第63話 紫色の花の実

 そう言って抱いたまま、再び眠りについてしまったヒロをそっと仰向けに寝かせ、暫くの間その寝顔をシキはじっと見つめていた。


「寝ちゃった……」


 予想もしていなかった五年ぶりの哀しい再会だ。

 自分や、カイたちに燃えるような赤い眼で襲い掛かってきたヒロ。

 到底、彼の意思とは思えないが、だからこそ自分と同じような眼をしていたことが気になって仕方ない。明らかに彼は自らを制御出来ていなかった。


 にもかかわらず不安そうに助けを乞うから思わず抱きしめしまい、どうしてよいか分からなくなり、昔リヴァが唄ってくれたあの唄を咄嗟に歌ってしまった。


 淋しい時に元気をもらえる唄。自分を励ます唄。


 ここは一体何処なのだろうか? あの裂け目から落ちて気が付いたらここに二人で倒れていた。

 今は薄暗くて周囲の状況があまりよくわからないから、無闇矢鱈に動きまわらないほうがいい。


「………さっ、寒い」

「えっ! どうしよう?」


 ヒロは魘されながら寒さに震えている。あの赤い眼をして制御できないほどの力を使ったことが、少なからず影響しているのだろうか?

 シキは唇を噛みしめ、外套の留め具の辺りをギュッと掴んだ。

 そして、外套を脱いで彼に被せ、その中に自らも包まれて寄り添うように互いの体温で温めあった。


 そして彼女も仰向けになると、ここまで辿り着いた道中を思いめぐらす。

 生まれて初めて見る国外の風景は本で読んだものと全く違っていた。いつも見ている真っ黒な塔の壁とは違い、街道で目にする人々、家畜、景色、何もかもが新鮮で輝いているように見えたのだ。


「大丈夫。二人でくっついていれば少しは寒くないと思うけど。………それにしても眠い。沢山走ったからかしら?」


 不意にとてつもない睡魔に襲われてくる。目を閉じる瞬間、隣で寝ているヒロの顔をチラッと見ると、刀を振りかざして襲ってきたとは思えない程、落ち着いて安らかな眠りについていた。

「…………ヒロ。早く良くなってね」




 目が覚めるとヒロはまだ隣で寝ていた。ペタペタと顔を触ると熱は無いようだが、青白い顔をして肉体的な疲労というよりは、むしろ精神的な疲労が酷いようでしきりに譫言で何かをずっと言っている。


「み、水……」

「水が飲みたいの? 待っていて見つけてくるから」


 彼が着ている黄色の衣の腰に巻きついている茶色のベルトを外すと、数多くの小さなポケットがあり、中には旅に必要な最小限度の道具と医療品、そして革の水筒が入っていた。その水筒を持ち、水を求めて立ち上がる。


「ここは……」


 夜明けのように次第にまわりが明るくなるにつれ、二人が置かれている状況がはっきりしてきた。見渡す限り、所どころ生える草とその上に咲く腰丈まで伸びた紫色の花が地平線の遥か彼方まで続いている。

 そして自分たちが横たわっていたのは、山頂に霞がかかる断崖絶壁の山の山麓で、その前には直径五十メートル程の大きな池が見える。耳を澄ましても人の気配は勿論のこと、鳥の鳴き声すら聞こえてこない。


 風も吹かず、何の音もせず、生命も感じられない、しかし紫の花は咲いているという何とも無機質な空間だった。

 取り敢えず池に水があることに安堵し、その池へと向かう途中に、紫の花をよく見てみると一緒に小さな赤い実がついている。その実を一つ取り口に含むと、ほんのり甘みが感じられ、嚙み応えもあり、何とか食べる事は出来そうだった。


「不思議な実……。豆類みたいだけど本で読んだことないから、あとで調べてみよう」

 その実のいくつかをポケットにしまってから、水を汲むため池の前に座り込む。


 シキはだんだんと違和感を覚えはじめる。

 それは水面には太陽のように輝くものが映し出されているにもかかわらず、ふと真上を見上げると太陽は見当たらない。次に地平線の彼方を見渡した。


「どうして陽の光が差さないのに植物が育っているのだろう?」


 釈然としない気持ちのまま、水を少しだけ手に取り口に含ませる。特段変わったところのない普通の水であり、水を汲むために皮の水筒を水に沈め、水面を覗き込むと、自分が鏡のように映し出されている水面がユラユラと大きく揺れ出した。

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