第42話 一縷の望み
それから、少しずつ確実にお腹が大きくなっていくミッカの身の回りの世話をしながら、城での新しい生活が始まる。
侍女が言った通り、城ではミッカが引き取った多くの身寄りのない子どもたちが仕事をしながら、教養を身につけていた。
彼女は常々、落ち着いたら子どものための施設を作りたいと、その青い瞳を輝かせて、自らが持つ夢をベガに熱く語っていた。
そしてついにあの運命の子が誕生したのだ。
そのふわふわした黒髪碧眼の赤子は、国の期待を一身に背負って生まれてきた。
黒髪と青い瞳は母親似であったが、ふわふわしたくせ毛は恐らく父親似だったのだろう。
というのもベガは国王の後ろ姿しか見たことがない。
公務に忙しく夜に時折、赤子の顔を見に来る程度だったからだ。
前王妃が子宝に恵まれることなく亡くなり、望みは潰えたかと思われた。しかし思わぬところに白羽の矢が立つ。前王妃の遠縁にあたるミッカが後妻として迎えられたのだ。
親子ほど年の離れたこの二人の夫婦関係がどうであったかは、子どものベガにはわからない。
だが、はじめての王太子の誕生に、この夫婦だけでなく将来の国の安泰に誰もが夢を膨らませたのは事実だ。
しかしその夢は数ヶ月後、無残にも打ち砕かれてしまう。
春から夏に季節が移り変わる頃、パシャレモからさらに東に進み、川を越えた小国ミルフォスによる襲撃を受けたからだった。
直ちに城中が緊迫した空気に包まれ、数多くの兵士や国民たちが城に集められ、戦闘準備に入り、女たちはただ粛々と準備に追われている。
国王や兵士たちはミルフォスに近い砦へと向かい、城にも相当数の兵力が残された。
何日間もそんな緊張が続く中で、ベガが唯一強烈に覚えているのは、まだ年若いミッカのどことなく悲壮感が漂う表情だ。
ある時、しっかりと抱いている赤子が泣き出していることにも気が付かずに居たので、ベガが近くに落ちている狼の人形のおもちゃであやしてあげた。
こんな状況にもかかわらず赤子は泣き止んでにっこり微笑み、ベガが持つおもちゃに手を伸ばそうとする。
そんな赤子をミッカが震えながらしっかりと抱きしめた時、ミッカの目の前にパシャレモの兵士が駆け込んできたのだ。
「ミッカ様、最後の砦が落ちました! まもなくここにもミルフォスの兵が押し寄せてくるものと思われます!」
王族が使用する個人的な部屋にいる大勢の侍女や侍従たちは、奥に座っているミッカの方に一斉に目を向ける。
彼女はすべてを受け入れる意志が固まったかのように、赤子を抱き立ち上がると
「いずれここも陥落するかもしれない。去りたいものは立ち去るがよい。私は己の運命を受け入れここで果てても悔いはない!」と力の限り叫んだ。
それはもう一人の赤子の母としてではなく、国母として威風堂々と立ち続ける見事な姿であった。
そんな彼女の言葉に侍女たちからはすすり泣く声が部屋に広がり、誰一人として立ち去るものはいなかった。
砦を打ち破ったミルフォスの兵達は、その後、数日かけさらに勢いを増してパシャレモへ攻め込んでくる。しかしミッカ達もただ手を拱いていたわけではない。
残された兵力を集中して投入し、何とか城への侵攻を食い止めるべく最善の策を講じたつもりであったが、ミルフォスの兵はその想像をはるかに超えるものだった。
あの日の午後、遠くの方で落雷かと思うほどの轟音が鳴り響いた。
ミッカはじめ部屋中にいる者たちが、ついにその日が来たと思ったことだろう。その轟音は徐々に、そして確実に彼らに近づいてくるのがわかる。
もはや行き場を失った人々の絶望的で悲痛な叫び声なのか、爆風の音なのかも区別ができなくなっていた。
そんな中、ふと部屋の中にいた、ある侍従が声を上げる。
「ミッカ様、ご子息だけでも逃がしましょう。その御子はこの国の唯一の希望。生きてさえいれば国を立て直すことも、いつか仇を討つ事だって叶うかもしれない!」
「そうだ、そうだ!」と絶望的な状況に追い込まれている彼らから声が上がりはじめ、一縷の望みをかけて、赤子を逃がす事に願いを託すものたちが出てきた。
そして彼らは城の湖を超え、川へ辿り着けば逃げられるかもしれないと、親子を湖に近い居間へと連れて行く。
ミッカは究極の選択を迫られる。
王太子と一緒に死ぬか、逃がすか……。
そして彼女はゆっくりと傍にいるベガの方を向き
「ベガ、この子を連れて、あなた逃げてくれる……?」と弱々しい声でベガに訊いた。
「私の命に代えても必ずお守りします!」
ベガには何の迷いもなかった。自分をどん底から救い出してくれたミッカの恩義に報いる為、死んでも守り抜く覚悟だったのだ。
そして、一縷の望みである赤子をベガに託そうと、ミッカがその小さな体をベガの伸ばしている手に引き渡そうとした丁度その時、後ろのドアを蹴破ってミルフォスの兵達が踏み込んでくる。
居間にいた侍女や侍従たち、そして僅かに残る兵士達は悲鳴をあげて逃げまどい、その様子はまさに地獄絵図のようであった。
侍従に抱えられるように奥へ逃げていくミッカと赤子。
それがあの親子を目撃した最後だった。
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