第12話 災厄
真夜中にシュウはぱちりとその薄茶色の眼を開け、そしてむくっと起き上がる。
ふと窓の外を眺めるとそこには満月が白く輝いていた。
昨日のこの時間帯は嵐の真っただ中だったのに、今は静寂そのものである。
彼は立ち上がり隣の部屋へと向かう。
扉を少しだけ開けると、ジェシーアンとジオが寝ている。
手を握りしめてきた相手を確認し、ようやく最後の部屋へと進むと何故か扉は少しだけ開いておりセラが一人で寝ていた。
ダリルモアはこんな真夜中に眠る事が出来ず畑に立ち続けている。
どういうわけか、懐に忍ばせてあるヒュウシャーの指輪が熱を持ち、失った右腕が疼いていたのだ。
彼は十二年前にヒュウシャーから指輪を奪った時の事を思い出し、哀しい目をして輝く満月を見ている。
あの日もカルオロンの城から空をぼんやりと眺めていた。
するとそこへ金色の髪をなびかせながらシュウがやってきた。
氷のような切れ長な眼に、ダリルモアはいつもの温和な顔つきから一転、厳しい表情を見せる。
「ダリルモアだな。大陸一の剣士と呼ばれた……」
剣士である自分を知っているこの子どもが只者でないことは容易に想像がつく。
ましてや嵐に便乗して仮病を使うとは、今になって思えばあまりに幼稚な発想だ。
「お前。何者だ? 私としたことが年取ったな。子どもだと思って油断した」
ダリルモアは思わずふっと鼻で笑ってしまう。
目の前に現われたのが、大事な彼の子どもたちと同じ年頃の少年で、何の疑いも持たずに救いたい一心で看病したのだ。
あの時、ヒュウシャーが作り出した感情に左右されず、自らの思い通りに動く兵士は皆彼らと同じ年頃の子どもだったというのに。
「十二年前、お前が奪ったものを返してもらおうか?」
シュウがそう言いながら手を翳すと、ダリルモアは全身が硬直し身動き出来なくなった。そして、懐に忍ばせてある指輪がゆっくりと動き出したのである。
熱を持った指輪がちょうど心臓の上に達した時、心臓を鷲掴みされたかのような痛みがダリルモアを襲う。
指輪はそのまま着物からふわふわと宙を舞い、ゆっくりと手の中に収まるとシュウはグッと拳を握りしめた。
「この瞬間を何年間も待っていた。大陸中捜し求め、お前の息の根を止めるためだけに今日まで生きてきたのだ!」
シュウは満足げに笑いながら、眼は急に赤く光りだし自身の体も赤い光が纏いつく。
その顔は十二年前、剣を突き刺したヒュウシャーの生き写しのようであり、ようやく指輪を奪いにきた目の前の子どもが彼の息子だと確信する。
心臓を鷲掴みにされ、ダリルモアの茶色の目は苦しさのあまり充血していたが、哀しくシュウの顔を凝視し続けた。
今の自分は十二年前のヒュウシャーと同じ立場だ。
シュウの復讐心は執念でダリルモアを捜し出し、息の根を止めようとしている。
因果応報とも言うべきか。
あの惨事を繰り返さないために剣を取ったのに、結局はこの可哀想な子どもを生み出してしまったのだ。
「お前はすぐには殺さない。大切なものが死んでいくのを見てからだ」
ダリルモアは苦しそうにシュウに手を伸ばし食い止めようとするが、身動き一つできない。手を伸ばすことさえ出来ず、そして彼は何の躊躇いもなく母屋へと向かおうとしている。
ダリルモアの大切なもの。
たとえ血は繋がっていなくても、家族七人で楽しく暮らした尊い日々。
そして掛け替えないセラや子どもたちだった。
「父さん……、どうしたの? ねえ、何されたの?」
ヒロが不安そうな顔をして畑に立っている。
昼間、調子が悪くなった彼は、真夜中になっても改善せず、即効性のあるウイジリに切り替えようと思った。ウイジリは皮が固くすりつぶすのに時間がかかるため、母屋にある特殊な道具を用いて摺りつぶそうとこちらに来たのである。
苦しそうにしているダリルモアの傍に駆け寄り、充血している目を見た時、紛れもなく目の前にいる、嵐が運んできた災厄の仕業であることがはっきりとわかった。
「おい、お前ちょっと待てよ。父さんに何をした?」
ヒロはいつもと違って強い眼差しをシュウに向ける。
シュウは呼び止められ、相変わらず真っ赤な眼をしながら二人をみていたが、赤く光る手をヒロに翳そうとする。
咄嗟にダリルモアは充血した目を見開き、彼に危険が迫っていることを伝えようと思ったが、身動きが取れず何もできない。
ヒロが抱えていた気持ち悪い感情は不快感を通り越し、今は怒りだけが支配している。それは誰よりも尊敬し、誰よりも強く優しい父を苦しめている、金髪の子どもに対してだ。
突然、ヒロも赤い炎を纏い、徐々に大きくなると、眼もシュウと同じように赤く光り出した。
シュウは手の中の赤い光を思いっきり、ヒロ目掛けて放った。
物凄い勢いで赤い光は到達するが、その赤い光をヒロは両手に受け止めてから、無意識に跳ね返す。
シュウはヒロから放たれた赤い光を眼にまともにくらい、何メートルも後ろに吹っ飛ばされた。
そんなヒロを見た瞬間、ようやくダリルモアは全てを理解したのだった。
