の回廊を歩き始めた。
「素直じゃないわね、あなた。ハッキリ気持ちを伝えないと、後々損しちゃうわ。うかうかしていると、彼、別の女の子に引き寄せられちゃうわよ」
とシュウに聞こえない位の小さな声で、耳元で囁くようにアドバイスをしてきた。
なんでそんな事わかるのよ!
心の中を何だか見透かされている気がして、
「……気のせいよ。私の事なんか何も知らないくせに!」と知らんぷりを決め込む。
「あら、わかるわよ。だって私、今占いに凝っているんだから。この紙にはあなたたちの未来が書かれている。彼とこの先どうなるか見て見たくない?」
そう言って、豊満な胸の谷間から、これまた何処かで見覚えのある包み紙を取り出した。
「…………それ、シュウが大陸で売っているおみくじじゃない。しかも殆んど私がネタを考えたのよ」
「あら? じゃあ知らなくていいのね」
女が意地悪そうに紙をひらひらさせていると、シュウがユイナと手をつないでいない方の手で上からその紙を取り上げる。
「これは、俺が売っているおみくじ………。スピガは最近、こんなところでも販売しているのか?」と包み紙を開けようとするのを、「わあー、わあー!!!」と喚きながらジェシーアンが高いジャンプをして奪い取った。
赤い猿みたいな顔をして、取り返したおみくじを両手で抱え込むようにお腹に隠しているのを見て、シュウは不審そうに顔を歪めたまま女に尋ねる。
「あいつはどうした? ずっと見ていないぞ」
「あいつ? ああ、主ね。あれから拗ねて出てこないの。あなた達とさよならするのが辛いのかしら?」
「そんな訳ないだろ!」
シュウにはそこだけが、何か心にひっかかって仕方がない。
あれほど挑発的な態度で威圧してきたのに、修業が終わった途端、いっこうに姿を見せなくなった。
シュウたちは女に連れられ、ダズリンドに降り立った真っ白い砂浜に到着した。
彼らを乗せてきたあの舟夫が相変わらず黄色い目をしながら、首を長くして待っているのを見越して女が
「冬も本番だから、温かくして帰らせるよう、主からの伝言よ。彼は最終ステージをクリアしたらしいわ」
となんとも言えない色気を漂わせて、不満を口にしようとする舟夫を黙らせる。
その言葉を聞いて舟夫の目が驚いたように一瞬だけボヤッと明るくなった。
そして行きとは違い、手の平を返すように、温かい絨毯が敷いてある豪華な舟に取って代り、シュウはユイナと共に一番奥の一段高くなった椅子のような場所に腰かけた。
ジェシーアンはくしゃくしゃになった包み紙のしわを綺麗に伸ばしてから、早く結果を確認しないかうずうずしている女にそっと渡す。
「……これ、返す。気にならないといったら嘘になるけど、未来を見通せる生き方なんてつまらないもの。私はいつでも自分の気持ちに正直に生きていくわ」
そう女に言い残して、舟に飛び乗った。
あらそう。と落胆している女はその後、薄衣から出ているムチッとした太めの腕を高く上げて、漕ぎだした舟が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振って見送ってくれていた。
そして、しばらくするとガラッと鋭い目つきに変わり、返してもらったおみくじの包み紙をびりびりと細かく引き裂いてから、海に向かってフーっと息を吹きかけ飛ばす。
飛ばされたおみくじはフワフワと宙を舞ってから、あっという間に真っ黒い波間に消えてしまった。
「未来を見通せる生き方なんてつまらない……か。
あなたのその選択は決して間違いじゃないわ、黒鼠ちゃん。ねえ、主もそう思うでしょう?」
いつの間にか、クーは女の隣で同じように真っ黒の波間を見ていた。
「いや、私はそのように思わないな……。未来はどう足掻いたって変えられない。
そしてこれでようやくゲームがはじまった。決して逃れることなんて出来ないゲームのね」
そのがらんどうの人形の目は、堕ちていく人を見ている時のクルクルと動く目をして、これから起こる出来事が楽しみで仕方がないといった感じだった。
ちらっと横にいるクーを冷めた目で見ていた女は、
「相変わらず、悪い子ですこと!!」と彼の小さな柔らかい頬をギュウと思い切りつねった。
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