第10話 嵐のまえ

 次の日、朝早くから畑で作業しているジェシーアンのもとにテルウがやってきた。

「珍しい! こんな時間に畑へ来るなんて、はじめてじゃない?」


 ジェシーアンは手で額の汗を拭い、雑草を握りしめ不意に現れた彼をじっと見つめる。

「何? 用があるなら早く言ってよ。忙しいのだけど、手伝ってくれないの?」

 まったく反応しないテルウに、ジェシーアンは急に怒り出した。

 その怒り声にテルウは胸の奥底がギュウと締め付けられるような感覚を覚える。

 彼女のこういう気の強いところがたまらなく好きなのだ。


 朝早く畑に来たのは、あの兄二人に会う可能性が少ないからである。

 二人はジェシーアンのことを妹としか見ていないが、テルウは自覚していた。

 自分は彼女に対してまったく違う感情があることを。


 昨夜、ダリルモアとセラが幸せそうに笑って、耳元で囁き合っていたように、テルウもジェシーアンとあんな事してみたい。


「これ……父さんがヒロにあげた紐を参考にして作ったんだ。前に畑仕事しているとき、土が髪の毛についていたから、気になって……」

 それは家にある糸を撚り合わせてテルウが作った紐で、草木染め独特の優しい色合いの紐であった。


「こっち来て、髪の毛結んであげるから」

 彼女の容姿へのこだわりが、自然に体を動かす。

 ジェシーアンは持っている雑草を地面に置き、大人しくテルウのもとへ向かい、後ろを向いて畑の土の上に座った。

 彼女の腰まである長い黒髪を指で梳き、上で纏めて結んであげた。

 そしてこっそりセラ達の部屋から拝借してきた小さな手鏡を手渡すと、手鏡に自分の顔を映し、右を向いたり、左を向いたりして、髪形を確認した。


「馬のしっぽみたい」

 手鏡をテルウに返し、お尻についた土を手で払いのけ、テルウにそっと耳打ちした。

「でも、気に入ったわ。ありがとうテルウ」


 そのまま彼女は畑仕事を再開しはじめたが、テルウは胸が高鳴り、同時に全身が熱くなっていく。

 昨夜のダリルモアとセラの真似をしただけかもしれない。

 たとえそうであったとしてもテルウにとっては天にも昇る気持ちだ。

 彼女にもっと近づきたいと、手を伸ばし触れようとした時、セラがジェシーアンの元へ駆け寄ってきた。


「ジオの様子がおかしいの。ちょっときて!」

 ジェシーアンとテルウは急いで部屋へと向かうと、ジオは寝床の中で横になっていたが、呼吸が苦しそうで、時折、ゲホゲホと激しい咳も出ている。

 セラは背中を優しく摩りながら、ジオの上半身を起こし薬草を飲ませた。

 途中、むせて息が吸えなくなったため、ジェシーアンもジオの手を握りしめ、何とか薬草を飲み終えまた再び横になった。


「ジオ、頑張れ!」

 テルウがジオを励ますと、苦しそうに顔をジェシーアンの方に向けて、聞き取れないようなか細い声を出す。

「アン……ごめん。いつも……」


 ジオはジェシーアンの事をアンと呼ぶ。

 ここに来たときはまだ赤子で、ジェシーアンの長い名前を最後まで呼べなくて、いつの間にか後ろのアンだけ呼ぶようになったのだ。

「何言っているの。私の事はいいから、早く良くなって」


 ジオは薬が効いてそのまま眠ってしまった。

 まるでジェシーアンを小さくして細くしたようなジオ。

 その寝顔を見てジェシーアンは不安から肩をガタガタ震わせている。

 テルウは彼女の手の上にそっと自分の手を重ねた。

 普段は気の強い彼女も、弟の事になるとすっかり臆病になってしまう。


「私は体力が有り余る程元気なのに……。なんでいつもこの子だけ……」

「薬屋をやっている時ね、色々な客がきたのよ。元気な人もいるし、そうじゃない人も。大事なのは特別じゃないってこと、向き合うことなの……」

 セラは泣いているジェシーアンを抱きしめ、テルウも同じように彼女を抱きしめる。

 二人に抱きしめられ少しずつ、気弱になっていた心が温められていくように感じられたのだった。


 そんな三人がいる部屋の外では、雲が早くなり強風が吹きはじめていた。


「これは嵐が来るな……。

 カイ、準備を怠らないようにテルウにも指示しなさい。ヒロ、昨日の話はまた次だな……」


 外にいるダリルモアの指示を受けて、カイはテルウを呼びに行き、三人は急いで窓の補強と、畑の備えをし、次に土嚢を作りだした。

 川からの浸水対策だけでなく、畑の土が川へ流れ出るのを防ぐために、作った土嚢を川に沿って徐々に積み上げる。

 風はさらに威力を増していくため、子どもたちの体が吹き飛ばされそうになり、激しい雨、風に打たれながら準備が終わった時、もうすでに辺りはすっかり暗くなっていた。

 セラ達はジオの看病をし、ヒロ達は部屋で嵐が過ぎるのをじっと待つ。


 轟音とともに、暴風雨は休むことなく一晩中続く。

 それはまるで嵐が大切なものを全て飲み込み、容赦なく彼らの憩いの場所に襲い掛かるようであった。




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