第90話 歪んだ復讐心
「これからが、最終ステージです、ツァー」
クーが両手を後ろ手に組んでニコリと笑うと両頬にえくぼができていた。
それはたいして可愛くもない人形が、作り笑いを浮かべているのによく似ている。
正直もう気持ち悪くて、そのまま修行場の無機質な白い石の壁に叩きつけ、この場から立ち去りたい気分だ。
しかしシュウはそれすらもままならない酷い状態だった。
その場に立っているのに精一杯で、今すぐにでも崩壊しそうな精神を保つため、この不気味な人形のことなど考えている余裕すらなくなっていたからだ
次のステージに進んだ時、クーは修行場の螺旋階段を消し去るとユイナ達との交流を遮断して、完全に孤立させた。
彼女達に最後に会ったのは数年も前のことだ。
たった一人での孤独な闘い。
クーはシュウの趣味、嗜好、生い立ちから、今日に至る迄の出来事、その全てを把握していた。
そして一番、彼が触れられたくないトラウマも。
シュウのトラウマ。
それは、真面な食事にもありつけず惨めな思いをし、獰猛な狼に追われて雪原を彷徨い歩いた幼少期に始まり、皇帝の嫡子である自分を利用しようとする卑怯な大人達のこと。
そして青い瞳の子どもが放った赤い光をまともに喰らい、ジェシーアンに止めを刺されそうになった屈辱的な過去の出来事すべてだった。
「ツァーが青い瞳の子どもに負けたのは圧倒的な力量不足だからです。今のままじゃあ皇帝どころか、何の価値もない存在だ。このまま凍てつく北の海に沈んだほうがマシです」
四六時中、天から落ちてきた堕天使のように、頭の周りをくるくると舞いながら、そんな言葉を耳元で囁くように浴びせかけるのだ。
閉鎖的な空間、そんな中で頭を抱え、気が狂いそうに蹲るシュウ。
泥々とした真っ黒い血のような感情に沈めて、精神が崩壊しそうになっている彼をクーは上から眺めて楽しんでいた。
そのがらんどうの目は、むっくり起き上がると上下にピクピクっと目が大きく動く人形みたいなのだが、決して相手を楽しませるものではない。
あっけなく墜ちていく人間を見て、自分自身で楽しんでいる時にそのような目つきをして遊んでいるのだ。
そしてそれは気が遠くなるほど長い間、幻島から世の中を見つめてきたクーの目が、何時しか感情がない人形の目のように見えてしまう理由なのかもしれない。
そんなシュウを支えているのは、あの父ですら成し遂げられなかった大陸統一を果たす初代皇帝となり、この大陸全てを司る野望。
そして、自分をこんな状況に追いやった青い瞳の子どもに対する歪んだ復讐心だった。
ダリルモアが奪った、自分の指輪を取り返して何が悪い!
あいつさえいなければ、眼をやられて、殺されかけることもなかったのに。
すべてはあいつのせいなんだ。何もかも。
こんな地の果てで、満身創痍の状態で術師の修行しているのだって。
あいつさえあの時、のこのこ目の前に現れなければ。
あいつさえこの世から永遠にいなくなれば。
その敗北を肝に銘じ、自ら戒めるために、そして青い瞳の子どもを探す手がかりのため、傍にジェシーアンを置くことにした。
いつか必ず雪辱を果たすために。
最初は剣豪であるジェシーアンと共に、この場所で修行に明け暮れていた。
お互いに助けたり助けられたり、そうして見えない絆を強めていったのだが、交流を遮断されてからは孤独な闘いを強いられる。
シュウは復讐心を燃やせば燃やすほど、目に見えない強力な力を得て、さらに強くなっていく。
それは倒した多大な刺客の数だけ、闇黒の力を手に入れているかのようだった。
「そうだ、ツァー!!! もっと、もっと、あの青い瞳の子どもを憎めぇぇぇ! あなたを陥れた人々すべてに。そうすれば途轍もない力を手に入れられる! この世をすべて消し去るような力が! 胸の中の憎しみの火を煮え滾らせるんです!」
脳内でおまじないのように繰り返し同じ言葉をかけ続けるが、クーの精神攻撃は留まるところを知らない。
刺客である黒ずくめの男たちは、休んでいようが、食事していようが、所かまわず襲ってくる。
もはや、壁に映し出される自分の影や、修行場に焚かれている篝火の陽炎ですら、刺客に見えてしまうほどクーはシュウを追い詰めた。
現実にはいない刺客達は倒しても、倒しても虫が湧くように蘇る。
次第にシュウは過度の恐怖心から現実逃避に走っていく。
現実と幻想の中でゆらゆらと蠢く自分。
知らぬ間に横たわりながら、しょぼしょぼとした目はゆっくりと閉じかかっていた。
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