第20話 夢か現か

 彼らが間借りしているのは、一部屋だけあるこぢんまりした民家で、長椅子とテーブルだけが備え付けてあった。


「大丈夫か? テルウ」

 アルギナはザネトウはじめ数種類の高額な薬草を30000ボンで購入し、カイは売り上げたお金をテーブルの上で一生懸命数えながらテルウに声をかけた。

「全然大丈夫じゃない……」


 アルギナに抱きしめられた事にショックを受けて、テルウは長椅子に横になって疲れに効く薬草を目元に当てている。

「それにしても、お前のその女みたいな顔が好みという奴もいるんだ」


 カイがしげしげとテルウの顔を見つめたので、視線を感じてテルウは薬草を目元からはずした。

 今まで気がつかなかったが、大きな瞳に長い睫毛。

 十歳とは思えない端正な顔立ちに、均整のとれた体格。

 十歳にしてこの美しさなら、将来は一体どんな大人になるのだろうか? 彼は男のカイから見ても完璧だ。


 カイが五歳の頃、ダリルモアがテルウを連れて山脈にやってきた。

 その後ろに隠れて恥ずかしそうにしている彼を見た時、最初は女の子かと思ったが、男の子だと聞いて、こんな子もいるのだと感じた時の事を思い出す。

 顔は女の子みたいでも、実際は周りをとてもよく見ていて、相手のちょっとした仕草で感情も見抜く優れた洞察力を持っており勘も鋭い。たまには拗ねて愚痴をこぼされたりもするが、それでもやっぱり憎めない弟だ。


「なっ、なんだよ。見つめてきて、気持ち悪いな……」

 カイは笑いながら細い彼の腰を摘まんだ。

「筋力は鍛えたか? 日々の鍛錬を欠かさないこと」

「だから、何度も言っているけど、筋力のないカイに言われたくないの!」


 薬草を売り上げたお金で、晩御飯はフォスタにあったようなお店で何か食べようとカイは提案した。

 子どもたちは明日からの販売に備えて腹ごしらえをしようと思ったのだが、陽が沈み、辺りが闇に包まれると、子どもたちの間借りしている民家の周りには人はおろか犬一匹見当たらない。

 どの民家も窓をぴしゃりと閉めているため、街は不気味な静寂に包まれている。

 食事に行くどころか、晩御飯も食べられなくなってしまい、仕方なく持っていた残り少ない木の実で空腹を満たすことにした。


「フォスタとはえらい違いだな」

 カイは木の実を口に含みながら、少しだけ開いた窓から誰もいない外の景色を眺めていた。

「怖いよこの国。国民もみんな変だし」

「まだここに来て一日目だし仕方ないさ。明日は薬草頑張って売ろうよ」

 ヒロはそう言ってはみたものの、テルウより自身が一番不安な気持ちを抱えていた。


 アルギナが言っていた「神」という言葉を聞いた時、なぜだか一瞬心がざわつき、何とも言えない不思議な感情が湧き出した。


 御簾の奥には一体何があるのだろうか?


 あの時、思わず御簾を上げたい衝動にかられたのをとりあえず理性が止めた。

 本当は飛び出して行って、アルギナがいう「神」をこの目で確かめようとした自分がいたのだ。

 御簾を上げて「神」を暴くなんてあまりにも荒唐無稽だ。

 そんな事をしていたら、今ごろ三人ともに此処にはいられなかったであろう。

 いやアルギナの話以前、この国に来てから何故だかずっと落ち着かないのだ。



 子どもたちはお腹も満たされないのと、明日から仕事だといって早々に寝床に入った。

 真夜中になり今宵は月も隠れ、借りている民家の中も真っ暗だった。


 ヒロはそんな中、急にパチッと目を大きく見開く。


 彼の青い瞳だけが真っ黒い世界のなかで、光を灯すようにキラリと輝いている。

 隣で寝ているカイとテルウの規則正しい安らかな寝息が聞こえるなか、ヒロは何かに導かれるように窓へと向かい、少しだけ開けた窓から外の様子を伺う。

 窓の外は川に流された時のあの悪夢のように真っ暗だが、その青い瞳が遠くの方を見つめたまま、なぜか他に逸らすことがどうしてもできない。


 やがて遠くから何かがやってくる音が聞こえる。


 それと同時に心臓が徐々に早くなり、その高鳴りが上へ上へとあがってきて口から飛び出しそうになるのを彼は両手で必死に抑える。

 その何かがどんどん近づいてきて彼の青い瞳に映し出された。


 それは真っ白なキャソックを着た神官らしき男たち二十人位が引く、一台の真っ黒な唐車であった。


 唐車の前と後ろには宮殿にあったような御簾が下りており、その中に何があるのかは窺い知れない。怪しげでありながら神々しいその唐車を一目見た瞬間、ヒロはアルギナの所で感じた不思議な感情が再び蘇るのを覚えた。いつの間にか、彼はその唐車に向かい手を伸ばし、心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っていた。


 唐車はやがて、ヒロが見つめる窓の前を足早に通り過ぎていった。

 心臓は徐々に落ち着きを取り戻したが、彼は力尽きたかのようにその場に倒れ込んでしまったのだ。




「もう、こんなところで寝ていたら駄目だろ!」

 カイに起こされヒロは目を覚まし、気が付くと蹲って窓辺で眠っていた。

 窓から入ってくる明るい陽射しに目が慣れず、思わず目を細めてしまう。


 昨夜の唐車、あれは夢だったのだろうか?


