第93話 代償
豪華な舟に変貌を遂げた、彼らが乗る手漕ぎ舟は真っ黒な大海原をデルタトロス大陸へと渡っている。
真冬にも拘わらず舟夫の計らいにより、行きのような寒さに凍えることもないのだが、ユイナはずっと震えが止まらない。
それは、まるで死ぬまで抜け出ることのできない牢獄へと向かう囚人の気分であった。
大陸に戻ったらスピガのもとへ嫁ぎ永遠に彼のものになるという、この目に刻まれた、契約に従わなければならない。
それが、シュウを皇帝の座に就かせるため、彼の負傷した目と、自分の目をスピガに入れ替えさせた代償だ。
一生、影として生きる。すでに覚悟は決めていたはずだったのに。
いざとなると俗世から離れることをこんなにも後悔するなんて。
ユイナの目は、ダズリンドで織物をしている間に、以前よりもさらに研ぎ澄まされた感受性をもち、その感覚だけであらゆるものが今までと同じく、見えるかのように大方想像できるようになった。
それが影響しているのか、向かっている大陸の先で、灰色蜥蜴が手ぐすね引いて待ち構えているような感じがしてならない。
次こそもう逃げ場はない。
爬虫類の舌で締め付けられるように、がんじがらめに縛られ、抱かれることになる前にいっそのこと……。
いつだって差し違える覚悟はできている。
「お前、震えているぞ、ずっとさっきから」
シュウは確認する様に、隣に座っているユイナの肩を引き寄せた。
「大丈夫よ、兄様。あの島から無事生きて帰れたことで、緊張から解き放たれて震えているだけ……」
本当は正反対であったが、彼に気を使わせるわけにはいかないと思い、つい気持ちとは真逆の言葉を言ってしまった。
シュウは納得しているのかどうか、「ふーん」と言ってからずっと大海原を見ながら自分の短い金髪を触っている。頭脳明晰な彼はこの仕草をしながら、今後カルオロンを目指すにあたり、あらゆる思考を張り巡らせていた。
そんな時、入江の奥の方に手ぐすね引いて待ち構えているあの男の姿が見えてきたのだ。
スピガは到着が遅れに遅れた舟を待ちわびて、寒さでカチコチに凍り、ただでさえ青白く正気のない顔が、死人のように真っ白になっていた。
いつも先輩風を吹かせているそんな彼の様子がおかしくて、入り江に舟を繋ぎながら舟夫はぶ、ぶーっと吹き出してしまい、つられてシュウとジェシーアンもクククと声を押し殺して笑っていた。
やり場のない憤懣を舟夫に向けようとしてもガチガチと歯を鳴らし、思うように話せない間にシュウたちを入り江に降ろして、文句を言われる前にそそくさと舟夫は再び沖へ漕ぎ出していった。
成長期にあたるこの五年間で彼ら三人は急に背が伸び、大人びた顔つきになったのだが、スピガだけはまったく変わらない風貌でいつもの黒ずくめの服装に灰色の死んだ目をして、どういう訳かジェシーアンをガン見し続ける。
「……山猿、お前すごいな。……何というか、グラマラスというか。艶めかしいというか。……まるで、熟れた……鼠みたいだな」
彼の目には、顔はともかく魅惑的な曲線美に高身長のジェシーアンが著しく成長したように映り、上から下まで舐め回すような目で見てくるので、当の本人は我慢がならず、
「な、なによ、鼠って!! 減るからそれ以上見ないでくれる? 気持ち悪い!」
と怒り出してユイナの介助をしはじめた。
「先が楽しみだな、シュウ?」
といって、シュウに話しかけるが、「は? どこが?」と不愛想な態度でスピガが予め用意していた絢爛豪華な馬車に乗り込んだ。
そして、しれっとした顔で、
「久しぶり。思っていた以上に大人っぽくなったんだね」とユイナの耳元で囁いた。
ユイナは思わず驚き固まってしまい、隣で介助していたジェシーアンが、
「ユイナには指一本触れさせない……。私とシュウがダズリンドで術師相手に修業してきたの知っているでしょう?」とすかさず牽制した。
「……おおっ、怖い、怖い。美しい姫の隣では用心棒が目を光らせている。でもそれもあと少し。シュウがあの契約のことを知るまでだ」
そう言って、にやつきながら馬車の方へ歩いていった。
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