第22話 好き?

 次の日、シキは朝から野原でそわそわしながらヒロ達が来るのを待ち続けた。

 その健気な姿が何とも言えず可愛いらしくもあり、逆に可哀想でもあり、つられてリヴァもする必要ない野原の雑草を抜きながら、彼らが到着するのを同じように心待ちにしていた。彼女のあの輝くような笑顔をもう一度この目に焼き付けたかったからだ。


 やがて遠くの方から、がやがやと声がして元気な三人の男の子たちがやってくる。

 リヴァはその時の彼女の嬉しそうな横顔を一生忘れることはない。

 自分では残念ながら決して与えてあげることのできないものであり、あの少年に少し嫉妬したくもなりながら。


 ヒロは凄い勢いで彼女のもとに駆け寄り、昨日同様手を握りしめる。

 彼女もまた嬉しそうに彼の青い瞳を見つめ、二人はまるで世の中に自分達しかいないかのように、まったく周りが見えてなかった。


 後からきたカイとテルウはあっけにとられ、ぼうっとそんな二人の光景を見ていた。

 恋は盲目という言葉通り、紹介もされずに立ち尽くしている二人は、次にどんな行動をとったらよいかわからない。

 しかも近くにいる背の高い男は、その猫みたいな目をさらに吊り上げて二人を見ている。

 これはさすがにまずいのではないかと思いカイが口を開いた。


「ヒロ……。紹介してよその子」


 はっと二人の存在に気づいたヒロは繋いでいた手を急いで離して二人を紹介した。

「昨日話した俺の兄弟だよ。こっちは同い年のカイ。それから弟のテルウだ。俺達、血は繋がっていないけど、ずっと幼い時から一緒に暮らしているんだ」


 少女はたしかにヒロが言ったように、銀色の見たこともない髪色をしており、その翠色の瞳には強い意志が感じられる。


「ヒロが言った通り、本当に銀色の髪をしているんだ。よろしくねシキ」

 テルウはその美しい顔を彼女に向けて微笑み、彼女もまたテルウに微笑み返した。


 この美しい二人が向きあうと、まるで絵からぬけ出してきたかのようで、カイは思わずぷっと吹き出しそうになり、ヒロの方をチラッと見たのだが、彼はにこにこしながら二人を眺めていてあまり気にかけていない様子だった。

