第24話 不幸な姫君
次の日の朝、三人はバミルゴを旅立つ。
塔の扉の前でシキは一人ひとりに挨拶をした。
「本、ありがとう。大切に読むよ」
「また本の話ができるのを楽しみにしているわ。カイ」
「楽しかったよ。たくさん遊べて。食事も美味しかったし」
「私も楽しかったわ。テルウ」
二人はヒロを見ながらどんな挨拶をするのかと思っていたのだが、
「じゃあね。また」
「ええ。またヒロ」
思ったより普通の挨拶で二人は拍子抜けしてしまった。
その後三人は抜け穴へと向かったのだが、リヴァが追いかけてきて、三人に感謝の意を伝えた。
「本当にありがとう。あの方には辛い思い出しかなくて……。君たちにどれだけ救われたことか」
ヒロはふっと俯き加減に笑いながらリヴァに言った。
「哀しみの分だけ幸せがあるから……」
そんなヒロの言葉に、リヴァは思い出したくもない過去へと一気に引き戻された。
(大丈夫だ。お前は何も悪くない。哀しみの分だけ幸せがあるから)
死にかけていた自分を助け、導いてくれた人。
リヴァはその言葉を誰に聞いたのか尋ねようとしたのだが、もうすでに三人の姿は消えていた。
後ろを振り返り扉の方に目をやると、塔の中に入っていく、彼女の哀しい小さな後姿だけが見える。
彼女は、はじめて出会った時から、笑いもしなければ泣きもしない。
もうすでにそんな感情すら何処かに置いてきてしまったのか、泣いたところで何も変わらないと甘んじて受けいれているのか。
リヴァはそんな哀しい後姿を見るたびに、何度しっかりと抱きしめてあげたいと思った事であろう。
慰めるにはそれが多分一番簡単で、手っ取り早い方法だ。
しかしその一線を越えてしまったら、もしかするともう歯止めがきかなくなってしまいそうで躊躇してしまう。
だから結局このまま、傍で彼女を見守るしかないのだ。
リヴァは自分にそう言い聞かせ塔へと戻っていった。
「はあ~重い! カイ重いよう。薬草よりだいぶ重くなっている」
「うるさいなあ! 黙って運べよ。ヒロは黙って歩いているぞ」
「それはあの子と別れて、落ち込んでいるからでしょう……」
子どもたちはバミルゴから、緑広がるなだらかな丘陵地帯の街道をフォスタへと向かって歩いている。
シキと別れてから彼らは朝まで繰り広げられていた、祭りの興奮冷めやらぬバミルゴの街中を、人目を避けたった一つの門へと向かった。
人々は酔って路上で寝ていたり、楽しく笑っていたり、通常のあの不気味な雰囲気とは打って変わって和やかな雰囲気だ。
きっとこれが本来の国民の姿なのであろう。
年に一度、祭りの日だけは兵士も僧侶も国民も平等に恐怖心から解放されて祭りを楽しむ。アルギナに従っているフリをしなくて済むのだ。
門まで辿り着いた時、兵士が数名立っており、彼らはここからどのように突破しようか考えを巡らせる。
カイが荷物をテルウに託し、なにくわぬ顔をして門兵に近寄る。
「大変だ。すぐそこで喧嘩が始まっている。ケガ人が多数出ているから、人を呼んで来いって大人に言われて!」
兵士たちは血相を変え、門の警備を放棄して走り出した。
神聖な祭りの日に事件の発生したことが、アルギナの耳にでも入ったら取り返しのつかない事になる。
こうして祭りだったことが幸いし、三人はバミルゴからの脱出に成功したのだった。
カイがシキから貰った沢山の本を、薬草を入れてきた袋に詰め、三人は背負って歩いている。テルウは荷物が重いことに文句を言い続けているが、ヒロは黙ってただひたすら先頭を歩き続けていた。
あの時……、
彼女に手をとられて、長い廊下を走り、先を走る彼女の銀色の髪が揺れていた時。
その繋がれた手を握りしめていた彼女の手は思った以上に力が強く、年上のヒロですら体が持っていかれる程だった。
いや、他の場面でもぎゅっと握りしめる時の力の入れ方がセラとはまったく違っていたのだ。
何故、そう思ったのか。
それはちょうど彼らの身近に似たような対象者がいたからだ。
山脈にいた頃、ジェシーアンは彼らの誰よりも力が強く、あのダリルモアでさえ彼女の能力を高く評価していた。そんな彼女と似たような力を持っていたシキ。
あの白くて細い手は一体何と戦っているのだろう?
