第67話 脱出
ヒロが目を覚ますと、彼女は足を組んで両手をその膝の上に置き、山の方に向かい目を閉じて瞑想していた。
そんなシキに近づいて声をかけた。
「シキ、ここから脱出しよう。俺たちを待っている人たちのもとに帰るんだ」
彼女はそのポーズのまま動かずにいる。
「私はずっと、この後ろにある鏡の周りを注視していたけど、出口はないわ。でも一箇所だけ行っていないところがあるの」
「それはどこ?」
「……この山の頂上よ」
ヒロが見上げるその山は断崖絶壁で頂上付近は霞がかかっている。思わず足が竦みそうになり、それでも手の拳を握りしめた。
ここで男を見せずしてどこで見せるというのか?
「じゃ、じゃあ早く登ろうよ、木登りは得意だ!」そう言って山のほうに向かうヒロにシキは組んでいる足を元に戻して立ち上がると、
「その前にヒロ、この私の手首を思いっきり握ってみて」と言って手首を差し出した。
「な、何を言い出すんだよ!?」
「いいから、早く!」
ヒロは戻ってきて仕方なく思いっきり彼女の手首をぎゅっと握った。これでもかなり力を入れて握ったつもりだったが、彼女は顔色一つ変えず、クルッと掴まれている手首を回転させて、次はヒロの手首を掴んだ。
「いたたたたたたぁぁ!」
シキはすぐに手首を放したが、それでも掴まれた箇所に赤く跡が残っている。
「五年前からちっとも変わっていない、相変わらずの馬鹿力だな」
「思った通りだわ。まだ本調子じゃないでしょ? この山に登るには三つの課題を突破しないと、頂上に辿り着くことはできないわ」
「何? 課題って」
「一つ目は集中力、二つ目は握力、三つ目は………眠気よ。この空間は音もないしどうしてもすぐ眠くなってしまう。三つめはともかく、ヒロは体力回復を最優先に、失われた握力を取り戻すために今から特訓するわよ」
そう言って彼女はあの紫の花の実のところにヒロを案内した。
「これは何の実?」
「私も本で読んだことのない不思議な実なの。食べると満腹感を長く持続させるのか、お腹も空かないし、不思議と力も湧いてくる」
この空間の唯一の食糧であるその実を採取して食べ、筋力と柔軟性を養うために訓練し、集中力を高めるために瞑想の姿勢もした。
時間があれば他愛もない話をし、笑い合い、眠くなったら二人ぴったり寄り添い温め合って眠り、そんなことを幾度となく繰り返す。
たった二人きりの不思議な空間の中で、互いの心と体が満たされた尊い時間は、瞬く間に過ぎていく。
そしてついにヒロの体力も回復し、握力も元通りになり、あの山に登る時がやって来た。
外套を小さく折りたたんでシキは腰に括り付け、ヒロは情報屋が携帯する茶色いベルトのポケットの中身の最終確認をし、革の水筒に水を入れて再び腰に巻き付ける。
お互いの顔を見合わせてから
「ヒロ、先登っていいわよ。何かあったら助けるから」とシキが言い出した。
「いや、俺が後から登る。もし君が落ちてきても全力で守ってみせる」
決まったーーぁぁ!
きっと頼りがいのある男だと思ったに違いない。
しかし、彼女は
「あらそう。じゃあ先登るわ」と素っ気ない口調で言って岩に手と足をかけ始める。
ええええええっつ!?
今凄くカッコイイ言葉かけたのに、何、その塩対応?
しばし、茫然自失していたら、もうすでに彼女はかなり高い所まで岩を登っていた。
ヒロも急いで登るが、登っている間も彼女のことばかり考えてしまう。
シキの気持ちが全然わからない。
二人きりでこんな満ち足りた時間を共有したのに、彼女は自分のことをどう思っているのだろうか?
あの従者にはあんなに甘えた声出すのに………、俺には頼ってもくれない。
すこし気が抜けてしまったのか、岩にかけた手がつるりと滑ってバランスを崩しそうになり、ハっと我に返った。
今はそれどころじゃない!!
ここで俺だけ落ちたら身も蓋もないぞ。
二人は断崖絶壁の山を全神経集中して登っていく。
シキがお手本のように手をかけ、足をかけたところにヒロも同じく手をかけ、足をかける。そしてちょうどこの山の中腹にさしかかったとき、ヒロの頭に小さな石がこつんこつんと当たったので、顔を上に向けた途端、ザザザっと足を踏み外し彼女が急斜面を滑り落ちてきた。
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