第72話 籠中の鳥
そう言ってカイに小さく微笑み、後ろを振り返ることなく兵士の手を取り唐車に乗り込むと、唐車はゆっくり走りだした。
唐車が走り出した後、大勢の兵士たちがその後に続く。
リヴァは隙を見てから、彼らの方にやってきて
「大丈夫、また機会があれば必ず会える。それまでじっくりと待つのだ。彼にもそう伝えなさい」
そういい残して馬に跨り走り去った。
唐車は山脈の麓を出てからバミルゴへ向かう街道をひたすら走り続け、やがて街道の辺りは濃い緑の低い丘陵が広がってくる。
隣に座っているアルギナはこくりこくりし舟を漕いでおり、手持ちの扇がいまにも落ちそうだった。
御簾越しにそんな長閑な丘陵地帯を眺めながら、シキはふと唄を口ずさむ。
「エスフィータ、エスフィータ
こどもたちに口づけを、幸せだった日々を思い出し涙するだろう…………」
「なんですか、その変な歌?」
ねぼけまなこで、持っている扇が逆さまになっているのも気が付かずアルギナが聞いてきた。
「………知らないの? 籠中の鳥の歌よ」
その後、バミルゴへと帰郷した大神官アギルナは、警備を更に強固なものにするために塔の高い塀の周りに兵士を配備し、過去最強クラスの結界を張り巡らすことを決定した。
これにより、シキは塀の内部で力を使う事は一切できなくなった。
いつも通り新月の真夜中に神官が引く唐車に乗って宮殿へ行く以外は、塔から出ることは決してない。
そんな彼女は扉を開けて裏の野原へと進み、鏡の中から持ち帰った小さな赤い実を取り出し、野原の真ん中にそっとその実を埋めた。
「この実が大きく育つ頃には、ヒロはパシャレモを率いて立派に成長しているのかしら?」
不意に土の上にポタポタと涙がこぼれてくる。
止めどなく溢れる涙は視界を歪め、まるで埋めたばかりの赤い実に水やりをしているかのようだった。
今までどんなに苦しくても悲しくても、決して後ろは振り返らず、涙を流すことなど滅多になかったのに、今回だけは不思議と涙が止まらなかった。
それはきっと彼と思いが通じだからだ。これからも共にありたいと。
あの腕で力強く抱きしめられた感触がいまだに忘れられない。
唇を軽く噛むように口づけをしてくれたことだって。
また明日から剣術の訓練をしよう。
本を読んで。あなたも見ているかもしれない夜空の月に思いを馳せよう。
でもお願い。今日だけは思いきり泣かせて。
次からはもっと強くなるように頑張るから。お願い今日だけは。
「………ヒロ」
(ねえヒロ、私たちはあの力で何かを共有している。でもそれが何なのか今はよくわからない。私はただただ嬉しかったの。あのキラキラした瞳で、一緒に行こうって言ってくれたことが。過酷な運命から、もしかするとこの人なら私を救ってくれるのではないかって。でもそんなささやかな幸せを願うことさえ、この身には許されないのね………)
ふと誰かが頬を伝う涙を拭い去るように、優しく撫でていったような気がした。
それはほんの一瞬だけだったが、ふっと心の奥深くにまで入り込み確実に何かを残していく。
「……花の香り? ………誰なの…あなたは?」
野原に一輪も花は咲いていないのに何処からともなく香る匂いに包まれながら、シキは感じたことのない不思議な感覚に囚われた。
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