 いやむしろ彼女しか見ていなかったのかもしれない。


「私はシキよ。この塔にずっと住んでいるわ。彼はリヴァ。私の従者なの」

 リヴァはこの三人の事を、彼女に相応しい相手かどうかを見定めていた。

 両親がいなくなったと言っていたが、良識のある親に育てられたのであろう。

 どの子もきちんとした身なりをしており、礼儀正しく丁寧な言葉遣いで話していた。


「せっかく来てくれたのだからお茶でも淹れましょう。用意してきますからあとで食堂にいらしてください」

 そう言って従者は手についた土をパンパンと払い落し塔の中へと入っていった。


 カイは取り敢えず、彼に悪い印象を与えておらず、お茶に誘ってくれたことにホッと胸を撫でおろし、あらためて周囲を眺め回した。

「驚いたな、あの抜け穴がこんなところに繋がっているとは。まるで兵法の一文と同じだ」

 その一文をカイは読んだ。


「あさましきところとつながれる、何かのたよりかもしれねば、さる時は思ゐ切らばいりこむもよし」


「……それはネヴァタ兵法第二巻、伝承章の中にあった一文ね」

 シキがぽつりとハスキーな声で言った。


「君もあの本読んだの? しかも第二巻って。あれには第一巻があるって事?」

 カイは驚き、懐から兵法の本を取り出して彼女に見せた。

「ええ間違いないわ。同じだもの。これは古いけど。あれは全巻で三巻あるのよ。良かったらちょっと来て」


 彼女は野原から扉を開けて塔の中に入っていく。

 灰色の壁と同じ色をした長い石の廊下をぞろぞろと四人で歩き、廊下を抜けると二階へ通じる階段があり、彼らはただただ珍しそうに塔の内部を見回していた。

 階段を二階まで上がると、他にいくつもの扉のある部屋が確認でき、彼女は階段から一番近い部屋の扉を開けた。


「噓だろう!」


 それは大広間の床から天井まで、すべての壁一面を埋め尽くすほどの本棚であり、隙間なく並べられている書物の量は相当数あると思われる。

 フォスタに行く前に立ち寄った本屋なんて比較にならない規模で、感情をあまり表に出さないカイでさえ驚きのあまり声が裏返ってしまった。


「この本、すべて君のものなの? 君はこれ全部読んだの?」


「一応、私のものになるのかしら? もちろん全部は読んでいないけど。他にすることがなかったから。ちなみにネヴァタ兵法はこっちよ」

 シキは大広間の一番奥の棚まで、すたすたと歩き出し、カイ達も一緒についていった。

 本棚の前で彼女は一生懸命つま先立ちになって、棚の上に手に延ばし本を取ろうとするが、その時にバランスを崩して倒れそうになった。

「危ない!」

 カイは咄嗟に手を伸ばしてシキの腕をつかみ、彼女を自分の方に引き寄せたのだが、そのはずみで抱きしめてしまった。カイはひどく驚いた様子で、彼女の顔をじっと見ている。


「何?」

「いっ、いや別に……兵法の本はこれかな?」

 シキより背が高いカイは本棚に手を延ばし、彼女が手に取ろうとした本を取り出した。

「そうよ。それが一巻。同じ背表紙の本が二巻と三巻よ」

 カイは三巻纏めて手に取ったが、本ではなくどういう訳かシキの方へ目を向けていた。


 テルウはその時、ヒロが一瞬はっとしたような表情になり、ごくりと息を飲み込んでいるのがわかった。

 彼は明らかに動揺しており、若干落ち込んでいるようにも見える。

 カイは別に何の理由もなくあの行動に及んだと思われるのだが、今の彼には何を言っても無駄だろう。完全に勘違いをしており、テルウはそんなヒロの様子が面白くてふふんと鼻で笑った。


「本……好きなだけ読んだらいいわ。欲しい本があれば持って帰っていいわよ」

「えっ、君のものなのに、本当にいいの?」

 彼女の翠色の瞳は何かを探るように、カイの目の奥をじっと見つめた。


「本も本当に読みたいと思っている人に読んでもらいたいだろうし……。私みたいに暇つぶしで読んでいる人よりはね。そろそろお茶を飲みに食堂に行きましょう」

「俺はもう少しここで本を読んでから行くよ……」

 カイは兵法の本を手に持ち、彼女に伝えた。

「そう……じゃあ後でね」

 シキは、扉に手をかけてカイの方を振り向いてそういい残し、三人はリヴァのいる食堂へと向かった。



「それでは、いなくなった両親が育てていた高級な薬草を販売するために、この国に来たのですね。でもよくアルギナが許可を出しましたね。あの方は異国の民を信用していない」

 リヴァはお茶を淹れながら、ヒロとテルウの話を興味深く聞いていた。

「アルギナはテルウの事が凄く気に入って、傍に来てくれたら許可を出すって……」

「そう。いきなり抱きしめてきて!」

 テルウはその時の事を思い出し、ブルッと身震いをした。

 リヴァはテルウの顔を見ながら、自らが焼いたお菓子を彼らに差し出した。


 たしかにアルギナが興味を持ちそうな、目鼻立ちの整った少年だ。

 側にいつも侍らせている少年たちの一人に加えたいと思うのもむりもない。


「しかも、借りている民家に来るお客は不気味な笑顔で話しかけてくるから怖いし……。シキたちは全然違うのに」


「それは……」


 シキは寂し気に何かをいいたげな様子だったが、リヴァが彼女の気持ちを察して、

「それはアルギナが国民の心を操作しやすいからです。神官は偉大で、神は尊敬もしつつ同時に恐れてもいて、恐怖心を植えつけることで国民はよりアルギナに従うようになる。本心はどうであれ、彼らは従っているフリをすることで恩恵を受けることができる訳です。少なくとも宮殿の周りの城下町ではね」と持論を述べた


