第28話 人として強くなる

「勿論だとも。バミルゴの民がどんな生活をし、何を信仰し、兵の数やアルギナの動向。そしてそのアルギナがひた隠している秘密。全てが金になる」

 ペンダリオンは暫くヒロの顔をじっと眺め、そしてかすかに微笑した。

 ヒロは相変わらず緊張で顔を強張らせて下を向いている。


 もしかするとアルギナが隠している秘密かもしれない彼女。

 その情報を金で売れと言うのか?

 あの二人で過ごした僅かな時間は、今の自分を支える尊いものだったというのに。

 しかも隣に座っているカイはその情報が売れることに興味を示している。カイやテルウが彼らに話したらもう終わりだ。

 その情報が次から次へと流れていってしまい、彼女自体が暴かれる事に繋がる可能性だってあるだろう。あの塔に他国の兵士たちが踏み込むことを想像するだけでも背筋が寒くなってくる。


 ヒロは顔を上げようともしなかったが、

「だったらその情報は他に売る。他にも情報を欲しがっている人がいるのでしょう? 俺たちを危険な仕事に従事させるような人達は信用できないから」

 カイはペンダリオンにくすっと笑いながら告げた。


 その時のペンダリオンの呆気に取られたような顔を見たロイは思わずぷっと吹き出してしまった。しかしすぐに隣の視線を感じて、あたかも咳払いをしているかのように装った。


「じゃあ聞くがカイ君、薬草は売れたかな?」


「ああ、完売だ」

「その金を持って、君たちはこれからどうするのかな? 新しい商売でもはじめる? まだ十二歳なのに? 子どもが大人から信用を得て商売するなんて不可能ではないが相当の努力が必要だし、使えばあっという間に金はなくなる」


「さっきから何が言いたいんだ?」

「単刀直入に言おう。この仕事を手伝ってほしい。君たちの能力は興味深いし、何より薬草の知識も豊富だ。つまり本気で誘っている」


「危険に晒したくせに!!」

「アルギナの行動が予測できなかったのは悪かったと思っているよ。君たちが信じてくれるまでバミルゴの情報も話さなくていい。信じられなければいつでも他の連中に売ればいいじゃないか」


 ペンダリオンは本当なのか嘘なのか、詫びるような表情を見せてカイに言った。

 ヒロは急な申し出にあらゆる思考を張り巡らせる。

 彼女の秘密は絶対にひた隠したい。しかしこの男が言う事もたしかに一理ある。

 薬草を売り上げた金は手に入れたが、次の仕事へとどうやって繋げていくかまでは考えが及ばなかった。これから三人の生活費を稼ぐ手段も見つからないまま、また野宿での生活が待っているだけだ。


「俺は構わないよ。その代わり危険な事だけはしたくない。もうあんな辛い思いをするのは御免だ」

 隣にいるカイはそんなヒロの胸の内を察し、ぼそぼそと小声で囁いた。


「一つだけ質問させて欲しい。手伝ったら俺はもっと強くなれる?」

 そんなヒロの質問に、普段の思考がまったく読めない表情から珍しくペンダリオンは急に真顔になった。


「それは技術的に? それとも精神的に?」


 ヒロは何も言い返せなかった。


「私が考える強い人というのは、自分が何で弱いかを理解して受け入れることが出来る人だな」



「条件がある。俺たちは絶対に三人離れない。それと危険な仕事や、人殺しなんてもってのほかだ」

 いつもの口から出まかせではなく、それが彼の心からの言葉に聞こえたヒロは覚悟を決め、真剣な眼差しで言った。


「そんなこと子どもである君たちにさせる訳ないだろう。じゃあロイ、後はよろしく」

 そう言い、先程の真面目な顔とは違い、ペンダリオンは軽く笑みを浮かべながら席を立ってどこかへ行ってしまった。


 自分が指摘したときは、世間では大人も子どもも同等だって言ったくせに、よくもまあそんなこと得意満面で答えますね、とロイは心の中で思っていた。


「口ではああ言っていたけど、ずっとバミルゴ近くで待機していたんだよ。それにあの人は十八歳でこの仕事をはじめて十二年かけてここまで組織を大きくしたんだ。だから仕事の辛さは人一倍よく分かっている。それと弟君はまだ本調子じゃないみたいだね。随分前から寝ているよ」


