第64話 水鏡
すると、水面に映る銀髪の自分の姿が、みるみるうちに年の頃はヒロ位で、上半身が裸の金髪の男の姿に変わっていく。
そしてその水越しにこちらを見ているその金髪の男の顔も、急に驚いているような表情に変わり、同じように覗き込んでいる。
「金髪の男の人! 誰なの、あなたは?」
そう言って思わずその水面に手を伸ばして、男に触れようと手をググッと水の中に突っ込んだ。男の顔がユラユラと漂うように消えてしまい、肘のあたりまで水の中に入った時、コツンと指先が何かに触れる。指先をあらゆる方向に動かすと、どこかしこで硬い感触の物に当たるのがわかった。
「まさか!」
すぐにその場で履いているブーツを脱いで、素足のまま、深さは膝下位までしかない池の中に入ってからゆっくりと歩き出すと、ど真ん中に簡単にたどり着くことができた。
「こっ、これは池じゃない! 大きな鏡の上に水が張ってあるんだわ」
鏡の真ん中に立ち、目前に聳える断崖絶壁の山を見上げると、その山は鏡には一切映り込んではいなかった。
「いけない、忘れていたヒロ!」
山の麓でもぞもぞと動いているヒロが目に入り、急いで彼の方に向かい、水筒に汲んできた水を少しずつヒロに飲ませる。
そして紫の花に生っていた豆のような実も小さく砕いて口に入れてあげると、すぐに口から吐き出してしまう。仕方なく自分の口の中でさらに細かく噛み砕き、手の平に一度乗せてからそっと彼の口の中に含ませてあげた。
いつまでこの奇妙な空間に二人でいるのだろうか?
それに先程、一瞬垣間見えたような気がした金髪の男の事だって。
強烈な睡魔と戦っていたのだが、あの男の事を考えている最中にぱたっと倒れて、ヒロにもたれかかるようにシキは寝てしまった。
暗い。冷たい。ここは何処だ?
そうだ思い出した、幻島ダズリンドの遺跡の中にある修行場だ。
上半身裸のシュウは冷たい石の床全体を這う様に流れる水の上に、うつ伏せで横たわっていた。
ジェシーアンとの修行が終わり、次のステージ、さらに次へと進むにつれて過酷な辛い日々が続いている。
クーはシュウに我を支配することが真の強さであると説き、精神的に追い詰めてくる。まともな精神状態でいることさえままならないこの状況で、シュウの精神は既に限界に達しようとしていた。
故郷カルオロンに戻り、皇帝として即位し、この大陸全てを統べる王になりたかった。
この命が尽きるかと思った時、北で見た美しい白銀の世界。
何者にも支配されない、全てが白一色に染まるあの永遠に続くような世界を手に入れたかったのに。
「さあ、どうしたツァー。もうこれでおしまいか?」
クーは真っ暗闇の空中にふわふわと浮かび上がり、シュウの耳元で高笑いしながら挑発してくる。スピガなんかとは格が違う、術師たちの頂点に立つこの子どもの精神攻撃にはまるで歯が立たない。
床を這うように流れている水を手で少しだけ掬いぼとぼとと自分の顔にかけた。かけたところで何の気力も起きないのに。
ふと水の中に何か浮かび上がった気がしたので、気力を振り絞り少しだけ顔を上げると自分の顔が水に映し出される。
なんだ気のせいかと思った時、ゆらゆらと水面が揺れて、やがてぼんやりと銀色の髪の女が姿をあらわした。
いつもは冷静沈着なシュウでさえ、思いもよらぬ出来事に我が目を疑った。
いやそれよりも彼女の風貌がだ。
あの北の果てで見た、白銀の世界を思わせる真っ白な顔と銀色の髪。
幻か?
しかしその女も驚いた顔をして白い手をこっちに伸ばしてきた。
「金髪の男の人! 誰なの、あなたは?」
ハスキーな声でこちらに問いかけてくる。
息遣いが聞こえそうなくらい、水鏡は極めて正確に女を映し出していた。
いや、これは決して幻なんかじゃない! 彼女は現実に存在するんだ!!
「これでいよいよゲームオーバーかな?」
高級な絹で出来た小さな靴をトントンとさせながら、クーは不気味にきゃっきゃっと笑いながらシュウの顔を覗き込んできた。
「…………誰がゲームオーバーだと言った? この気持ち悪い人形の皮を被った化け物め!」
つい今しがた見た、白い女の正体を掴むまではこんな人形なんかに負ける訳にいかない。
急に水を得た魚のようにシュウは立ち上がり、暗闇にふわふわと浮かんでいるクーに襲いかかった。
「ほう? まだやる気なんだ。ツァー?」
それほど首が曲がるのかという位、クーは首を九十度真横にしてそのガラス玉のような目をまんまるくしながらシュウを見ていた。
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