 カイは食堂の扉を開けてそんな彼らの話を聞いていた。

「ヒロ、そろそろ晩御飯の支度もあるから失礼しないと……」

 楽しい時間を過ごしてちっとも気が付かなかったが、カイがいうようにあたりは日が暮れて暗くなってきている。早くここを発たないと真っ暗闇に取り残されてしまう。

 名残惜しそうにシキに伝えようと思った時、リヴァが彼らにある提案をしてきたのだった。


「君たちどうかな? バミルゴは夜も早いし、食事をするのも一苦労だろう? 午前中に薬草を売ったら、一か月間午後はここに来て毎日泊って行かないか? 朝早くて申し訳ないけど、ここは湯殿もあるし、晩御飯も私が御馳走するよ」

「本当なの? リヴァ!」


 彼女は心から嬉しそう口に手を当てて喜んでいたが、テルウがボソッと呟いた。

「それは無理じゃない? カイとヒロは朝が弱いから」

 ところが、意外にもすんなりと、

「何の問題もないよ! なあ?」

 お互いに顔を見合わせて同意している。


「いいって言ってくれているわ!」

「よかったですね。これで毎日彼らと一緒に過ごせますよ」

 リヴァは喜んでいる彼女に温かい眼差しを向けているが、テルウは逆にしらっとした顔で、ヒロとカイを眺めていた。


 何だ。二人とも自分の利益のためならば、早起きも苦じゃないんだ。


 その日の夜は彼の提案通り、晩御飯をともにすることになったのだが、この従者は料理の腕も相当なもので、山脈で腕を振るっていたセラの料理にも引けを取らなかった。

 バミルゴは大陸の南側に位置しているため海も近い。リヴァは魚介をふんだんに使ったスープでもてなしてくれた。子どもたちははじめて食べる魚介類のスープに舌鼓を打った。


 そして彼らはフォスタでの事、その前に立ち寄った集落での事。山脈での家族の楽しい思い出をシキとリヴァに聞かせ、シキはどの話も目を輝かせて聞いていた。

 しかし彼らはペンダリオンの事だけは話さなかった。それはここに来る時の彼との約束の一つだったからだ。協力者として決して名を明かさないこと。それが最終的に自分達の身を守るためと彼が言ったからだった。


 三人の子どもたちは食事のあと、バミルゴへ着く前に立ち寄った宿屋よりも遥かに大きな、大理石で出来た浴槽に入っていた。


「それにしても凄いよね。こんな湯殿がある所に住んでいるなんて。従者もいるし、彼女一体何者なんだろう? ねえ二人ともいい加減仲直りしてよ」

 テルウは二人に話しかけるが、ヒロとカイは昼間の出来事が尾を引いているのか、微妙な距離感を保っている。


「ヒロが誤解しているからだろう? 昼間の事は不可抗力だ。それとも彼女が転んで怪我しても良かったのか?」

「わかっているよ、そんな事。ちょっと驚いただけだよ」

 ヒロは自分でも余裕がなくなっているのがわかり、恥ずかしそうにボソッと

「ごめんね。カイ」と素直に彼に謝った。


「別に気にしてないよ」

 こうして二人は少し照れくさそうに仲直りをしたのだが、テルウは柔和な微笑みを浮かべた。

「ヒロはあの子のことが好きなんだね」

「好き?」

「そう。そんなふうに余裕がなくなるってことは好きなんだよ」


 好き? この気持ちが?


 彼女のことはあの悪夢で差し伸べてくれた光のようなものだろう思っていた。この国にやって来たのも、この森に入ってきたのも、朽ちた扉を見つけたのも、たまたまの偶然が重なっただけだ。自分の感情なんて気にしたことなかったが、好きになるというのは、こんなにも苦しいものなのかと思いながらテルウに言った。


「知ったふうな口を利くんだな?」

「そういえばそうだね。ふふ」

 テルウは笑いながら天井を見上ると、一か所だけ小さなガラス窓が付いており、そこから見える星をジッと見つめていた。

 今はもう見る事の叶わない、眩いばかりのあの笑顔を思い浮かべながら……

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