第40話 賞金稼ぎの女

「いたたたたたた! 何よ、急にぶつかってきて!?」


 自分達と同じように木の上で身を潜めていたこの人物に、ヒロ達は慌てて駆け寄った。

 いつからそこにいたのだろうか? 全く人の気配が感じられなかった。


「すみません! 人がいるって気付かなくて……」


 普通、気付かないだろう。こっちは身を潜めているのだから。

 しかも、双眼鏡越しとはいえ、周りを気にしないで寄っていくなんて、素人とか!


 そんなことを思いながら木から落ちた人物は、木から降りてきたヒロをじーっと見つめた。


「青い瞳……」


 食い入るようにヒロを見つめるその人物は、彼らよりやや年上のふくよかな薄い茶髪の女で、黒いズボンの上に濃い茶色のジャケットを着ており、首や頭、ベルトの至る所に見たこともない飾り物をつけている。彼らも初めて見る特徴的な出で立ちで、腰に剣を差しブーツを履いているため女騎士といった印象だった。

 よく見ると女は落ちた時に、木の枝で引っかけたのか腕から出血している。


「あっ、怪我している! お詫びに薬草で治療させてください」


 ヒロは常備している薬草で彼女に治療を施し始めた。

 これはペンダリオンの仕事をしながら彼が習得した技能だ。

 思っていた以上の腕前に女が

「ほぉー、大したものだ。ありがとう薬屋。あなたの名前は?」と感心した様子で訊いた。


 ヒロは咄嗟に名乗ろうとしたが、まったく人の気配を感じさせず木に潜んでいたこの女の事を不審に思ったカイが横から割って入り、

「ただの薬屋です。夜にしか見つけられない貴重な薬草を探していて、一生懸命になりすぎ気付くのが遅れてしまって、すみませんでした」と涼しい顔をしてニッコリ微笑んだ。


「……そう、別に名前はいいのよ。私も今日は満月が綺麗だから木の上で鑑賞していたの。人がいるなんて気づかなくて」と騎士っぽく深々と頭を下げた。


 そして落ちた地点に忘れ物がないか再度確認し、剣の位置を再調整してから

「それじゃあ。ありがとう、薬屋たち」

 とお礼を言い、満面の笑みを浮かべて立ち去って行った。



 女は暫く歩いたあと、彼らの方を振り返りボソッと呟く。

「………白い頭巾、情報屋か。こんな時に厄介なのが出てきたわ」


 情報屋が交渉相手以外に本名を明かさない理由を知っている。

 それは隠密行動で相手を信用させるため、嘘の情報にすり替える時に本名が足枷になるからだ。自分も似たような事するからよくわかる。

 まずは薬屋だと信用させようとしたのか?

 もしそうだとしたらこの治療は?

 あの無垢な青い瞳で誠心誠意、治療してくれたと思ったのだが……


 女は一度、頭の整理をしたくて身を寄せている家へと夜道を急いだ。



「驚いたよ。俺が止めなければ名前を明かしていただろう?」


 カイに指摘されてヒロは下を向いてしまう。迂闊にも情報屋として致命的なミスを犯してしまうところだった。

「……だってあの人、母さん……セラになんとなく似ていて。思わず名乗りそうになった。ごめん……」


 二人は何も言えないで暫く黙っていた。

 ヒロがセラの最初の息子で、ずっと彼女が特別な存在であることを知っているからだ。自分達もセラには育てて貰ったし、同じ分だけ愛情を与えて貰ってはいたが、誰よりも長く一緒に暮らしていた、彼はセラに本当の母親に似た愛情を昔から感じていた。兄弟の中でセラの事を一番大事にしていたのも彼だ。


「仮にそうだとしても、気配を感じさせなかったあの女は要注意人物だ。満月が綺麗って……、夜空を見ろ、今夜は曇り空だぞ!」

「でも結局、名乗らなかったから良かったじゃない? また明かりが灯っているかもしれないから監視続けようよ」


 カイがいつも通りの落ち着きを見せ、冷静に判断していたが、テルウは思った以上に落ち込んでいるヒロを励まし、三人はまた木に上って監視を続ける。

 しかしその日は再び館に明かりが灯ることはなかった。



 夜道を歩き続け、身を寄せている家に辿り着いた頃には、辺り一面朝靄が立ちこめていた。


「お疲れ様。昨日は徹夜だったのかい? 何か収穫はあったかな、ベガ?」


 家畜に与える餌を持って庭にぼおっと立ち、家の主は戻ってきたベガに声をかけた。

 不安で何も手につかなかったとしても、家畜の世話はしなくてはならないし、作物の手入れだってしなくてはならない。

 貧しい農家の暮らしなんてどこも同じだ。

 落ち込んでいるからといって投げだしたら生きていくことなんてできない。

 皆、毎日を生きて行くのに必死なのだ。


 疲れ切っている家の主に本当は吉報をもたらしたかったが、これといった進展がなかったとはとても言えずに

「収穫はあったような、なかったような……」

 と曖昧な返事しかできなかった。



「パンとスープが用意してあるよ。温めて食べるといい。妻の調子が良ければ、もう少しうまいもの御馳走するのだが……」

「そんなのいいわ。ここにこうして御厄介になっているだけでも有り難いもの」


 項垂れている様子を見ていられず、ベガは家の主が持っていた餌の入っている木製のバケツを代わりに持ってあげ、そして家の主と一緒に家畜小屋に行き、飼っている家畜に餌を与えた。


「徹夜明けなのに手伝わせてすまない。夫婦揃ってしっかりしなくてはいけないと頭ではわかっているのに……」

「こんな状況ですもの。仕方がないわ」

「でもどうして賞金稼ぎを生業にしているのに引き受けてくれたんだい? 報酬だってとても払えないのに」


 ベガは餌を一生懸命に食べている家畜の親子を見て、子どもを愛おしそうに撫でた。

「……昔、赤子を救えなかったから、この仕事はその罪滅ぼしなの」

「赤子?」

 何も言えなくなってしまった家の主に向かい、優しい目つきで彼女は言った。


「ご子息は必ず助け出してみせる。だから安心して」

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