(あの方には辛い思い出しかなくて)
リヴァの言っていた言葉が頭をよぎる。
翠色の瞳の奥に、強靭な意志と揺るぎない信念を隠して微笑みを浮かべていたのだろうか?
いつかあの塔から救い出してあげたい。
しかしこんな何者でもない自分に出来ることは、今は何一つない。
その時が来るまでに、もっと強くなって、自信を持って迎えに行けるように……。
ヒロはカイが貰った本の入った荷物を担ぎながら、決して後ろを振り返らず、その青い瞳はただ真っすぐ前を向いていた。
「薬屋がいなくなった?」
アルギナは祭りの御馳走が美味しく、ついつい食べすぎて、どてっとその大柄な肉体を豪華な長椅子に横たわらせていた。相変わらず傍には少年たちを侍らせ扇で仰がせている。
「貸していた民家も、もぬけの殻です。監視はしていたのですが」
神官の男はアルギナの怒りを買うのではないかと、内心冷や冷やしていた。
「あの子もいないの?」
「はい。アルギナ様お気に入りのあの子もいなくなりました」
「祭りに便乗して逃げ出したのか……」
お腹が重くて起き上がることのままならないアルギナは、持っている扇をハタハタと上下させて神官の男にこちらに来いという仕草をした。
こうなると碌な事にならないので、男は覚悟を決めてアルギナの近くへと寄り跪く。
「子どもだからそれほど遠くには逃げていないはず。兄二人は殺しても構わないから、あの子だけは無傷でここへ連れてこい。お前の処遇はそれからだ」
アルギナは扇を顔から外してにかっと笑う。
その笑った歯にはお歯黒がきれいに施されており、そんな姿を見た神官の男は全身からすうっと血の気が引いていく。
「必ずや、ご期待に沿えるようあの子を連れ戻します」
そう言い残し、神官はアルギナのもとから姿を消した。
「絶対手に入れてやる。愛しい子……」
そんなアルギナのもとに一人の男が現れこちらに近づいてきた。
その男は鋭い目つきをしたバミルゴの兵士で、アルギナの傍に跪いたあとそっと耳元で何かを囁いた。
「その話はまことか?」
「ええ、恐らく。見かけたものがおりまして」
アルギナは暫く黙って、扇で口を隠しながら何かを考えていたが、考えが纏まり、その男に扇越しに伝えた。
「直接本人に聞くしかなかろう。予定変更だ、腕の立つものを早急に集めろ。すぐに唐車で向かうぞ」
神官数人の手を借りてようやく立ち上がったアルギナは唐車に乗り込んで宮殿を後にした。
塔の大広間の書庫には中心に小さなテーブルと、赤いファブリックのシェーズロングのソファが置かれている。
そのソファに横になりながら、またいつものようにシキは暇つぶしに本を読んでいた。
やがて階下で大きな物音がして、どかどかと何者かが大勢で階段を上がる音が聞こえる。
彼らはノックもせずにいきなり扉を開けて、シキの周りを取り囲んだ。
彼らに遅れる事約五分後、はあはあと息を切らしてアルギナが書庫へとやってくる。
シキの前に辿り着いても、息があがって暫く話せないようだが、ようやく落ち着いてきたのか、扇を広げてまたいつものように口を覆いながら尋ねた。
「姫さまに伺いたいことがございます」
「シキ!」
騒ぎを聞きつけリヴァが書庫に駆け込んで来たが、
「その男を拘束せよ!」
アルギナが兵士たちに命令したため、兵士たちはすぐさまリヴァの腕を拘束して跪かせた。