 夢か現かわからないまま、ヒロは立ち上がり、少しだけ開いている窓から外を見ると、すでに外は人で溢れかえっていた。

「これから食料を調達しに行ってくる。ヒロ達は薬草を売る準備していてね」

 カイは人で溢れている街中へと走っていく。

 彼が戻ってくる間に、薬草の販売に向けて、ヒロとテルウは部屋を掃除したり薬草を並べたりしていた。

 やがて大量の食糧を持って、カイが街中から帰ってきた。


「色んな事がわかったよ。この国では夜が早いから、朝早くから行動するらしい。あと国の徹底された管理体制のもとで、国内だけですべての物資を賄うんだって」

「それなら、俺たちの薬草は貴重なんだ」

「そう。それと……この国では神官が多くて、国民は神官たちに尊敬の念を抱いている。あとアルギナの言っていた神もね。畏怖される存在みたい」


 ヒロの心がまたざわつき出す。


 何なんだこの感情は?


 そんなことを思っている間にカイは買ってきた食材で朝ご飯を作り始めた。

 売っていたパンに干した肉を挟んだもので、もぐもぐしながらヒロがテーブルの上を見ると、一緒に小型の弓矢が置いてある。


「カイ、あれは何?」

「夜が早いから、食材を自分たちで調達する人も多いみたい。沢山売っていたよ」

「山での俺たちみたいに自給自足なんだ。じゃあヒロ、後でよろしく」

 テルウは口にパンを頬張りながらヒロの肩をポンと軽く叩いた。

「俺が行くの?」

「だって俺たちの中で一番、弓を引くのが上手でしょ」


 本音を言えば、心もざわつくしあまり出歩きたくなくて、さっさと一か月間が終わってくれればよいと思っていた。

 川に流された時の悪夢のように、唐車のおかしな夢も見たわけだし、何かとんでもないことをしでかしそうな自分自身にも、責任が持てなくなりそうだったからだ。


 その日は午前中だけ薬草を販売することになった。

 開店後、いきなり薬屋が現れ、しかも販売しているのが子どもであったことに、興味津々の街の人々からあれこれ聞かれるのが何かと面倒くさいと感じたためだ。

 あの不気味な笑顔で尋問されるのは気分のいいものではなく、テルウは怖がって奥の方に下がってしまった。

 しかもお客に紛れてアルギナの部下らしき神官がテルウのことを探していることもあって、彼はますます隠れてしまっている。


 そんなテルウに一緒に来て欲しいとはとても言えず、ヒロは仕方なく弓矢を持って、街中から郊外へ向かった。

 街中から離れるにつれ、民家も人影もまばらになり、木々の緑も広がってきた。

 注意深く見ていると人々にも変化が現れる。

 あの不気味な笑顔をしている人がほとんどいないのだ。フォスタにいた人々のように普通に会話をしている。


「あなた! わかっているとは思うけど気を付けないと!」

 急に子どもを背負った、若い女性に声をかけられた。


「何をですか?」

「この先には精霊の森があるよ。気を付けないと魂を抜かれてしまう。早く親御さんのもとに帰りなさいな」

 女性はヒロの腕を掴み、心配そうな顔をしていたが、背負っている子がぐずり出したので、「一刻も早く立ち去るんだよ。本当に死んじゃうよ」と言い残し泣いている子どもと一緒に去っていた。


 思った通り、あの不気味な笑顔ではなく違和感のない会話だ。

 そしてこの先には、足を踏み入れてはいけない森があるのだということもわかった。


 ヒロはその踏み入れてはいけない森の方を見る。

 彼のふわふわした髪を風がゆらし、まるで魔法にかけられて風が後押ししてくれるかのように、その森の中へ入っていった。


 弓矢を持っているのに、ここまで獲物は一匹も見つからず、鳥のさえずりさえも聞こえない。やはり、精霊の住む恐ろしい森なのだろうかと思っていると、この国を囲っているような高い壁が現れた。

 その壁は白ではなく黒色に近い薄気味悪い灰色の壁であった。


 すると遠くに小さな野ウサギを見つけ、彼はすぐさま弓矢を構えて放とうとするが、野ウサギは忽然と姿を消す。

 視界を遮るのもが何もないのに、何故消えたのかと不思議に思い、野ウサギのいた場所へと向かうと、地面に朽ち果てた小さな扉を見つけた。


 扉は野ウサギなら余裕で入れる位の小さい穴が開いていた。

 ヒロがその朽ち果てた扉を開けると、中には抜け穴が先へと繋がっており、向こう側から風が入ってきている。抜け穴は子どもくらいなら何とか入れそうな大きさであった。

 彼は穴に入り、這いつくばって先へと進んでいくが、穴の中は真っ暗でどこへつながっているのかもわからなかった。

 随分進むと、やがてその先に光が差し込み、少し息苦しかったのから開放されて、ようやく穴から抜け出せた。

 立ち上がると後ろにはあの灰色の壁が見える。位置的に抜け穴を通り、あの壁の中に入ってきたのであろう。


 さきほどの野ウサギが彼をじっと見つめていたが、また野原をかけて行ってしまった。


 ここで逃したら、何をしに行ったのかとあの二人に言われそうだから、野ウサギを追いかけることにし、しばらく走っていくと広い原っぱのような場所であの野ウサギは鳥に襲われている。

 ヒロは思わず弓矢を構えた。

 しかし無意識に当初狙っていた野ウサギではなく、鳥に狙いを定めていたのだ。

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