第91話 本性

「……花の香り? ………誰なの…あなたは?」

 高い塀の中にある野原に、鏡から持ち帰った小さな赤い実を植えていたシキは、どこからともなく花の香が漂ってくる不思議な感覚に囚われた。

 辺りを見渡しても、だだっ広い野原の奥の方にある木々だけで、花は何処にも咲いていない。


 何か只ならぬ気配を感じて、周囲に細心の注意を払いながら、じっと構えようと右手を伸ばして腰の剣を抜こうとしたが見当たらない。


 !?………しまった。

 ヒロの放った剣が真っ二つに折れてしまった時、思わず自分の剣を地面に投げ飛ばしたんだった。


 そうこうしている内に、シキの銀色の髪が風で靡き出したかと思うと、一気に乱れるほどのつむじ風が発生した。

 思わず庇うように手を額に当て、顔を横に向けて風が収まるのを待っていたのだが、一向に収まるどころか、どんどん激しくなっていく。

 それでもゆっくりと薄目を開けてみると、そこにはつむじ風が渦巻状に回転しながら立ち上がっていた。

 驚いて、強風に立ち向かい顔を見上げる。


 するとそのつむじ風の中に、薄っすらと人影らしいものが見え始める。

 そして、パラパラと砂を巻き上げるような音と共に、白装束を着た金髪の男が姿を現したのだ。


「………し、白い女?」


 つむじ風の中心にいるシュウはひどく驚きを隠せない表情でシキを見ていた。

 今度は水鏡越しではなく、もっと現実的にはっきりとその真っ白な顔を確認できる。

 ほんの目と鼻の先にある、シキの翠色の瞳も同じく驚いたように風に巻かれながらシュウをじっと正視していた。


「あなた! 水鏡の中でこちらを覗き込んでいた人よね? どうしてここに? 一体誰なの?」

 矢継ぎ早に質問を浴びせかけてもシュウは何一つ答えることなんて出来なかった。


 自分がどうして再びこの白い女の前にいるのか、説明できない現象だ。

 そして、女の姿、声、顔、思いつく限り全てが、あの北の果てで見た白銀の世界のようにこの世のものとは思えない美しい景色と重なり、思わずシキに触れたいとその細い手を彼女に伸ばした。


 あの時、北の果てで見た美しい白銀の世界に身を委ねようと思ったが、宿願を果たすためと奮起し、そして水鏡に映し出されたその姿は、幻のようであったが、自分に力を与えた。


 何者にも支配されない、全てが白一色に染まる永遠に続くような世界。

 その光のように輝く世界がこの手の先にある!!



 あともう少しで、シキの頬にシュウの手が届きそうになった時、



 一気に情景が横たわっていた修業場へと移り変わり、消え去ったシキに代わり、目の前に一人の黒ずくめの刺客が出現する。

 刺客はシュウの背丈ほどの鉄の塊で出来たぶっ太い剣を、思いっきり振り下ろして襲い掛かってきた。


 シュウの掌に生まれた炎はそれまでの赤い炎とは違い、未だ嘗て見たことがないほどの凄い威力と赤を更に濃くした黒い炎となった。


 そして、彼女が放つ白い輝きを得て、さらに威力を増し、刺客へと放たれる。


 シュウから放たれた黒い炎によって、刺客は頭から剣を握りしめたままパックリと剥けるように真っ二つに割れた。

 その割れた先には、面食らった表情をしてシュウの事をクーが食い入るように見つめている。


 その時のクーの目は、いつもの人形の目ではなく、黒い炎の眩い光に反応する血走った人間の目をしていた。

 そして焦ったように手で片目を覆い隠す。

 それはその瞳の奥にほんの僅かの間だけ見え隠れした、彼が本性を現わした瞬間だったのだ。



「………かつて、此処までたどり着いた人は誰もいません。これでついにあなたは神の領域の力を手に入れた」


 迂闊にも本性を晒してしまった。

 その失態を隠すかように、クーは素早くまた元の人形の目に戻り、シュウにこう言い残しスッと暗闇に消えていなくなった。

 すると修業場全体に明かりが灯り、消えてなくなっていた螺旋階段が再び地上まで伸びて、シュウはユイナたちが織物をしている作業場へと急ぎ足で出て行った。

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