第7話 北の果て

 アイリックは牢獄から逃げだした二人を探すため「白」と「水色」の兵士を投入し、指揮を執っている。

 城の至る所に兵士達は配備され行方を追っているが、明け方になっても見つけられない。


「たかが子ども二人だぞ! 何で見つけられないのだ!」

 いらだちを募らせているアイリックのことを「赤」の将校たちは冷ややかな目で見ていた。探し出せないのは小さな子どもだから、そしてあの皇帝ヒュウシャーの遺児たちだからだ。所詮、アイリック如き器の小さい男は皇帝ヒュウシャーの足元にも及ばないのだ。


 朝を迎え城内は二人を探している兵士たち。立派な服に身を包んだ貴族たち。城で働く小姓や下僕など、人の往来がはげしくなってきた。

 それだけではなく多くの荷馬車も行き交っている。

 主に業者が使用する城の門から、一台の荷馬車が城外へと向かおうとしており、門兵である「白」の兵士は荷馬車を止めた。


「人を探している。中の積荷は何だ?」

「北すももです。城で消費する分を納入して、我が家に戻るところです」

 業者の男は、本格的な冬を迎える頃に北すももを納入しにくる。

 北すももは大人の拳ほどの赤い実で、甘ったるい匂いと、甘酸っぱい味が特徴だ。大陸の北部でしか収穫できない貴重な北すももは、そのまま食べるだけでなく、お菓子や料理に入れても絶妙な味を引き出してくれる。よって城ではこの時期に一年分を仕入れて大切に利用するのだ。


「非常事態だから念のため、改めさせてもらうよ」

 いまだかつて門兵に止められたことがなかったため業者の男は少々驚いたが、門兵の指示に従い、兵士は荷馬車の上にかかっている布を取り払い積荷を確認した。大量の空箱の中に数箱、北すももの詰まった箱がある。形が崩れたり、品質が悪かったりして城で引き取ってもらえなかったものだ。


