第31話 術師の修行

 シュウは新しい「おみくじ」の案を考えながら机の上で仕事をしていた。「おみくじ」も定期的にメンテナンスしないと消費者に飽きられてしまう。

 新しいネタを考えては紙に書留めていたが、もし行き詰まったとしてもジェシーアンの所に行けば、何とも言えない独創的な感性でネタのひとつやふたつ簡単に見つかるのだ。

 あとで彼女を探しに行こうと思っていると、ふと扉の方で音がして、そちらからゆっくりとユイナが周囲の状況を確認しながら入ってきた。


「山猿は?」

「もうそんな言い方、やめてあげて可哀想でしょう? 彼女は掃除しているわ。二人きりで話がしたかったから」


 シュウはユイナを抱え、そっと真向いの椅子に座らせて、自分は仕事をしていた椅子に座った。


「それで話って?」

「ジェシーアンの事……。兄様が気に入っているのはわかるけど、そろそろ御家族のもとに返してあげた方がいいと思うの。時々記憶を思い出す時に、辛いのが感じ取れるから」


 シュウは椅子から立ち上がると窓辺に向かい、そこからジェシーアンが耕した畑を見下ろした。あれから数日かけて土を掘り起こし、小石や雑草を拾い出して小さな四角形に耕されている畑が数個は出来上がっている。


「……それは無理だな。彼女には帰る場所がない」

「どういう事?」


 そして、くるりと振り返り、

「俺がダリルモアや母と弟を竜巻で飛ばして、家を粉々にしたから」

 と全くの無表情で言った。


「何……ですって……?」


 氷のように冷たい言葉を投げかけてくる彼に、ユイナはぞくっと背筋を震わせた。

 ダリルモアから指輪を取り返すのに多少なりとも犠牲は覚悟していたが、まさかそこまでやるとは正直思っていなかった。


「正確にいうとあと三人兄がいる。そのうちの一人はお前の眼をそのようにした青い瞳の子どもだ。彼女をここへ連れて来たのは、その青い瞳の子どもを探し出す《鍵》になるからだ。俺はすぐ眼を潰され、あんまりそいつの顔を覚えていないし、そいつはダリルモアによって逃がされた」


「じゃあなんで彼女の記憶を消したの?」

「彼女は親や弟を奪われ、本気で止めを刺しにきた。《鍵》であり、自らの敗北を肝に銘じるためここへ連れて来るには、記憶を消し去り傍に置くしかないだろう?」


「少しずつ思い出しているわ。思い出したらどうなってしまうの?」

「次は確実に殺しに来るだろうね。山猿は多分、兵士並みの訓練を受けている」


 ユイナに整理しきれない程の情報が飛び込んでくる。

 奪われた指輪を取り返しに行っただけだと思っていたのに、その為に何人もの命が奪われ、不幸にした人がいて……。


「お前も共犯者だよ、ユイナ。宿願を果たす為と綺麗ごとだけ並べるなんて、もう俺たちには出来ないのだから」


 シュウはユイナを椅子に座らせたまま部屋を出ていった。

 一人取り残されたユイナにはシュウの言葉が重くのしかかってくる。


 確かに彼の言う通りだ。綺麗ごとばかり言ってはいられない。

 今ある国家なんて多くの尊い犠牲の上に築かれたものばかりだ。カルオロンだって例外ではない。私達の父は圧倒的な軍事力で帝国を支配していたのだ。

 そしてその嫡子である私たちは城から逃げ出した日から、お互いに宿願を果たすことを誓い合い、ようやく指輪も取り返し、あと一歩の所まできたのだから。

 あの二人には一体どんな未来が待っているのだろうか?

 お互いの運命が絡まりして、危険な綱渡りみたいなそんな二人……。


 ユイナはただひたすら祈ることしかできなかった。兄が楽しそうに過ごしている日が一日でも長く続き、二人が剣を交えるなんて日が永遠にこないようにと。



 シュウはどかどかと歩く足音をさせながら廊下を歩き、ジェシーアンが掃除している部屋に向かって行った。


 心がもやもやしている時は、体を思いっきり動かせば、気が晴れてスッキリすることが分かり、ジェシーアンは前にも増して家事に精を出すようになった。窓ガラスを一生懸命拭き取っている時、シュウが凄い勢いで部屋へと入って来た。


「山猿!」


 そう大声で叫んだ後、いきなり掃除しているジェシーアンの手首を掴んで引っ張り、そのままベッドに押し倒し動きを封じた。


「ちょっと何するのよ!」


 シュウの薄茶色の目は、超至近距離でじっとジェシーアンの顔を凝視し続ける。


 あの日、青い瞳の子どもに眼を潰されて、急所を刺されそうになり、その敗北を肝に銘ずるため彼女を傍に置いた。

 彼女を見る度にその時の事を思い出し、苦杯を嘗め屈辱を味わう。今の自分では到底、あの青い瞳の子どもに勝つことは出来ないだろう。

 そして今、あの時の記憶が戻れば、すぐにでもこの黒い瞳には殺意が芽生え、目の前にいる自分を殺しにかかってくるはずである。

 その表裏一体の関係にあるこの緊張状態がシュウの精神をひどく興奮させるのだ。


 ジェシーアンはシュウにじっとこんな近くで見つめられて、心臓が激しく脈打ち、気持ちが高揚していく。彼女が震えながら金髪に手を伸ばそうとした時、シュウはくすくす突然笑いはじめた。