「その呼び方いい加減やめてくれないかしら? 十年間もこんなところに閉じ込め、都合のいい時だけ利用して、よく言うわ」
シキはアルギナの方を見向きもしないで、本に目をやっていた。
「……それは自身が一番よくご存じのはず。ところで、ここに最近綺麗な男の子たちが来ませんでしたか? 一人は頭の良さそうな子、一人は青い瞳の子、最後はこの世のものとは思えない美しい子」
「知らないわ。何の事かしら?」
アルギナは扇から覗かせているその蛇のような目を彼女に向ける。
「この私を、最後まで騙し抜けるとお思いか? 実際目撃者がいるのですよ。この塔の秘密を知られたからには生きて帰すわけにはまいりませんからね。残念ながらあの子も含めて……」
ようやく先程からうるさく喚いている方にその翠色の目を向けた時、アルギナは勝ち誇った顔で言った。
「私の影を放ちました。姫さまが次に目を覚ました時、三人の美しい亡骸を見ることになるでしょう」
持っていた本をシキは思わず落として、アルギナに飛びかかろうとソファの上に立ち上がった。
「お前よくも!」
「ほらやっぱり当たった。その顔が証拠ですよ! 暴れ出す前にすぐに薬で眠らせろ。さもないとここにいる全員この姫君に殺されるぞ!」
「やめろ、彼女から離れろ!」
リヴァは拘束から逃れ彼女の方に向かおうとするが、押さえつけられそれもままならず、怒りで髪の毛が逆立っているように見える彼女は、すぐさま周りを取り囲んでいた兵士たちに薬を嗅がされ、彼らの腕の中に倒れ込んだ。
彼女は薬が効いて眠りにつく最後の瞬間まで、その目を見開いてアルギナを睨んでいた。
「姫さま、あなたのお立場をよく考えなさい。そうしないとまた大事なものを失いますよ」
「シキ! シキ!」
叫び続けるリヴァの方にアルギナはどかどかと歩いていき、その扇を閉じたあと、扇で跪いている彼の顎を上に向かせ、
「シキ様だろう。身分をわきまえろ、無礼者! お前は黙って姫さまの世話をしていればいいんだ。さもないとお前のことを血眼になって探している連中に引き渡すぞ」
そしてリヴァに向かって、お歯黒が施された歯を見せてにやりと微笑んだ。
リヴァはアルギナに何も言い返せず、ただだまって強い眼差しを向けるしかなかった。
「可哀想な三人が私の元に帰ってきたら、あの子だけは傍に置いて思う存分愛でよう。そうだ! 素敵な花で飾ってあげて」
ぐふぐふと何かを喉に詰まらせたような笑い声をあげたアルギナと、大勢の兵士たちは書庫から出ていき、塔から宮殿へと帰っていった。
リヴァは薬を嗅がされ、ソファに寝かされているシキを抱き上げると、そのまま最上階にある寝室に彼女を運んだ。
ベッドに運び終えた時、睫毛に薄っすらと涙がついているのを見つける。
あの少年の事を思って泣いているのか、それとも自分の運命を呪って泣いているのか。
いずれにせよこの国で一番尊い地位にいる彼女が不幸である事には違いない。リヴァはそっとその涙を指で拭いてあげた。
今はただ、彼らの運を信じるしかない。
もしあの少年が本気で彼女と共にありたいと願うなら、なおさらだ。
リヴァは眠っている彼女の頬に手を当てて、もう一度あの美しい笑顔が見えるよう、彼らの無事を心から祈った。
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