第23話 小さな約束

 それから彼らは毎日、午前中に薬草を売って午後は塔にやってきて泊まるようになった。

 そして朝は夜明けとともに人々が起きだす前に塔から帰る。

 カイは読書に勤しみ、他の三人は遊んだり、話をしたりして楽しい時間を過ごした。

 ヒロが鳥の鳴き声のような変わった口笛を吹くと、面白いようにたくさんの鳥が集まってきて、シキはこんなの初めて見たと顔を輝かせた。



 リヴァは彼らの子どもらしい楽しそうな笑い声を聞きながら、食事を作り、身の回りの世話をして、時間が空くと剣の手入れをしている。シキはテルウと同じ十歳で、生まれてからずっとこの塔に暮らしていると話していた。

 両親の事は何も言っていなかったが、リヴァは彼女が六歳の時に、この塔に来てから従者になり、二人きりで住んでいるようだ。

 意外にも彼らと同じように、人と関わらずに生活していたのだった。



 ある日の午後、カイが本を読んでいると、

「興味のある本は見つかったかしら?」

 シキが気配を感じさせずにカイの背後に立っていた。


「ああ、お陰様で勉強になっているよ。それにしても俺はまだまだ知識量で君の足元にも及ばないなあ……。いや知識量だけじゃないか?」


「何が言いたいのかしら?」彼女の翠色の瞳がカイを探るように見つめながらたずねた。


 カイは読んでいた本を閉じて、

「俺とヒロは物心つくか、つかない頃から一緒にいる。あいつは見ればわかると思うが、純真無垢で汚れを知らない。いつも真っすぐに生きている。君の事は話すつもりないから安心して。それに君だって彼の前では一人の女の子でありたいだろう? 大丈夫、俺はいつでも君たちの味方だよ」と優しく微笑んで言った。