「問題ないようだな。良し! 行っていいぞ」

 布を元に戻し、荷馬車は冬の訪れを告げる大陸の北へと走り出した。

 城を離れてある程度の時間が過ぎた頃、甘ったるい香りがする、北すももの箱の中でシュウとユイナが顔を出し、二人は顔を見合わせにっこり微笑んだ。

 そして空腹を満たすため、北すももの身を夢中で食べはじめた。


 薄暗い牢獄に入れられてから少量の固いパンと、冷たいスープしか口にしてこなかった二人にとって、この北すももの味を生涯忘れることはないだろう。

 緊張から解放され、口にしたこの実の甘酸っぱさは、酸味の強いつらい記憶ではなく、甘味の強い幸せな記憶を残したのだった。


 二人を乗せた荷馬車は、数日間かけて業者の男の自宅に到着した。

 男が馬を休ませるため、厩舎の扉を開けに行き、戻ってきた時には荷馬車の布はなく、食べ散らかされた北すすもの残骸だけが荷馬車に残されていた。


 カルオロンと比べても、感じる空気が痛いほど冷たいこの北の地で、二人は布に包まりながらさらに北へと向かう。一歩でも二歩でも城から遠ざかるために。

「兄様……寒い……」

 寝ているところを襲われたため、白くて薄い寝間着に素足である二人に、冬の訪れを告げる玉のような雪がはらりはらりと降りはじめた。

 雪は二人だけでなく、周りの木々や山をも覆っていく。

 ほんのわずかのうちに雪景色に包まれ、この世のものとは思えないその美しい景色を初めて見た時、シュウは自分が生きているのか、死んでいるのかさえ曖昧になってくる。


 この美しい白銀の世界に身を委ねてみるのも選択肢の一つかと思っていた時、二人を付け狙う影があった。

「いや、まだだな。宿願を果してないもの……」



 スピガは馬に跨りカルオロンから、北の果てにある屋敷へと戻る道中だった。

 本当は寒い冬にカルオロンなんかに足を運びたくはなかったのだが、馴染みの貴族からたっての願いであった。しかも依頼は、不安定な国内での自分の地位を安定させる祈祷だ。

 スピガの目から見ても、活気のない国内で神頼みも理解できなくはない。

 その貴族は破格の謝礼をスピガに払った。これであちらこちら痛んでいる屋敷の修復に充てられる費用が捻出できる。


 それにしてもカルオロンの物々しい警備と言ったら、まるで戦の前のようだ。

 誰かを探していると兵士が言っているのを聞いたが、能無しだというあの側近が指揮を執っているなら、見つけ出すことは永遠にないだろう。

 何故なら外套を纏い、どこからどう見ても如何わしい術師である自分でさえ、たやすく検問を突破できたのだから。


 空から雪が舞い落ちてきたため、馬の速度を上げ屋敷へと急いでいる、そんなスピガの灰色の目に映ったのは一匹の狼の死骸だった。

 死んでから時間が経っているのか、雪が狼の上に降り積もっている。しばらく進むとまたも狼の死骸だ。

 次は一匹でなく三匹。三匹目は他の狼と比べても明らかに損傷が激しい。


「他の術師の仕業か?」


 術師の中でも年長者の部類に属するスピガですら、かつて一度も見たことない死骸。

 遠くまで続く空と地、空気すべてが白一色に染まる雪原の遙か彼方に小さな人影らしきものが見える。


 シュウはユイナを抱きかかえ、なんとか歩いていた。


 さきほどから目障りな狼たちが狙ってきている。

 北の狼は灰色の毛で、黒い毛の山脈の狼とは品種も違うし、彼らは獰猛だ。

 本格的な冬ごもりに入るにあたり、栄養を蓄えるため多くの獲物を狩に来る。

 ユイナは、もはや虫の息のため狼たちに狙われているのだ。

 そんなシュウに、馬に跨ったスピガが声を掛けた。


「なんか大変そうだね。助けようか?」

「別にいい……」

 シュウは相変わらずユイナを抱きかかえて歩き続ける。

「でもそちらの子は、そろそろ限界なんじゃない?」


 スピガは抱きかかえられているユイナを見た時に、思わず心臓が止まるかと思った。

 彼のもう忘れかけた昔の記憶に、わずか一つだけ残っている女の姿によく似ていたからだ。


「助けるよ。その代わり見返りはその子で」

 シュウは無視して歩いていたが、ユイナが躓いて倒れそうになった時、スピガは思わず馬から手を差し伸べそうになった。


「気安く触るな!」

 ユイナをしっかりと抱きかかえ、スピガを睨みつけるシュウの眼が赤くぼんやりと光っていたのを彼は見逃さなかった。


「今は無償でいい、君たちを助けよう。何か訳があるようだし、君たちの役に立つこともあると思うから」

 スピガは笑いながらそういい、手を翳した途端、シュウとユイナはスピガの前で馬に跨っていた。

「お前、何者だ……?」

「とにかくその子の手当てが先だ」


 そこからさらに北に進んだ、周りに民家も何もない寂しい場所にスピガの屋敷があった。灰色の石だけでできた屋敷は横ではなく、縦に長く、石はところどころ剥がれ落ちている。


 屋敷の中に入りお世辞にも綺麗とは言えない居間にある古びた長椅子にユイナを寝かせ、スピガは暖炉に火を起こし、お湯を沸かしはじめた。

「外も中もボロボロだな」

 ミカエラの屋敷ですらもう少し綺麗だったことを思い出したシュウは、ユイナにシーツを掛けながら言った。


「休める場所さえあえればいい。それより随分とはっきりものをいうのだな。君見たところ七、八歳位だろ」

 スピガは立ち上がりシュウの方へと近づいてきた。彼は長身で灰色の長い髪を後ろで束ねており、不健康そうな青白い顔でシュウを見下ろしている。

「よっぽどいいところでお育ちのようだ」


「当り前じゃない。あなたさきほどから誰に向かって、口をきいていらっしゃるの?」

 ユイナは上半身を起こし、スピガに咎めるような視線を投げかける。


「兄様は皇帝ヒュウシャーの嫡子で、カルオロンの正当な皇位継承者よ。

 ダリルモアに奪われた指輪を取り返し、兄様が皇帝の座につくの。それ以外、あの国に未来はないわ」

 もうユイナは前のような世間知らずのお嬢様ではなくなっており、その目はシュウと同じような鋭い目つきに変わっていた。


 一方スピガは思いがけずとんでもない拾い物をしたと、狡猾の表情を浮かべていた。

 カルオロンまで呼びつけたあの貴族に、感謝の祈りを捧げたいくらいだと。

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