第41話 パシャレモの妃

 ベガは厚意に甘えて、家の主が用意してくれた朝食を済ませ、質素なベッドに横になりながら、遠い昔を思い出していた。


(大人なんてどいつもこいつもずるい。いつでも自分が最優先で子どもなんて後回しだ)


「また、こいつ盗みやがって! 今度こそは城の牢に叩きこんでやるからな!」


 忍び込んだパン屋の主にうっかり見つかり、すぐさま、近くを警備していた兵士に引き渡された。兵士は子どもにもかかわらず手枷をはめ、綱を引き、何か声をかけるわけでもなく城まで歩き出す。


 途中で同じように、手枷をはめられた老人のような男と一緒になり、兵士たちはベガと男を同じ綱に括りつける。その男は顔に深い皺が刻み込まれ、とても痩せており、すべての前歯を失っていたが、何故だか目だけは異様にギラギラと輝いていた。


 そして隣にいるベガに

「お前、子どもなのに何やらかしたんだ?」

 と気持ちが悪い程べったりとくっついて尋ねてきた。


 彼女が無視して歩いていると

「その年で牢にぶち込まれるなんざあ先が見えてるな。盗賊の仲間入りか、運が良ければ娼婦の館で引き取って貰えるか。いずれにせよお前の将来は俺みたいに終わってるってことだ」男はケケケと笑ってから、聞きたくもない鼻歌を歌い出した。


 悔しいが、この男の言っていることは大方間違ってはいないだろう。

 牢にいた子どもの将来なんて先が見えたも同然だ。一人ぼっちにさえならなかったら、両親のように勉学に励み、立派な職業に就きたいと思っていたのに、どこで踏み外したのか……。


 城が近づいてきて、兵士たちは裏手にある質素な門へと彼らを連れて行こうとした。

 しかし、正門近くに差し掛かった時、あんなに生き生きと歩いていた男が急に喚きだしたのだ。


「……痛いぃぃっ! 痛い……誰か助けてくれ!」


 男は小さく蹲ったかと思うと、地面をのたうち回りだした。

 ベガは一瞬驚いたがよく考えれば、この男ならそれぐらいお手の物だろうと大して気にはしていなかった。

 しかし次第に脂汗を流しながら苦しげな表情をする男に、兵士たちは焦りだして目の前にあった正門へと男とベガを連れて行く。


 その時、兵士たちの動きがピタリと止まり、張り詰めた緊張感が漂いだす。

 顔を起こして兵士たちと同じようにベガが前を見ると、そこには七歳になるまで、見た人の中で一番美しい女性が立っていた。

 何とも言えない幸せと自信に満ち溢れた姿に、幼いながらも圧倒されてしまったのだ。

 手枷をはめられている彼らに、その女性の側にいる数人の侍女らしき女たちは、見てはいけないものを見てしまったような顔をして瞬きもせずに突っ立っている。


 重苦しい沈黙が続くうちに、今さっきまで苦しんでいたあの男は、自らの口の中に忍ばせてあった糸切り歯のような鋭利なものを取り出し、手枷と繋いでいた綱を切り一目散に逃げだした。

 老人かと思って侮っていたが、逃げ足の速さだけならまさに天下一品だ。


「あいつ逃げ出したぞ!!」


 ここまで連れて来た兵士や、正門の兵士が逃げた男の後を追っていったため、正門にはベガと美しい女性、そして侍女らしき女たちが取り残された。



「あなたは逃げないの?」

 青い瞳を向けて、優しく語りかけるような口調で美しい女性はベガに聞いた。


「一人ぼっちになって、食べるものがなく、パンを盗んだのは事実だし……。それにその生まれてくる子の前で不誠実なことはしたくない」


 女性は安定期に入り、少しだけ大きくなってきたお腹を愛おしそうに撫でた。

「食べるものにも困っているなんて、それはあなただけが悪い訳じゃないわね。周りの大人や国にも責任があるわ。あなた家族は?」

「流行り病で皆、死にました。弟や妹たちも」


 侍女たちは流行り病という言葉に「まあ……」といって後退りした。

 しかし美しい女性は顔色一つ変えずに

「それだけ丈夫だってことだわ。ご家族の分も一生懸命生きなくちゃ。あなた弟妹の世話したことある?」と気まずそうに下を向くベガに訊ねた。


「両親が仕事の間はずっと面倒見ていました」

「ご両親は何のお仕事なさっていたの?」

「建築士でした。二人とも……」

 後ろで束ねた、腰まである黒髪をなびかせながら、女性はゆっくりとベガに近づいてゆく。

「良ければこれから生まれてくるこの子のお世話を頼めないかしら? 私もはじめてのことだから不安なの」


 侍女たちはまた……と困った顔をし、

「ミッカ様、何を仰っているのですか? この子どもは囚人ですよ。それにすぐそうやって可哀想だと身寄りのない子どもを引き取るのは、いい加減もうおやめください」

 と考えを改めるよう求めた。


「あらどうして? 子どもは国の宝だわ。子どもが教養を受けて成長することこそが国の繁栄につながるのよ。あなた読み書きもできるのでしょう? 立派なお仕事をご両親はなさっていたのだから」

 読み書きは物心つく前から叩き込まれていた。両親は教育や行儀作法には人一倍厳しかったからだ。


「……はい。四歳の頃にはクリジア聖典を暗記していました」

「まあ! それは頼もしいわ。私の名前はミッカよ。一応このパシャレモの妃なの。あなたの名前は?」


 死んだ両親から聞いたことがある。

 新しいお妃様はとても若くて黒髪碧眼の美しい人だと。


 今まさに目の前にいるそんな雲の上の人が、こんな道を踏み外した自分に手を差し伸べてくれている。大人なんて皆ずるいとずっと思っていたのに、今までの辛かった思い出がこの美しい人を見ているだけで浄化されていくかのようで、小さな胸がいっぱいになった。


「ベガと言います」

「明るい星の名前と同じね。よろしくベガ」

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