第32話 灰色蜥蜴の動向

「術師の王になるつもりはないよ。前にも話したけど、今の俺の力ではあの青い瞳の子どもに勝つことは出来ない。指輪がこちらにある限り、いつでも皇帝になることはできるだろう。しかし皇帝になったところであいつに勝てなければ意味がないんだ」


「勝つことに何の意味があるというの?」


「ダリルモアに指輪を奪われたように、あいつに再び指輪を奪われないとも限らない……。

 あいつはダリルモアのことを父さんと呼んでいたから。それに俺が術師になればジェシーアンの記憶もコントロールしやすくなる」


 結局そこなのね。

 思っていた以上に兄様は彼女を傍に置きたいんだ。


 彼女を生かすために記憶を奪うのが、残された唯一の選択肢だったのだろう。

 ユイナにはシュウの苦悩が痛い程よくわかる。記憶が蘇れば、一瞬にして敵となってしまうこの兄の苦悩が。


「スピガ。修行ってどれ位かかるの?」

「俺は優秀な方だったけど、それでも七年かかっているからな。最低でも五年はかかるんじゃないか?」

「五年……。兄様は十八歳だわ……」


「必ず五年で結果を出して見せる。そしてダズリンドへはユイナとジェシーアンも連れて行くからな。残したままずっとスピガと一緒じゃあまりにも不憫だ」

 スピガがその灰色の目をユイナの方に向けると、彼女は一時的にこの屋敷から離れられる安堵感からかホッと胸に手を当てている。

 そんなユイナを見たスピガは、

「じゃあユイナは十七歳だ。きっと今よりもずっと綺麗になっているだろうね。いつ嫁いでもおかしくない年齢だ」

 と皮肉っぽくつぶやいた。


 その言葉にユイナは表情が強張り、持っているカップがカタカタと音をたてて揺れはじめた。


「それはないだろう? 戻ってきたらユイナには宿願を果たすために、やってもらうことが山ほどあるのだから。それより、お前も売上の管理は怠るな。起つべき時がきたら金が必要だ。お前の唯一の取柄は金に執着しないことだけだからな」

 スピガはそんなシュウの嫌味もさらりと聞き流して、薄気味悪い笑いを浮かべてユイナを見ていた。


 今のうちに嫌味でもなんでも言っていればいい。これから金よりも、さらに手に入れたいものが手に入るのだから……。

 シュウお前は、頭脳明晰で皇帝としてこれほど資質を持っている人物はそういないだろう。だがお前の唯一の弱点は、固執し続けることだ。

 思っているよりダズリンドは甘くない。

 肉体的にも精神的にも強くなければ、最後まで生き残ることは難しいだろう。その僅かな隙をついてクーは相手を徹底的に追い詰めるのだ。そして術師になって、寿命を偽りたいと願う殆どの者が、凍てつく北の海に儚くも散っていくのだから。



「ダズリンド? 私も一緒についていくの?」

「ああ、ユイナの介助も必要だし」


 ジェシーアンは夜の食事時、心底嬉しそうに黒い瞳を輝かせてテーブルに座っていた。ユイナに自分の名前を教えてもらった時からの記憶しかない彼女にとって、二人は唯一の頼れる相手であり、そんな二人と行動を共にできるなんて認められているようで、少しだけ幸せな気分になる。


「ふーん。あの灰色蜥蜴は?」

「灰色蜥蜴って、アハハハ! 本当にいいセンスしているなあ。スピガは留守番だ。おみくじの管理をしてもらうしね」

 シュウはユイナとジェシーアンが聞いたことのない位、大声で笑い出していた。

 スピガは明日ダズリンドへ旅立つシュウ達の為に、ハーブチキンと付け合わせに彩り野菜のソテーが添えてある夕食を用意する。

 恐らく味は保証できないだろうからと、シュウは北すもものジャムを自分とユイナとジェシーアンにもかけてあげた。


「しばらくはこの甘ったるい味ともお別れだな」

 ジェシーアンは北すもものジャムがかかったハーブチキンと恐る恐る食べてみる。

「何! これ美味しい。こんなおいしいもの初めて食べた」

「お前、頬袋が膨らみ過ぎだぞ!」

 シュウは新天地へ赴くという期待感からか、えらく上機嫌な様子で、食事のマナーそっちのけで美味しさのあまりチキンを頰張るジェシーアンと楽しそうに笑い合っている。


 ユイナはそんな二人を微笑ましく感じながら、傍でじっと機会を伺っているその灰色蜥蜴の動向を探っていた。


 この男ほど油断ならない存在はない。

 まさに蜥蜴の如く、息を潜めながら相手に近付き、狙いを定めて舌で巻取り締め上げるような男だ。

 一刻も早くダズリンドでの修行を終え、故郷カルオロンに戻らなくては。

 そうしたら私は今度こそ、この身をあの男に捧げることになるのだろう……。


 次の日、スピガは自分が持っている黒い馬以外に、シュウ達のために白い馬をあと二頭調達してきて、ユイナはシュウの後ろに乗り、馬の扱いに慣れているジェシーアンは一人で馬に跨った。

 今は紅葉色づく秋で、もう間もなく日も短く暗くて寒い冬が迫ってくる。四人は防寒のため外套を纏い馬に跨り、スピガの屋敷よりさらに北へと向かう。

 途中で数回、本格的な冬の訪れを前になんとか営業している民家のような小さな宿屋で宿泊しながら、さらに数日かけてついに大陸の最北端まで辿り着いた。

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