第33話 手漕ぎ舟の舟夫
外套を纏っていても、身を切られるような冷たい北風が容赦なく吹き付け、山脈育ちのジェシーアンは慣れない環境にくしゃみを連発していた。
寒い! 寒いんですけど! 二人ともよく平気な顔していられるわ。
よく見ると、シュウとユイナはピッタリ身体を寄せ合うようにして、寒さから身を守っている。
どうゆう訳か、先程からずっとそんな二人を見ているとジェシーアンは胸がちくりちくりと、何かで刺されているように痛みだした。
氷河による浸食作用によって形成される地形をくねくねとスピガはさらに馬を進ませる。もう辺りに人影はなく、彼らの進んでいる世界が薄明の中にどんどん吸い込まれていくと、ある海岸の小さな入り江に出た。
その先には一人の真っ黒い外套に身を包んだ人物がじっと海を眺めながら立ちつくしている。
スピガは馬から降りて、その人物の方へと歩いて向かうと、その人物は後ろを振り返りシュウ達の方をじっと見つめたあと、小さなこもった声で言った。
「時間通りだな。一人だって聞いていたけど?」
「予定が変わって二人増えたんだ。女の子達も乗せてくれ」
ジェシーアンはその人物の外套の下には顔がなく、目だけがギロッと黄色く光っていることに気付いた。
こいつも術師か……。
スピガは馬を近くの木に括り付け、またすぐに戻ってきて、シュウに向かって忠告した。
「それじゃ健闘を祈るよ、シュウ。俺の師匠クーは天の邪鬼で気難しい性格だからな」
何じゃそりゃ? いい所ない奴じゃないの。
本当にもう、どいつもこいつも気持ち悪いったらありゃしないわ!!
そんな事をジェシーアンが考えている間に、シュウはスピガに何も告げずさっさと用意されていた木造の手漕ぎ舟に軽々と乗り込んでいる。
ジェシーアンはユイナを介助しながら舟に乗ろうとした時、スピガはユイナにこそっと耳打ちしてきた。
「五年後、美しく輝いている我が妻に会えるの、楽しみにしているよ」
彼女は驚き怖れて、ジェシーアンに捕まっている手が小刻みに震えはじめた。
「あんたこそ、私が苦労して作った畑を潰したりしたら、灰色蜥蜴の尻尾を切って畑に埋めてやるから覚悟しなさいよ」
ジェシーアンは横で震えているユイナが気の毒で思わずスピガに言い返してしまった。
「お前もその減らず口で、くれぐれもクーを怒らすなよ。あいつは容赦がない」
彼女はベェーと舌を出すポーズでスピガに嫌悪感をあらわにすると、彼も後ろであっかんべーをしていた。
シュウはユイナを自分の横に座らせ、その向かい合わせにジェシーアンは座り、術師の舟夫は大海原へとゆっくり舟を漕ぎ出した。
入り江を抜けて、無限に広がる真っ暗闇の中を舟はひたすら突き進む。
陸よりもさらに海上の寒さは厳しさを増し、ジェシーアンはくしゃみ連発だけでなく鼻水も止まらなくなってきた。
そればかりか、目の前で絶えず身体を寄せ合いながら暖をとっているこの兄妹を見ていると、ちくりちくりと胸を刺すような痛みを感じるのだ。
シュウはチロッと一瞬こちらを向いたが、明らかに汚いなあというような顔をしてまたユイナの方に目を向けた。
おいっ!!
寒くてさっきからくしゃみ連発しているのに、大丈夫? とか、少しは気遣う事出来ないの?
あなた達はいいわよ。二人で抱き合って温めているのだから。
早く到着しないかなあ? 寒さで凍え死にそうだわ。
ジェシーアンが後ろの舟夫を興味本位でみて見ると、その手は手自体が櫂になっており、両手をひたすら漕いで舟は推進力を得ていた。
「ねえ舟夫、その手で漕いでいるの。予備というか、私の分はないのかしら?」
「櫂のことか、何で?」
「早く到着したいからに決まっているじゃない」
舟夫はしばらく漕ぐのをやめて考え込んでしまったが、突然の申出に得をすると思ったのか、もぞもぞと自身の黒い外套の中に櫂になっている手を入れ、外套の中から二本の櫂を出してきた。
こいつ自体が手漕ぎ舟なのか? だから顔や身体がない訳ね。
ジェシーアンは受け取った櫂の一端の平らな部分を海水に入れて、舟夫と一緒に漕ぎだした。
シュウはまたもや予想外の展開と、鼻水を垂らしながら必死で櫂を漕ぐジェシーアンの様子に、肩を震わせてクククと必死に笑いをこらえている。
漕ぐことで身体もポカポカと暖まって、さらに彼女の推進力も加算され、舟は倍のスピードで闇夜を突き進む。
やがて夜が明けて、次第に空が明るくなってきた。
明るくなるにつれて海上には、冷たい空気が海面上に流出して蒸気霧が発生しているのだが、シュウが目を凝らしてよく見るとその先に陸地が見える。
「あれが幻島ダズリンドだ」
舟夫がこもった声でそう言う頃には、シュウは外套のフードを脱いで、その切れ長な目で陸地を見ていた。
先程までは凍てつく寒さが身に沁みていたのだが、陸地が近づくにつれ大陸の最北端よりも北にあるにもかかわらず、春のような温暖な気候に包まれる。
すぐに真っ白い砂浜が見えてきて、舟夫は櫂で漕ぐのをやめ、立ち上がった。
気が付くと、ジェシーアンの手には握っていたはずの櫂がいつの間にか消えており、舟はざざあぁぁっと真っ白い砂浜に乗り上げた。
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