「いいネタ思いついた!」

「はあ?」

「名付けて《家事おみくじ》だ! 日常生活の基本的な用事である家事を、日々占うおみくじだ。名案だと思わないか?」


「確かに……。ネタも豊富だし、毎日行うから売れるかも!」


 どんどん溢れだしそうなアイデアの数々に彼女も声が高くなる。

 シュウはジェシーアンの少し赤くなったほっぺたを両手で挟み、

「ぶっ、こうすると本当に猿みたいだ。そうと決まれば、お前あとで仕事部屋に来い! ネタをまとめるぞ!」

 シュウは軽々とベッドから降りて、そのまま、たかたかと歩いて仕事部屋へと戻っていった。


 残されたジェシーアンは、ベッドの上でドキドキする胸をおさえるために、その胸の前でぎゅうと手を握り暫く動けない。


「びっくりしたな、もう……」



 それからジェシーアンは毎日のようにシュウの仕事部屋へと足を運び、お互いに意見を出し合い、より完成度の高いものに仕上げる為に徹夜で議論することもあった。

 家事については何も出来ないシュウよりもジェシーアンの方が詳しい。まずは想定される家事全般を一通り書き出してみてから、縁起の良い順番をふってネタを考える。

 ジェシーアンのアイデア力と、シュウの冴え渡る頭脳より導き出される知識と技術力。そのすべてを出し尽くして商品開発に当たった。

 そしてある日、周りにネタを書きなぐった紙をそこら中に散りばめながら、いつのまにか疲れてベッドで二人とも寝てしまう。


 ジェシーアンが朝、目を覚まし薄目を開けると横で気持ちよさそうにスヤスヤと寝ているシュウがいて、驚きのあまり飛び起きてしまった。

 そしてドキドキしながら目を下にやると、彼の端正な顔と短い金髪が輝き、その顔から目を離すことができない。


 相変わらず綺麗な顔だなあ。睫毛なっがい!

 彼を昔から知っているような気がするのは、何故だろう?


 前にも彼の寝顔を見ていたデジャブを感じさせたのだ。

 そして、その長くスラっとした細い手を見た時に思わず

「大丈夫よ。傍にいるから……」

 と意味不明なことを思わず口走ってしまった。


 その時、シュウはゆっくりとその薄茶色の目を開け、冷たい声で

「それはどうも」

 そう言ったきり、すぐにジェシーアンにくるりと背中を向けて、そのまま再び眠りについたのだった。



 斯くして二人で考えた《家事おみくじ》はついに完成し、異例の大ヒット商品となった。

 生産が需要に追い付かず、大陸中で品薄状態が続き、シュウはその管理をすべてスピガに任せて、どうゆうわけか自分は一切ビジネスに関与しなくなったのだ。


「シュウ、凄いぞ、今月の売上! これなら暫く仕事しなくても十分やっていけそうだ!」

 スピガは売上を計算して、テーブルの上で金を勘定し、そのすべてを巾着に入れた後、暖炉の上に飾ってある絵の裏側に隠された金庫の中にしまい込んだ。



 ある日、シュウが二階の居間の窓から外を見ると、ジェシーアンは相変わらず畑を耕していた。根菜類は芽が伸びてきたので、そろそろ間引きをしなくてはならない。原野から鍬一つであそこまで短期間で整地したのだ。


「凄まじい筋肉女だな……」

「何か言ったかシュウ?」


 スピガはそう言いながら、お茶を淹れてテーブルに座っているユイナにもカップを差し出し、窓辺にじっと佇んでいるシュウに尋ねた。

「もう一度聞くが、この間の話だけど進めていいんだな?」

「この間の話?」

 ユイナはスピガに対する警戒心からか、二人の話に興味を示した。


「いやシュウがね。術師は何処で修行するのか聞いてくるから教えてあげたんだ。ここよりもさらに北に進んだ、選ばれた者しか足を踏み入れることの許されない、幻島ダズリンドだって」


「ダズリンド……?」

「そう凍てつく北の地にもかかわらず、一年中温暖な気候で芳香に満ち溢れた島。シュウのあの力があれば、術師の王にもなれると俺は本気で思っている」


 ユイナは驚いていきなり立ち上がったため、お茶がカップからこぼれた。

「兄様! 何を考えているの? ようやく指輪は手に入れたのに。この人の話なんか聞いては駄目よ!」

「酷い言われようだな」

「術師の王って何よ? 兄様がカルオロンの皇帝になることが私たちの長年の宿願でしょう? 術師の王になってどうするのよ!」

 シュウは窓辺からテーブルに向かい、ユイナの肩に手をそっと置いて椅子に座らせ、自らもテーブルの椅子に座った。

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