ヒロを実母から託された時、凄まじい威力で破壊しつくされたあの城の部屋は、この子が無意識に行ったのだということを。
だから実母は恐ろしい呪われた能力を封じるため、一緒に死のうとして血だらけになりながらも湖まで向かった。
でも結局思い留まる。
愛する我が子を手にかけることができなかったのだ。
そんなヒロにササは、本当に必要となるその時まで力を使わないよう、加護を授けた。
今まさに封印が解かれ、赤子だった十二年前と同じ赤い眼をしているのである。
(コドモタチ)
ヒュウシャーも息子の能力を知っていたのであろう。だからこそあの謎かけのような言葉をダリルモアに残した。
この運命で結ばれた二人の子どもたちは、まったく対照的だ。
シュウの報復的攻撃はもうすでに子どもの域を超えて、憎悪、殺意、さまざまなものが複雑にからみ合っている。そうまるでこの深い闇夜のように。
一方ヒロは、シュウに対する怒りだけが支配している。
ダリルモアは最期の力を振り絞って、ヒロの元へとゆっくりと歩き出す。
一歩ずつ歩く度に、心臓が引きちぎられるような強烈な痛みに襲われた。
ヒロの纏っている赤い光は炎の如く熱を帯び近寄ることができないが、迷いなくダリルモアは力強く彼を抱きしめた。
「ヒロ! ヒロ!」
抱きしめても本人は怒りで周りがまったく見えておらず、呼びかけにもまったく反応しない。視点が定まらず、意識もどこかにいってしまっている。
「ヒロ、こっちを見ろ!!!!」
厳しい声にヒロはようやく正気を取り戻し、赤い光の中で抱きしめているダリルモアの方を見た。
「父さん……、俺、一体何を?」
「いいか! この力は使うと憎しみしか生まれない、だから絶対に使うな! 自分自身が持つ真実の力を信じるんだ! これから先、お前は絶望を知ることだろう。だが必ず答えはある。希望を見出せ、運命の子!!」
そう言い残し、ダリルモアは左手で彼を抱きかかえると隣を流れる川へと投げ入れたのだ。
今朝より水嵩は低くなったが、ヒロは瞬く間に流されていく。
そしてそのままダリルモアは畑に倒れ込んで動かなくなってしまった。
シュウはよろよろと立ち上がり、周りのものを破壊した。
もうすでに眼は見えておらず、そんな状況にも鬱憤が溜まる。
何もかもこの世から消えてしまえばいいと半ば自暴自棄だった。
家族の憩いの場だった母屋や厩舎、畑、土嚢、すべてが一瞬にして巻き上げられる。
そしてそれはやがて巨大な竜巻となり、真っ黒い煙は次に細長い渦巻きとなって、頭上の遥か彼方にある積乱雲にすべてが呑み込まれたのである。
巨大な竜巻が消え去り、跡形もない平地にシュウ一人だけが満月に照らし出されて不気味に立っていた。
急に彼は脇腹に熱いものを感じ、同時に痛みが倍増していく。
「俺ともあろうものが……」
それはテルウが土産に貰った盾で身を守り、短剣でシュウにとどめを刺しにきたジェシーアンだった。
シュウは見えていない眼で刺してきた相手を確かめようとすると、たまたま引っ張ったのが長い髪であったため、看病してくれたあの黒髪の女の子なのだということがわかった。
彼女も深手を負っているのか、シュウを刺したあとはそのまま気絶している。
髪を引っ張り、ジェシーアンの顔を自分の顔の傍へと引き寄せる。
彼女の小さな息づかいが感じられた時、ふと手を握られ励まされた事を思い出した。
その手が思いのほか温かったことだけは覚えている。
「仕方ないから、傍に置くか……」
そのまま髪を離して、「スピガ!! すべて終わったから出てこい!」と彼女の腰を抱き叫んだ。
次の瞬間、シュウの前に馬に跨ったスピガが突如現れる。
「おやまあ。えらく酷い状況だ、粉々じゃないか。目をやられたのか? その娘は?」
「ジェシーアンというらしい。最後はこの子にやられた。もう少しずれていたら確実に死んでいた。この子強いよ。明らかに急所を狙っていた。次は確実に殺しにくるだろうから、スピガ、今すぐこの子の記憶を奪え!」
スピガは冷静沈着なシュウが意外なことを口走るのに驚いた。
「それなら殺してしまえばいいんじゃないのか?」
「眼をやられて、殺されかけたんだ。この敗北を肝に銘ずるために、この子を傍に置くことにする。それにその強さは将来何かと役立つかもしれない」
「見返りは?」
「またそれか! いいだろ指輪は手に入ったのだから」
そう言ったあと、シュウは気を失った。
スピガが脇腹を見ると、鮮やかな血がドクドク流れ出している。スピガはすぐに手を翳し怪我の応急処置をする。
「……傍に置きたいって。結局気に入った訳ね。まったく、行方をくらましてこんな山奥で何しているかと思えば兵士の育成かよ」
スピガはため息をつくと言われた通りジェシーアンの頭に手を翳し、彼女のこれまでの幸せだった記憶をすべて消し去った。
その後、スピガは二人を馬に乗せると、自らも馬に跨り、やがて闇夜に煙のように消えたのだった。
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