第68話 告白

「シキ!」


 ヒロは比較的大きな石に右足を掛けなおし、落ちてきた彼女の体重と自分の体重を右足に集中し、何とか彼女を受け止める。

 そして彼女も受け止められる直前に左足と右手だけは石に掴まることができ、力が分散しヒロも踏ん張ることができた。


「……ヒ…ロ」

 抱きしめることはできないが、細い彼女は腕の中に何とかすっぽりと納まり、横目でその顔を見ると目がウルウルしトロンとしている。


 しまった! 眠気に襲われているんだ。

 くそお、ここまで苦労して登ったのにどうしたらいいんだ。

 もしこのまま彼女が眠ってしまったら、この体制のまま支え続けることなんて到底できやしない。

 かといって抱きかかえて下りることだって……。

 最悪、二人とも滑落したら地面に叩きつけられて命を落としてしまう。


 ヒロは先程、茶色いベルトのポケットの最終確認したときの事を思い出した。

 見間違いじゃなければ確かポケットの中に気付け薬があったはず。

 でもどのポケットに入れたのか記憶が曖昧だ。

 しかもこの体制で片手を放したらたちまち滑り落ちるのは目に見えている。


 そうこうしている間にも彼女の重みが徐々に右足に圧し掛かる。


 考えろ! そして思い出せ! 何処に入れたか!

 そうしないと二人とも死んでしまう。


「シキ、シキ、起きて! 俺の方を見て!」

 彼女は呼びかけに対し、閉じかけた目を再びカッと見開き顔をヒロの方に向けた。

「俺の左側から三つ目のポケットに気付け薬が入っている。小さな黒い丸薬だから、それを取り出して口に含んでよく噛むんだ。大丈夫、俺の力を信じて。必ずここから助けるから」


 その言葉を聞いたシキは、右手を支えながら比較的自由が利く左手でヒロのポケットの中を探しはじめた。

 ふんわりといい匂いが漂いだし、こんな場所でなければ思いきり抱きしめたくなる衝動に駆られながらも、彼女が探しやすいように思い切り右足に力を込める。


「……あった! あったわヒロ」

「さあ口に入れて、できれば俺にも頂戴。頂上まで眠気が襲ってこないように」


 この薬は小さい丸薬ながらも凄まじい威力を発揮し、あれほどとろーんと眠そうだったシキは、同じ人物とは思えないほどしっかりとした足取りで頂上へと向かう。

 一方、ヒロは口に含ませて貰った気付け薬が変な方向に作用し、妙に興奮しながら山を登り続けた。


 シキは頂上にたどり着き、しばらく間を置いてからヒロが登頂するのに手を貸した。

 ヒロは安堵感と、興奮していたこともあり、そのまま抱きつこうとしたが、彼女は出口を探すために慎重に山頂付近を観察している。


(ちぇ、まただ)


「出口が見当たらないわ」

「じゃあ、ここまで登ってきたのは無駄だったってこと?」

 ヒロは愕然とするが、シキは押し黙ったまま山頂から麓に小さく見える鏡を覗き込んでいた。


「もしかしたらと思う方法があるけど、精神が強くないとできないかもしれない」


「何、それは?」

「私はずっとこの空間を注視していた。あの鏡には私も映し出されるし、水面に太陽も見える。でも頭上を見上げると太陽は見えない。生き物の声はしないしこの山も映り込まない。それでも水面の太陽の光で植物は成長している。私はあの鏡が元の世界とこの空間を繋ぐ出入り口ではないかと思っているの」

「難しくて、何言っているかさっぱりわからないけど、つまりどうゆう意味?」


 ヒロの方に翠色の瞳を向けてからシキは驚くほど真顔で、衝撃の発言をした。

「この山頂から飛び降りて鏡を割るのよ。上手くいけば元の世界に戻れるかもしれいけど、………上手くいかなかったら、逆に鏡に叩きつけられてそのまま死ぬかもしれない……」


 ヒロは、さあああと血の気が引いて気が遠くなっていき、そして硬いもので殴られたように頭がぐあんぐあんと揺れ出した。

「とっ、飛び降りる? この高さから?」


「この空間に来て、子どもの頃の自分と向き合ったりしたのは、弱い自分を見つめ直し、精神的に強くなるためだったのではないかしら? つまり飛び降りることが出来る勇気ということね」


 確かにそうだ、俺も幸せだった幼い時のこと思い出し、シキの言葉を聞いて弱い自分と向き合えた。それもこれもこの試練に立ち向かう為だったのか?


 ………もしも叩きつけられ死ぬかもしれないのならば、最後にこの思いを伝えたい。

 君と共にありたいと望んでいることを……。

 今ならばきっと伝えられる。


「君と二人なら、俺には何も怖いものなんて有りはしない。この五年間忘れたことは一度もなかったよ。いつか再び会えた時には絶対に思いを伝えたかったんだ。初めて出会った時から大好きだったってこと。あの時の約束覚えている? 必ず探し出すって。必ず迎えに行くって! もう君をあんな薄暗い塔に閉じ込めておきたくはない! 元の世界に戻り、俺と一緒にパシャレモに行こう、シキ! 君の従者のリヴァも一緒に。お母上も必ず探し出して見せる。だって俺たちは情報屋をしていたのだもの。だから、だから……」

 そう言ってヒロは左手をシキに差し出した。


 彼女はひどく驚いた表情で、石のように微動だにせず、固まってしまっているようだった。


 ヒロがあの地獄の日々から救い出してくれると言っている。

 今まであの過酷な運命に立ち向かうには自分で切り開くしか道はないと思っていた。

 剣術を身につけ、本を読んで知識を得るのもそのためだ。誰かに手を差し伸べて貰い、頼るなんて思いもよらなかったのに、それを彼はいとも簡単に純真無垢な青い瞳を輝かせて、一緒に行こうと手を差し伸べてくれている。


 この目の前にある、手を取れば、自分が待ち望んでいた未来を切り開けるかもしれない。

 ヒロとなら一緒に……。永遠にこの先も……。


 シキはその差し伸べられた手にゆっくりと触れ、昔、野原でそうしたように指先を絡めた。

 ヒロはその手をぐっと自分の方に引き寄せて、少し頬を赤らめた顔をシキに近づける。

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