 彼女が恐らく普通の女の子ではない事にカイは偶然にも気付いてしまった。

 何か重大な秘密を抱えていて二人で塔に住んでいる。

 なんらかの理由があると思うが、それをヒロに話したところで何も変わらないだろう。

 自分たちは期間限定でこの国にいるだけだからだ。それを当の本人達が一番理解しているはず。間もなくやってくる別れと向き合わなければならないということを。

 ならば残り少ない間だけは、普通の子どもたちのままでいさせてあげたいと思ったのだ。


「ありがとうカイ……」シキは寂しそうにカイに礼を言った。

「あっそうだ! ちょっと教えて欲しいところがあるんだけど」

 カイはそんな彼女に手に持っている本のわからない箇所について質問し、彼女は快く応じてあれこれ説明していた。


「やっぱり、カイがまたシキと一緒にいる」


 気が気でないヒロは扉の外から二人の様子を見ながらそわそわと落ち着きがない。

「ただ本の話をしているだけだと思うけど、気にしすぎだよ。今日は野原で遊ぼうって昨日、彼女と約束したんだろう?」

 やがて、二人に気付いた彼女はカイから離れこちらに向かってきた。

「今日は野原に行こうって昨日約束したわ」

 シキは珍しく自分からヒロの手をとって、走りながら二人で階段を降りだした。

 テルウは彼女が昨日と少し違ってヒロの手をとった事に驚き、二人にはついて行かずにカイがいる本棚へと向かった。


「あれ、お前は遊びに行かないのか?」

「今日は、二人きりにしてあげようと思って」

「へえ、優しいんだな」

「もうすぐ一か月だね……」

「そうだな。お前がアルギナの所で扇をあおぎ続けない限り、あの二人は一緒にいる事は出来ないからな」

 テルウはぎゃっと叫び、必死に首を横に振っている。

「冗談だよ。ヒロだってわかっているよ。もうすぐお別れだって事を」

「せっかく仲良くなれたのに、なんだか哀しいな……」


 二人は扉に続く長い廊下を、手を繋いで走っている。

 手を引き、先を走る彼女の銀色の髪が揺れて、あと少しで別れなくてはいけないかと思うと胸が締め付けられるように苦しくなってしまう。

 扉を開けて、思い切り走った二人はハアハア言いながら二人がはじめて出会った野原に寝転んだ。

 隣を見ると、透けるような白い肌の彼女が顔を赤くしながら横になって寝ている。それだけでヒロは胸がドキドキしはじめ、自分でも顔が赤くなっていくのがわかる。


「もうすぐ年に一度のお祭りがあるのよ」

「お祭り?」

「魂の光の日といって、ランタンを空に飛ばして願い事をすると叶うんだって。今までは見ているだけで願い事をしたいと思った事はなかったけど、今年は願い事したいなあ」

「そうだね。俺もしたい」


 いつの間にか二人は寝転びながら手を繋ぎ、その指を絡ませていた。

 ただ黙ってこの二人きりの時間を大切にして、お互いの心に刻み込んでいた。


 やがて約束の一か月があっという間にやってきた。

 偶然にも最後の日はあの「魂の光の日」だ。


 リヴァは最後にみんなで祭りに参加しようと言いはじめ、豪華な晩御飯と、一人ひとりにランタンを用意していた。

 彼は食堂の棚の奥から小さな瓶を取り出し、焼いた野ウサギのローストにその瓶のジャムをかけた。


「それは何?」

 シキが尋ねると

「北すもものジャムですよ。私が北にいた頃、手に入れた貴重品です。今日はあなたたちにとって特別な日ですからね」と皿を子どもたちの前に置く。


「こっ、これが北すもものジャム?」

「知っているのですか?」

「父さんから聞いたことがあって、貴重品だって」

「このジャムを食べた事がある人はごく限られた人ですよ。じゃあ君たちの父さんも北に行った事があるのでしょうね。さあ冷めないうちに召し上がってください」


 カイは意外にも父さんが話したジャムの事を、兵法を読み込むほど博識のシキですら知らなかったのに、この男が知っていたことに驚いた。

 もしかすると父さん達を探す上で、この北というのがなんらかの手掛かりになるのかもしれないと思い、パクリと肉を食べる。

 たしかに食材の味を絶妙に変化させる不思議なジャムであった。


 シキとヒロは食事のあいだも楽しそうに話をしていた。内容はごくありきたりの事だったが、明るく努めている二人を見ているのが辛くて、カイとテルウは終始無言で食事をしていた。

 きっと話が途切れてしまうと、大きな悲しみが彼らを襲うのであろう。あえてそういう間を作らないようにしているのが感じ取れるのだ。


 食事が終わり、それぞれ子どもたちはランタンを持って野原へと向かった。


 バミルゴは夕方になると早くにどこの店も閉まるのだが、この「魂の光の日」だけは夜の街に繰り出し、人々は朝まで祭りを楽しむ。そんな祭りの一番の楽しみがこのランタンで、願いを込めて空に飛ばすと、願いが叶うと信じられているのだ。

 リヴァはそれぞれのランタンに火を点けて子どもたちに渡してあげる。


 シキとヒロは手を繋ぎ、もう一つの手でランタンを持ち、野原の奥深くに二人で歩いていった。

 残されたほんの僅かな時間を過ごさせてあげたいと、カイとテルウは持っているランタンをその場で空へ飛ばし、リヴァは野原に消えていく二人をじっと見送った。


 二人はそれぞれ持っているランタンに願いを込めてゆっくりと手を離す。

 ランタンは熱の力を借りてふわふわと空に舞い上がり、頭上高くまで飛んで行った。

 その時、何万いやそれ以上の無数のランタンが二人の見上げる夜空に現われ、彼らのランタンもその中に加わった。

 国の人の願い事と彼らの願い事を乗せたランタンが、夜空の中を明るく照らす光となっている。その幻想的な風景はいまだかつて二人とも見たことがない美しいものであった。

 二人はそんな夜空を見上げ、明るく照らされているシキの顔を見ながらヒロが尋ねた。


「何をお願いしたの?」


「内緒……いつか話すわ。今話すと願いが叶わないような気がするから……」

「そう……じゃあいつか教えてね」

「いつか……」

 二人は明るく照れされたお互いの顔をしっかりと見つめた。


 彼女は繋いでいる手をギュウっと力強く握りしめたので、ヒロはシキに顔を近づけて、そっと耳打ちをした。


「いつか、俺達はまた会える。その時が来たら、大陸中捜して必ず君を見つけ出す。だからそれまで待っていて」

 その青い瞳は笑みを浮かべて彼女を見つめていた。

 シキもランタンの光を受け輝く翠の瞳をまっすぐに見つめ返す。

「ええ。必ず見つけ出して、待っているから」

 二人はしっかりと両手を握りしめて、お互いのおでことおでこをくっつけて約束を交わした。


 この時、十二歳と十歳の幼い二人の小さな約束は、空を飛んでいる無数のランタンと共に空へと放たれたのだった。

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