 すっかり忘れていたが、テルウは食事をしながらテーブルに突っ伏して寝ていた。ヒロとカイはテルウを心配して椅子から立ち上がり彼の傍へと駆け寄った。ふと後ろを振り返ると大勢の頭巾の男たちが遠巻きに様子を窺っている。


「おーい、新入りだ。弟君は最年少の十歳だぞ!」

 ロイが伝えると、男たちが大喜びで子どもたちの周りにどんどん集まってきた。テルウはその声で目を覚まし、何が起こったのかまるで理解できず、ぼうっとなっている。


「すごいなあお前たち。こんな子どもなのに、この仕事を手伝わせて貰えるなんて!」

「すぐに服も用意しないと!!」


 頭巾の男たちは見かけによらず、みな優しくて人懐っこく、話を終え食べ始める子どもたちともすぐに打ち解けた。

 聞けば、歳は十代、二十代で、その殆どが彼らと同じように親が亡くなったり、行方不明になったりした、行き場のない男たちであった。


 食事を終えて子どもたちは三人分の簡易ベッドが置いてある部屋へと戻り、本調子じゃないテルウは横になるだけでまた寝てしまう。


「ごめんね。カイはこの仕事したくなかったよね」

 貰った本を古びた椅子に座りながら読んでいるカイにヒロは申し訳なさそうに言った。


「いや、そんなことないよ。むしろ挑戦してみたい仕事だった。父さん達の情報も何か得られるかもしれないし。それよりも彼女のことだけど、何か秘密のある子だとは思ったけど大丈夫?」


「もし、彼女のことをアルギナが隠しておきたい秘密だったとしても、いつか必ず迎えに行くって約束したんだ。もしもたった一人で戦っているとしたら、尚更早く迎えに行かないと。二人で過ごした時間は僅かな間だけだったけど、彼女から貰った力が今の俺を支えていることは確かだ」

 ヒロはぎゅっとその青い瞳を閉じて、苦しそうにか細い声を出した。

 彼がそんな切ない眼差しを向けて立っている姿を、カイは幼い頃より見たことがなかった。


「ヒロ、気付いていたんだね。実は彼女に言った事があるんだ。いつでも君たちの味方だって。そうしたら寂しそうにありがとうって。たぶん秘密を隠してまでお前の前では一人の女の子でいたかったんだと思うよ」


 そう多分、あの翠色の瞳に重大な秘密を隠して、嬉しそうに微笑んでいた。

 十年間も塔の中で人と関わらずに生活していた彼女にとって、自分たちと過ごした日々はきっと幸せだったに違いない。


「バミルゴの情報は彼女の事を伏せて当たり障りのない情報だけ伝えればいい。テルウが起きたら彼にも協力してもらって。さっきも言ったけど俺はいつでも君たちの味方だよ」

 カイは茶色の優しい目を彼に向けて、微笑みを浮かべて言った。


「ありがとう。カイにいつか好きな人ができたら俺も絶対に味方になる」


「そういうことまったく興味ないから、気持ちだけありがたく受け取っとく。さあ明日から新しい仕事だよ」

 また本に目を落とし、カイは新しいページをめくる。


「そうだね。新しい仕事だ、忙しくなるね」


 二人が見上げる夜空には、水平線の近くに月があるため赤く色づき幻想的に輝いている。ヒロは遠く南の空で同じようにこの月を眺めているかもしれない、彼女の事を思い浮かべた。少しでも前に進み、掴めるものはすべて掴み取り、あの時に交わした約束を果たせる日が一日でも早く訪れるようにと願った。





 屋敷の一室でペンダリオンは酒をグラスに注いでいたが、ふと考え事をしていたため珍しく酒をグラスから溢れさせてしまった。


「何で弱いかを理解して受け入れることが出来る人か……」


 若くしてこの仕事をはじめたのだって結局は弱い自分と向き合うためだった。

 バミルゴやカルオロンの情報なんてものは、単なる口実にすぎない。特段欲しくもない情報だが、他に欲しいという人がいるから金に換えているだけだ。


 しかし十二年間も情報屋稼業をしながら大陸中を探し続けているのに、いまだに見つけられていない。

 ペンダリオンは苛立ちから、なみなみと酒を注いだグラスを扉に向けて思い切り投げつけた。すると、グラスは割れて酒の染みが扉についてしまった。


「一刻も早く見つけ出さないと、私はいつまで経っても弱いままだ」


 その日は酒瓶から中身をラッパ飲みして、ペンダリオンは一気に酒を胃の中に流し込んだ。

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