第43話 国王の懐刀

 七歳だったベガは、逃げまどう人達の間を潜り抜け、四つん這いになって暖炉の中に逃げ込んだ。


 少し煙突の方に上ると腰掛ける事が出来そうな出っ張りを見つけ、そこに座って思い切り耳を塞ぐ。

 人々の悲痛な叫び声がこだまする状況は、大人になった今、思い出しても背筋が寒くなるほど悪夢さながらであった。


 だがある時、事態は一変する。


 赤子の泣き声が聞こえたかと思うと、地響きがして突然地面が上下に大きく揺れ出したのだ。

 暖炉の壁にしがみつき、力の限り振り落とされないよう自分の体重を支えるのに精一杯で居間でいったい何が起きているのか定かではないが、揺れが長くなるにつれ人々の声が次第に小さくなっていき、やがて完全に誰の声も聞こえなくなってしまった。

 そしてベガ自身も力の全てを出し切って、そのまま深い眠りについてしまう。


 どれ程の時が流れたのであろう。


 無気味な静寂に包まれ、夢なのか現実なのかも分からなくなっている時に、人の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 何者かが居間の中を歩き回り、そして足音が徐々に遠くなって消えていった……。


 もしかすると戻ってきたパシャレモの兵士かもしれないが、敵国ミルフォスの兵士かもしれない。

 暖炉から出る気力も体力もないまま、ベガの脳裏に浮かんだのは親子の最後の後ろ姿だった。



 もう少し私が早く手を差し伸べていれば、赤子を受け取ることが出来たかもしれない。


 ごめんなさい。ごめんなさい……。


 ミッカ様、あなたに差し伸べられた手を、今度は私が赤子に差し伸べる事が出来ず、ごめんなさい……。

 あなたがその全てをかけて愛した、教え導くという意味の名を持つ、最後の希望を救えずに……ごめん……な……さい。




「……おい、生きてるか?」


 ベガが薄っすら目を開けると、そこには騎士のような衣装を纏った男が心配そうに覗き込んでいた。

 そのまま、眠ってしまったからなのか、暖炉の壁から落ちて薪をくべるスペースで体中灰まみれになってしまっている。

 男はそんなベガを抱きかかえ、湖近くの外へと連れて行き、湖で汲んできた水を飲ませた。

 カラカラに乾ききった体の隅々にまで水が染みわたり、生きていることを実感するとともに、徐々に脳が耐え難い現実を受け入れようとして、男の服を思いっきり掴んで尋ねた。


「ミッカ様は? 赤ちゃんは? みんなどうなったんですか?」


 男はこの幼い少女から親子の事を尋ねられ、最初は驚いた様子であったが、倒れていたのが居間だったことからすぐに、身の回りの世話をする子どもの一人だと察した。


「……ミッカ様は御逝去あそばされたよ。

 どういういきさつかはわからないが、見晴らしの良い場所に埋葬してあった。国王も最後の砦の戦で敗れて討ち死にしてしまわれた。

 私はその国王の最期の命を受けて、ミッカ様と王太子を救い出すためにここにきたが、王太子がいないのだ。何処にも。ミッカ様の側にも……。

 城は酷い有様だ。夥しい数の遺体で埋め尽くされている。そんな中でも君がいた居間の状態が一番酷い。遺体も何もかもが粉々に破壊されつくしている」



 ベガは、ようやく彼がすぐに湖まで運んだ理由が判った。

 恐らくとても子どもに見せられるものではない状況だったのだろう。


「夢だったかもしれないけど、誰かが城を歩き回っていて、その人が赤ちゃんを連れ去って行ったのかもしれない……、あなたは誰?」


「私は、国王の側近の一人でアラミスという。生き残ったのは私と君の二人だけだよ……。そうかまだ完全に望みが絶たれたわけではないということだな。ミッカ様を埋葬したのもその人物だったのか? 私は王太子がひょっとすると戻ってくるかもしれないからここで待つよ。君はどうしようか……この先、一人で生きていくのも難しいだろう。そうだ!」



 そのアラミスという男は、国王の懐刀とまで呼ばれた若く有能な人物で、職を失ったベガの為に、親戚の老夫婦を紹介した。

 彼らは妃の身の回りの世話係だった彼女を屋敷に引取り、そこで何不自由ない生活を与えてくれる。壮絶な戦争体験をしたため剣術を学びたいと願い出た時も、快く了承してくれるような温かい人達だった。


 ベガが十八歳になった頃、老夫婦が相次いで死去したため、屋敷を出て賞金稼ぎをしながら、ミッカの恩義に報いる為に、王太子を探す旅に出ることにしたのだ。


 あの赤子が行方不明になってから十七年。

 そして恐らくアラミスは今も亡国パシャレモに残り、王太子が戻るのを来る日も来る日も待っているはず……。


 ベガは治療のしてある腕をチラッと見てあの青年のことを思い浮かべた。


 黒髪碧眼の青年なんて大陸にはいくらだっている。

 仮に名を名乗ったとしても、本当の名前である保証なんて何処にもないし、生きていたとして名を知っているのかさえわからない。

 それなのに何故こんなにも、心に引っかかるのだろう……?


 徹夜明けにもかかわらず、一気に色んな事を考えた脳が一時的に興奮してはいたが、すぐに強烈な眠気が襲ってきてベガは深い眠りについた。

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